学術・研究:部落探訪(276)滋賀県 近江八幡市 堀上町

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

ぜひ探訪して欲しいとリクエストがあったので、中小森なかこもり3部落を探訪することにした。ここは『滋賀の部落』では中小森村枝郷三部落として紹介されており、中小森には日吉村、赤尾、白鳥という一般地区があり、細工さいく十座じゅうざ堀上ほりかみ村という部落があったという。

最初に訪れたのは堀上村。『同和対策地域総合センター要覧』によれば、1996年頃の世帯数が88人口が307である。昭和初期は39戸、217世帯、農業や日雇いが主な仕事であった。

近江八幡市は非常に興味深い自治体である。2000年代末に解放同盟の不祥事をきっかけに、同和行政を終わらせた。そのため、この堀上は事実上の同和地区指定解除地区ということになる。

その一方で近江八幡市は筆者が知る限り最も部落地名をオープンにしている自治体である。1992年に発行された『近江八幡の部落史 くらしとしごと』では部落名を隠すこと無く詳細に説明され、今も近江八幡市が販売している

とりあえず、白鳥町から現地にアプローチした。

この仏願寺が部落の寺で、真宗大谷派である。大谷派部落檀徒一覧にも掲載されている。

『近江八幡の部落史 くらしとしごと』によれば1991年3月末の世帯数は76。昭和に入ってから徐々にではあるが一貫して世帯数が増えている。

江戸時代は『ヤケ屋村』と言われ、ヤケ屋とは年貢の取り立て所という意味だそうだ。明治の頃から部落にしては土地を持っており、世帯あたりの平均作付面積は1.5haというデータがある。むしろ豊かな農村であったのでは?

部落の起源は2つ説があり、1つは天保年間にどこからか荒れ地であったこの場所に入植。も1つは文化年間に現在の末広地区及び住吉地区(池田本町)から入植したということだ。

なお、『近江八幡の部落史 くらしとしごと』では地名の読みは「ほりあげ」となっている。もとは「ほりかみ」と「ほりあげ」の2通りの読み方があったが、戦後間もない頃に「ほりかみ」で統一された。

ここに、熊野神社があったことを示す石柱がある。

実は、この建物がかつての桐原老人憩いの家という同和施設であったが、現在は寺の檀家の施設となっている。さらに昔はここが熊野神社だった。つまり、同和施設を作るために神社を移動したわけだ。

この何の変哲もない民間の建物があるこの角地、ここにも堀上教育集会所という同和施設があった。こうなっているということは、解体された後に土地が民間に売却されたということだろう。

そして、熊野神社の現在の姿がこれだ。

中小森村には菅田神社があり、かつては部落は排除されていたのだが、明治の頃に氏子に入ることができたという。しかし、神社を維持する費用の分担に対する不満が原因で昭和初期までに菅田神社の氏子から離脱した。それ以来、この熊野神社が村の唯一の神社になっているというわけだ。

神社の由緒書には、昔からここに鎮座していたと書いてあり、なぜか同和施設を建てるために移動させたことは書かれていない。

その神社の近くには古い公営住宅らしき建物がある。『同和対策地域総合センター要覧』によれば、確かに公営住宅が8つだけある。形式からすると昭和40年代末から50年頃に建てられたものだ。

ここは堀上町公民館。無論、同和や人権を思わせる異様な掲示物は見当たらない。

自治会長選挙の張り紙があった。

ここは既に、融和、解放だれた部落となっている。同和行政を終わらせれば、こんなに良いことがあるだ。それにしても、なぜ近江八幡市はきっぱりど同和行政を終わらせたのか。なぜ部落名がオープンなのか。

それについては、さらに次の部落を探訪しながらお話することにする。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

学術・研究:部落探訪(276)滋賀県 近江八幡市 堀上町」への5件のフィードバック

  1. 匿名

    大谷派部落檀徒一覧
    よく見かける資料ですが、
    よくわからないのでおしえてください。

    県は一部抜粋か不完全なものですか?
    それとも、掲載した時期には、ここに記載の県や部落しか大谷派の部落は無いと言うことでしょうか?

    返信
  2. 匿名

    令和3年度 第2回近江八幡市人権擁護審議会 議事録
    日時:令和3年10月7日(木)

    委 員:被差別部落の出身の人が、引っ越しをして別の地域に住んだ場合は同和問題とは関係がな
    くなるのか。
    事務局:それでなしになればそれがいいが、出身が被差別部落ということが付いて回る。出身地を
    言うのが怖いという人が今でもいる。

    * 同和地区事業指定を離れても名前は残り差別を受けるんですね。その地名をなぜ公表する必要があるのか甚だ疑問です?
    * 近江八幡市の同和行政終結については、中身云々はさておき小川 廣司氏も語っておられますね。

    *近江八幡市の目玉のニコイチの譲渡ですが、どのように譲渡されたか興味があります、対象者?無償譲渡?条件付き譲渡?などなど
    今後、宮部さんが語られるでしょうが興味あります。よろしくお願いします。

    返信
    1. 匿名

      君のほうが宮部さんより詳しいのでは?
      どうも浅学の宮部さんをおちょっくっているようなコメントですね。

      返信
  3. 我流style

    いつも各地の取材、お疲れ様です。
    YouTubeの部落差別の現在 1991にある地区の現在が気になっています。(群馬県桐生市、千葉県野田市)など!機会があれば、取材をお願いします。

    返信
  4. 宮部さん

    憶測で記事を書くのはいけません。
    裏ドリをしないといけません。
    ネットで検索すれば、貴方の間違いなんかすぐに指摘できます。
    市役所へ電話で確認も取れますよ。

    ワハハ

    返信

関連記事

学術・研究:部落探訪(293)埼玉県 狭山市 柏原 下宿

柏原(かしわばら)の部落は高杉晋吾『部落差別と冤罪』で、狭山事件に絡めて引き合いに出されている。狭山事件との接点と言えば、石川一雄氏の友人で一度逮捕されたものの釈放された東島明氏がこの地区の出身である。 なお、石川一雄氏 […]

学術・研究:部落探訪(292)熊本県 熊本市 南区 城南町隈庄 萱木

熊本では数多くの部落を探訪する準備をしてきたものの、いろいろあって気がついたら日没が近づいていた。最後の探訪先に選んだのが萱木(かやのき)である。ここを選んだ理由は、たまたま今いる場所から近かったからである。 地名で言え […]

学術・研究:部落探訪(291)熊本県 熊本市 南区 日吉2丁目 7, 14

熊本では時間が限られていたので、どの部落を探訪するのか迷った。その中で選んだのが、比較的規模の大きな未指定地区と推定される場所である。現在の熊本市 南区 日吉2丁目7番地、14番地で、昭和初期は100世帯あったとされる。 […]

学術・研究:部落探訪(290)熊本県 菊池郡 菊陽町 原水 馬場

『各墓地で憤りをあらわに「死んでも差別が」熊本県知事が部落視察』という記事が、2004年11月15日のウェブ版解放新聞に掲載されている。当時の潮谷義子熊本県知事が「部落の人びとは死んでまでも差別をうけるのか」と憤りをあら […]

学術・研究:部落探訪(289 後編)熊本県 熊本市 中央区 本荘・春竹

前回に続き、熊本最大の部落、本荘・春竹を探訪する。 食肉業者が集中し、部落のステレオタイプに合致する部落らしい部落なのだが、少なくとも現在は運動は盛んとは言い難い。むしろ、部落だの同和だのといったことは、既に終わったこと […]

学術・研究:部落探訪(289 前編)熊本県 熊本市 中央区 本荘・春竹

熊本県で最大かつ最も有名な部落と言えば本荘・春竹地区である。昭和初期の記録では本荘111戸、春竹307戸とされる。 2016年に日本テレビで「いのちいただくシゴト 〜元食肉解体作業員の誇りと痛み〜」というドキュメンタリー […]