学術・研究:部落探訪(261 後編)茨城県 猿島郡 境町 伏木

カテゴリー: 部落探訪 | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

境町では、間中姓の分布が部落に対応していることが分かった。前回は坂東市内の飛び地を探索し、さらに本拠と考えられる西原を訪れた。後編では、宗教について検証し、さらにも1つの場所である倉ノ内を探訪する。

やはり宗教について検証するためには墓地の訪問は欠かせない。地図を見ると墓地の記号があったのでそちらへ向かった。西原は家が比較的まばらで、その間は畑になっている。

ゴミが転がっている空き地の向こうに墓地を見つけた。

やはりこれは浄土宗で間違いない。場所は違っても部落は浄土宗で一貫している。

気になったのは、施工者の名字が染谷であることだ。実は西原周辺には染谷という名字も多い。

名字が染谷の墓地もあるが、これは明らかに法華宗系統のもの。具体的には日蓮正宗のようである。墓地の施工を一般地区住民に任せているということは、これは融和している証ではなかろうか。

そして、地域住民から重要な証言が得られている。「間中」は専修寺の檀徒であり、寺の向こうにある香取神社の氏子であるということだ。

ということで、部落から少し離れたところにある伏木香取神社にやってきた。

境内にあるものをチェックしていると、大変重要なものを見つけた。

それがこれだ。白山神社である。

ここに白山神社があるということは、部落から離れた場所の神社の氏子になっている理由と関係があるだろう。これはあくまで推測だが、白山神社はもともと西原にあり、間中姓の人々は白山神社の氏子だった。しかし、ある時に白山神社が香取神社に合祀され、それ以降は間中姓の人々も香取神社の氏子となった。具体的な時期は不明だが、同和事業が始まるよりもずっと前のことであることは間違いない。

これも、早くから融和が進んでいた証拠であろう。

次に、神社の手前にある専修時にやってきた。

宗祖法然上人云々とあるから、浄土宗であることは間違いない。この石版では「西原地区」「倉内地区」に間中姓が並んでいる。特に西原地区は100%間中である。飛び地である谷津はないが、様々な状況証拠からすると、あの場所は西原地区に含まれている可能性が高い。

そしてその、倉内地区にやってきた。登記簿等での小字の表記は「倉ノ内」である。

風景が他の地区と似ていると感じる。ただし、西原ほど豪邸ではない一方、新しい家が多いように感じる。

そしてここにも墓地が。当たり前だが浄土宗である。

地区内には分かれ道があり、古い道標がある。

風化してしまい、何が書いてあるのか分からなかった。

これは戦死した軍人の石碑だろう。

これは伏木集会所。

最初は、普通の自治会館かと思ったが、町の施設である。教育委員会の管轄で、設置されたのが昭和59年ということであるから、これは事実上の同和施設と見て間違いないであろう。すっかり融和しているように見える伏木だが、同和地区指定されていたと見て間違いない。

その証拠がこれ。道の脇の目立つところにある「境町伏木文化センター」という看板。

何の文化のセンターなのかと言えば、人権文化のセンターである。

(隣保館)と表記されており。同和施設であることがよく分かるようになっている。

しかし、いずれの部落からも離れたところにある。トイレを借りに行ったところ、大変賑わってはいたが、同和を思わせるものはなく、普通の公民館のような使い方がされているようである。地域住民は同和地区指定されたことを意識してはおらず、隣保館の具体的な意味もよく知らない人々が利用しているように見えた。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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学術・研究:部落探訪(261 後編)茨城県 猿島郡 境町 伏木」への22件のフィードバック

  1. 恐れ入りますが… 

    >>神社の手前にある専修時に 〇専修寺

    >>この石版では「西原地区」 〇石碑。印刷の原板じゃあるまいし…

    示現舎という出版社を標ぼうしているならば、アップする前に校正したらいかがかと。

    返信
    1. 中間

      この人、国立大なのに国語は得意ではないようだ。YouTubeのサムネの伏原を伏木に訂正しないね。
      常に何かと戦っているから心を病んでいるなかな。

      返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      確かに特徴的な建物ですが、同和と何か関係ありそうでしょうか?

      返信
  2. 通称 : 一村一社令

    >>ある時に白山神社が香取神社に合祀され、…の人々も香取神社の
    氏子となった。これも、早くから融和が進んでいた証拠であろう。

    明治39(1906)年に神社合祀政策が天皇の勅命にて開始されたので、
    原則的には合祀せざるを得なかったという事があります。
    但し全国からの嘆願により明治43年には緩和されたみたいですが。

    返信
  3. 尊皇共産主義

    白山神社を周られている方のブログです。

    http://893ginger.blog55.fc2.com/blog-category-109-1.html

    白山神社には一般が信仰する白山神社と、弾左衛門の白山信仰にならって部落民が信仰した白山神社の2種類あると思います。

    従って「白山神社があるから部落」ではなく「部落だから白山神社がある」と言うのが本当でしょう。

    この間、群馬県高崎市高浜の白山神社に行ってきました(高崎には結構ある!)が人権プラザもあり、ゴミ焼却場もあるので部落に間違いないようです。

    職場には高浜から来ていた「植杉さん」もいて、いない時「植杉さんはこれだからな!」といって指を4本出す人もいました。
    さりとて、植杉さんはみんなに好かれていました。

    返信
    1. しらやま

      ただの被差別部落を少しかじっている人の標準的な見解だね。
      実際のところ、弾左衛門の支配が及んでいないはずの部落にまで
      白山社が見受けられるから、それに対する考えがあるなら傾聴に値するが。

      返信
      1. 尊皇共産主義

        そりゃあるでしょうよ。
        白山神社は部落民だけの物じゃないからね。
        おまえのように「白山神社があるから部落」と決めつけるのは間違い。

        返信
        1. しらやま

          よく読みなさい。
          弾左衛門の支配が及んでいないはずの部落=関八州(水戸藩、喜連川藩、日光神領などを除く)
          ・伊豆全域、及び甲斐都留郡・駿河駿東郡・陸奥白川郡・三河設楽郡の一部以外。
          例えば、三河、遠江、駿河、信州、山梨笛吹、上越、米沢、仙台etc
          被差別部落以外の一般地区にあるのも当たり前。元々、白山比咩神社だもんね。
          どうぞ文章の読解力を研鑽してください。それでは

          返信
          1. セツルメント筧

            愛知県の尾張から白山神社を祀らなくなったのはそれこそ昔の犬の糞並みに至る所に白山神社が有ったからだ。
            岐阜や石川もそうだが人によって被差別部落も祀っていたと書いているね。

    2. 宮部 龍彦 投稿作成者

      その通りです。そこは戦前は54世帯の部落で植杉と桜井が多いです。

      返信
      1. 藤原

        返信の場所を間違えているなw
        数々の鋭い指摘で混乱したかw
        白山神社は日光も弾左衛門支配で無くても東和町に白山神社が有る。
        岡崎市の被差別部落に白山神社が無いのは白山神社が有り過ぎて一般と公式な信仰だからだな。
        愛知県の尾張と同じ。

        返信

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