曲輪クエスト(230) 滋賀県 米原市 一色

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By 宮部 龍彦

米原市一色には部落がある。戦前の記録では29戸。しかし、『同和対策地域総合センター要覧』によれば1996年には133世帯あった。同和地区指定されたが、改良住宅はなく、全て持ち家であるという。

国道21号線から東海道本線の踏切をわたって部落に入った。

無論、一色全域が部落ということはない。かつて西町と言われた東海道本線を挟んで北西の地域である。

奥に見える建物が米原市人権総合センターソーシャル・キャピタルプラザ。小洒落た名前だが、要はかつての教育集会所だ。

さきほどの写真の場所から南西に向かってほぼ直線の道路があり、ここが部落のメインストリートになる。

過去の航空写真と見比べても、部落の様子は大きく変わっていないように見える。『滋賀の部落』によれば、この道に沿って部落が発展し、ついには一色本村と一体のような形になったという。

地区役員は本村と一本化されており、寺も同じで、勢力はむしろ本村に勝るのではないかという記述も。

興味深いのは、ここは元々穢多村ではなかったのだという。当初は一色村の西のはずれに居を構えた4軒から始まったが、それぞれは不浪人かいわゆる「水呑み百姓」であったという。

それが、東数キロほど離れたところの「X村」から牛馬の処理権を譲り受け、自ら穢多村になったのだという。時期ははっきりしないが、おそらく江戸時代初期の頃のことだろうという。

その時の「約定書」が存在したが、いつしか換金されてしまい残っていない。銅板の表紙の立派な書類だそうで、もしかするといつか発見される日が来るかも知れない。

ちなみに、数キロ東と言えば柏原がある。「X村」は幕末になっても穢多村として扱われたことがあったというが、現在、同和地区ないしは部落の存在を示す文献を見つけられなかった。

一色地区は東海道本線で隔てられているが、車が往来するための地下通路がある。

この通路を抜けると…

抜けた先もかつての西町に該当するのか不明である。

ここにも廃墟がある。

そして、ここから東に向かう旧中山道沿いが、たぶん一色本村である。

かつての街道だったことを偲ばせるものがある。

ここが等倫寺。真宗大谷派であり、大谷派の部落檀徒リストにも出てくる寺だが、本村と一緒であるので、特に穢寺というわけではない。

江戸時代に牛馬の処理権が譲渡されていた。そしてその権利を持つことで穢多と見なされたというのは興味深い話である。とすると、江戸時代の初期から身分は固定されておらず、途中で変わる余地があったということだ。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(230) 滋賀県 米原市 一色」への6件のフィードバック

  1. 村の変遷

    たぶんこんな感じかな。緑色は条里制の痕跡がキレイに残っていますねぇ。

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    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      条里制ですか、それは気づきませんでした勉強になります。

      返信
  2. 『米原町史』

    大井は東黒田村本郷を灌漑する天野川本流の井堰で、醒井村一色との境に
    位置したが…、天野川左岸氾濫原に位置する一色の水田を灌漑する久保井が
    大井のすぐ下流に位置するため、渇水時には不利な立場に置かれた。

    返信
  3. 三宅輝昌

    京都で家の漆喰壁が黒いのがあるけどなんなん?て京都の友だちに聞いたら、あれは被差別部落やって言ってたけどほんとなんですか?

    返信
    1. 黒漆喰

      それは嘘のようですね。松煙を使っていて、高くてムラ無く塗る技術も必要で
      高級みたいです。白と違って経年変化も少なく、特に江戸で好まれて「江戸黒」
      と言われるみたいで。

      返信
    2. 鳥取ループ 投稿作成者

      それは京都の田舎に多いですが、むしろ部落には少ないように見えました。
      そこそこお金のある家の証なのでは。

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