曲輪クエスト(248) 守口市 金田町1丁目

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By 宮部 龍彦

大阪にも、それなりの数の未指定地区がある。今回はその1つである。事前に地図等で調べてみたところでは、確かに部落が存在していたとは考えられるものの、そこに何か痕跡があることはあまり期待できなさそうであった。

かつての部落名は「梶北垣内かじきたがいと」。現在は金田町きんだちょうという地名になっている。戸数18の小さな部落であった。

近くのコインパーキングから探訪を開始した。

一応、ここが部落のメインストリートのはずである。この、ゆるやかに曲がった道沿いに、バナナ状に部落が存在したいた。今でこそ都市化しているが、戦前は一面に田畑が広がる農村部落だった。

浄土真宗本願寺派のお寺。これは古くからある寺で、村の寺だったはずだ。

しかし、社会福祉法人になっている。おそらく古くからの檀家で寺を維持できなくなったためと考えられる。

この自治会館の近くに公園と墓地がある。

これは明治の頃からある墓地だが、見るからにこれは部落の墓地ではない。浄土真宗が多いが、まず墓の数が18戸の村のものには見えない。

部落があった場所の、古くからの家には「南本」や「浅田」という表札がかかっているが、墓地にはそれらの名字は見られない。

やはり、ここは部落の墓地ではないだろうというのが筆者の判断である。

かつて部落だったところを歩くと、圧倒的に新しい家が多く、都市化にともない、他所からかなりの人が移住してきていることが分かる。

この細い道は、田畑の畦道みたいなところだったのだろう。そして、もとは田畑だったところに家が建てられた。

寺が部落の中心部で、その周辺の家は、間違いなく昔から家が建っていた場所だが、表札等から判断するに、明らかに住民が入れ替わっている。

都市化した部落でも、かつてのコミュニティ、住民がよく残っていることは珍しくないが、ここはほぼ部落が消えてしまっている。都市化した少戸数の部落は同和地区指定しなければこうなるものなのだろう。

逆に、仮にここが同和地区指定されていれば、大阪の他の同和地区のように周辺と比べて隔絶感のある地域になっていたことは想像に難くない。

結局、明確に部落の痕跡と言えるようなものは見つけることができなかった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(248) 守口市 金田町1丁目」への3件のフィードバック

  1. 匿名希望

    動画内で取り上げられた墓地は、オオバカ(大墓)と呼ばれたものです。オオバカのすぐ近くの家々の隙間にコバカ(小墓)もあります。

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