【私的 全共闘白書】連合赤軍・植垣康博氏が 重篤でスナック・バロンを 閉店していた!

カテゴリー: 市民団体 | タグ: | 投稿日: | 投稿者:
By Jun mishina

かつての革命戦士たちも老いていく…。連合赤軍のメンバーとして「山岳ベース事件」「M作戦」などに関与した植垣康博うえがきやすひろ氏が服役後、静岡市内で「スナック・バロン」を経営していた。著名人のファンもいる名物店だったが、数年前から体調不良で休業。支援者らの協力もあって再開を目指したものの今年4月、すでに賃貸契約は解除されていた。

安倍氏銃撃映画監督も スナックバロン の支援者

ハーグ事件の共謀共同正犯で懲役20年の判決を受けた日本赤軍元最高幹部、重信房子氏が今年5月、出所した。多数の報道陣や支援者に囲まれそれは華々しい「出所式」のようだった。かつては「国際テロの魔女」と呼ばれた重信氏だが、公の場に現した姿は“高齢者 ”。

当時の新左翼活動家のその後と言えば当サイトは連合赤軍の発端となる「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会」元議長・川島豪氏をレポートした。

岐阜の同和取材で邂逅した連合赤軍の黒幕・川島豪の夢(前・中・後編)

連合赤軍のメンバーとして複数の事件に関与して1993年、懲役20年の判決を受けた植垣康博氏が出所後、2001年に静岡市葵区で「スナック・バロン」を開業。

著者は2019年、YouTuber・宅建太郎氏と植垣氏にインタビューをした。

その後も随時、イベント等などが開催されるということで植垣氏からもお誘い頂けるということだった。

「我が心はあの時代にある」

こう語っていたのが印象的だった。全く政治信条は異なるが、妙に人柄に惹きつけられたのも事実だ。それゆえかスナックバロンには様々な常連が集まる。

清潔な店内だった。

協力者によれば

「2016年に開催された15周年パーティーの時は安倍晋三元首相銃撃事件の実行犯を描いた映画『REVOLUTION+1』の足立正生氏、右翼活動家・鈴木邦男氏、漫画家の山本直樹氏など早々たる顔ぶれでした」

と盛大なもの。また招待状の送付先には有名女優の名前もあったという。

中には「塩見(孝也氏)にも招待状を送りましたが“ 会費と交通費を出せ”と言われました」(前同)というこぼれ話はむしろ微笑ましい。“赤軍同窓会 ”とはならなかったが、約70人が集まった。

出席者からは約1万5千円の会費が徴収され、パーティー費用とスナック家賃に充てられた。

2019年に植垣氏と話した時は「久能靖(元日本テレビアナウンサー)さんというジャーナリストがインタビューに来たんだ」と楽し気に語り元気な様子だった。そして昨年、20周年パーティーが行われるということで支援者から案内を受けたが、どうも開催される様子がない。

体調を崩して店がすでに休業状態と聞かされたのは昨年のことだった。

賃貸契約は 4月に解消

弁護士や地元市議も支援者としてスナック・バロン再開に奔走していたが、何しろコロナ禍で状況は厳しい。さらに植垣氏も重病で療養生活に入ってしまった。

案じていたところすでに今年4月に賃貸契約は解消というから驚いた。不動産会社も植垣氏を支援していたが、「健康上の理由」で廃業に至ったようだ。

物件を管理する(株)門出に話を聞いてみたが「顧客情報ですのでお話ができません。そこに書かれたことが全てです」と応じた。

生活支援などに当たっていた地元関係者は

「個人情報に関わることだから控えさせてください。ただすでに身辺も整理しており健康上の理由から面談もできない状態です」

と声を落とした。

残念ながら経済的にも困窮していた様子だ。なにしろ実際に会える重要な歴史の生き証人。再びカウンターに立つのを楽しみにしていたが、どうやら状況は厳しいようだ。

決して植垣氏らの過去には賛同できないし、主義主張も相容れることはないだろう。

ただ確実に昭和が遠ざかっていることは寂しさと悲しみを禁じ得ない。

Jun mishina について

フリーライター。法政大学法学部法律学科卒。 月刊誌、週刊誌などで外国人参政権、人権擁護法案、公務員問題などをテーマに執筆。「平和・人権・環境」に潜む利権構造、暴力性、偽善性を取材する。

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【私的 全共闘白書】連合赤軍・植垣康博氏が 重篤でスナック・バロンを 閉店していた!」への6件のフィードバック

  1. 匿名

    歴戦の強者も年には勝てぬ・・・か。
    もうそういう時代になってるんだな。
    三島事件をきっかけに結成された新右翼一水会を率いていた鈴木邦男氏も懐かしいなぁ。

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  2. 匿名

    このバーに集う人たちに聞いてみたいのは、YMCAの西城秀樹、これは明らかに東条英機をからかったネーミングですよね。

    当時の生きていた戦前の人たちや活動家等にどう受け止められたんだろう?と気になります。

    たしか西城秀樹自身もYMCAに躊躇した話をしていたはずです。いろいろ考えたらひどいですもんね。

    もしかすると、こうした行為が活動家の憎悪となり原動力になったのかも?と思ったのです。
    挑発に乗ってくれて過激派になった、とも言えます。

    戦前の愛国者の皆さんが左派にもなってたんですから炎上マーケティングとしては秀逸だったのかも。

    ですからそんな誘いに乗ってもあまりいいことはなかったんじゃないかな。

    東条英機をおちょくったから不敬罪だとか言いたいわけでもなく、過去のこと過ぎて何も感じないのです。
    でも、世代や立場によって感じ方が違うのかもなーと感じるわけです。

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  3. 匿名

    いかにも刑期が終了したからと言って、社会的責任いわば事務的責任だろうが終わって普通の一般人と言われてもチョット違うように思う。それにあの頃の革命的体験談を熱く語り、20周年同窓会パーティーを盛大に行っても今でも被害者遺族は許されるものでないと思う。思うに街の片隅で密かに余生を送る程度が正しいのではないかなぁ~と思います。

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  4. 匿名

    高校の先輩。一度だけ授業中に先生が植垣氏について話した事があったなぁ。

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