1935年の記録では古河市の御倉下という場所に4戸の部落がある。市史によれば、御倉下とは雀神社の北側のことであり、現在の地名では宮前町である。
住宅地区をみると、松並二丁目でも見られた「七五三掛」が少なくとも4軒あり、これは何らかの関係があり、ここで間違いないと思った。
ここが雀神社。桜が満開である。
雀神社の北側は「よくない土地」と伝承されていたという。明治時代の地図だと「悪戸新田」と書かれており、確かによくなさそうな地名だ。立地は渡良瀬遊水地の出口にあり、明治の地図だと渡良瀬川が曲がりくねっていて、大雨が降ればいかにも水に浸かりそうだ。よくないというのは、そのような災害の危険があるという意味だろう。洪水対策のためか、現在はこのように土地が嵩上げされている。
ここは市街地から近い…というよりも、古河市街の端っこで、昔の地図でも住宅は比較的多い。今もこのような住宅街だ。
畑が残り、確かに七五三掛という家があり、いずれも紛れもない豪邸だ。
墓地を見つけた。これは時宗ではないか?古河市の他の部落でも時宗は見られるので、信憑性が高まる。
この家は豪邸とは言えないが、土地は広い。
そして、神社を見つけた。八坂神社とある。そう言えば、松並2丁目にあったのも八坂神社。ここまでくると偶然とは言えないだろう。
神社の掃除をしている人から話が聞けた。この神社は京都の八坂神社がルーツで、確かにこの周辺の七五三掛家が氏子であるという。しかし、意外だったのは氏子の七五三掛家は2軒だけで、さきほどの豪邸は七五三掛でも別の系統の七五三掛。たまたま同じ名字の人が移住してきたのだという。
話を聞きながら神社の中を見渡すと、確かに「白山権現」と書かれた石碑が。やはりこれは白山神社ではないのだろうか。松並2丁目で聞いたように、あくまで「八坂神社で通している」だけではないかと思った。
もともと七五三掛家は豪農で、多くの土地を持っていたという。そして、七五三掛の小作人も七五三掛を名乗り、各所に散らばっていた。古河市に多い七五三掛姓のルーツはここなのだという。
ただ、なぜそれが部落とされたのかは分からなかった。
いずれにしても、ここが七五三掛の「聖地」であることは間違いない。100年後も七五三掛の子孫が巡礼に来れるように、この神社は出来る限り残して欲しい。
なお、御倉下という地名は、この付近に古河藩の年貢米を収納する倉、「御蔵(御倉)」があったことに由来している。
その姓はその筋では有名ですよね
つぶやきシローの出身地の栃木県野木町には同姓が集中する指定地区がありますね
あとジャニーズアイドルにも同エリア出身の同姓がいますよ(笑)
ジャニーズの七五三掛は聞いておりました。
つぶやきシローは野木町南赤塚のことでしょうか?
調べてみたところ、永塚が集中している場所が同和地区とも部落とも確証できませんでした。
写真の「青面金剛 (しょうめんこんごう) 」と言うのは、庚申信仰らしいですね。
ウィキペディアを見ました。確かにそのようですね。
アクロ → 阿久戸 → 悪戸と変遷しているかと思うが、まず「阿」「久」の漢字には
全く意味は無く単なる当て字か。当地での「悪」は、湿地帯とかで良い土地ではない
と言うことから、本来のアクロに牽強付会た漢字表記か。本当に古い地名だと漢字より
音そのものに意味がある事が多く、ア+クロで「ア」は接頭語で「クロ」は隅と言う
意味と解釈出来るのではないか。何処か中心となる地点からみた端・隅の場所と推定
します。
グーグルマップの八坂神社のコメントに雨が降ると前がすぐ水に浸かるとあるので、やっぱり良い土地ではないという意味ではないかと思いました。
「クロ」を隅という意味で使われていたのは東海地方でした。
全国的には、「クロ」は古語で「削られた」「抉られた」という意味がある。
崖地や急傾斜地に当たる場合は豪雨の際に崩壊の可能性が。河川沿いでは過去
の氾濫を表すこともある。」(「女性自身」の記事より)
白山神社は部落地域によくある?ように思うのですが、どのような関係があるのでしょうか?
関八州・甲斐国都留郡・伊豆および駿河国駿東郡の一部の長吏頭 (穢多頭)
だった弾左衛門の娘が病になり、白山さまを祀ったら治癒した事に由来。
被差別部落で白山神社を祀っているのは、おおよそ三河国・静岡県全域・
関東地方・新潟県の一部。
ググってみてください