この部落には詳しい情報がない。分かっているのは戦前に融和事業が行われていたこと。昭和10年時点で経済更生指定地区に指定されていた記録がある。また、隣保館があることから、同和地区指定されたことが分かる。
戦前の記録では29戸。大正時代の地図では「山ノ根」、後に「西組」となっており、文字通り番生寺の西側の山のふもとに立地する。
周辺は田んぼが広がっている。赤色のジャンボタニシの卵が多いのが気になった。
ここが部落のメイン通りで、整備されたような形跡がある。
グーグルマップでは分かりにくかったが、現地で改めて住宅地図を見て存在に気がついたこの神社。
八幡神社である。静岡東部の部落と言えば八幡神社が稲荷神社だ。
手水舎に彫られた名前が部落の名字とは違うので、最初はこれは部落の神社ではないと思っていた。
中は集会ができるようになっていて、他の部落の八幡神社と同様の構造である。
そして、家には日蓮宗の札が。
山のふもとに近い場所に、寺ともう1つの神社があるようなので行ってみた。
入り口のガラスに蓮の花があるので、これは間違いなく日蓮宗寺院である。
浄土真宗の場合は同和に関わりがありそうな言葉が張り出されていることがあるが、日蓮宗については基本的にそういうことがある。
「各々思い切り給え」やってもいいんだ!と胸のつかえを取っ払う思い切りの精神が大事ということなのだろう。
寺の近くにあるのが稲荷神社。八幡神社ほど大きくはないが、これも立派な神社である。
これは日蓮宗の寺によくある境内社だろうか?
住民に聞いてみてわかった。結論から言えば八幡神社こそが部落の神社であり、この稲荷神社は私設のものである。稲荷神社は寺とも無関係で、昔からあったものでもなく、個人が設立したものだ。
茶畑を横目に墓地へと向かった。
ここが番生寺墓地。佐野、杉本といった部落に多い名字が見える。しかし、墓石の数は考えられる部落の戸数よりもはるかに多い。
ここは部落の墓地というよりも、番生寺地域全体の墓地であり、融和しているものと判断した。
国道1号線下のトンネルを抜けたところには、広場がある。
これは同和対策の施設であろうが、部落からは少し離れている。この日は子供が遊んでいた。同和施設ということは意識されず、周辺から利用されているように見える。
これが番生寺会館。その作りや掲示物から見れば、確実に隣保館である。ということは、ここにも筆者の手配書が回覧されているであろうから、遠巻きに撮影するだけにしておく。
広場の隅にあった土地改良区の石碑。部落に多い名字とそうでない名字が混じっていることが分かる。
川嶋紀子さんの、母親は、
静岡出身の
杉本和代さんですよね。
ご主人の名前も、
和歌山県の、川嶋ですが。
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あのーーー宮部さん
文中の
「静岡東部の部落と言えば八幡神社が稲荷神社だ。」
ですけど、、
部落に限ったことだは無いので、、、念のため
筆者独自で裏どりされてはいかがか?
#99ade591527e414e4416449942396b7b
その逆も然りとは言っていません。
関東の白山神社もそうです。
文書にして公表している筆者の回答とは思えませんね。
要するに筆者の思い込みでしょう。
こういう場合、断定的な表現を避け
「思う」「思われる」ぐらいの配慮が必要です。
#99ade591527e414e4416449942396b7b
どんな事象にも
例外は あります。
部落は部落!
#426ead3e63a5a6b2165c665a59221615
トトロ意味不明
詭弁よりひどいね
あんた本当に無知
#059235b0b5691de884a600a2e178707f
トトロをBANしました
近くに古城のあとがあり
むかしは大井川の流域の
ど真ん中にあった土地です。
#3bef1a9f229ed644e7b1a41f09bade28
横岡城山麓の地区なんですね
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