3・11、コロナウイルス禍…危機的状況に直面した時に誰より挙措を失うのは文化人、メディア関係者といった人々ではないだろうか。そして先のコロナ自粛の中で劇作家、平田オリザ氏は面目を失った一人かもしれない。発言やSNS投稿はまとめサイト化され論評の対象になった。かつては鳩山由紀夫元首相のブレインで内閣官房参与も務めた人物で所信表明演説を演出。また鳩山元首相肝いりで永住外国人の地方参政権問題にも関与した。民主党政権下で国論を揺るがした参政権問題の渦中、彼は一体何を語っていたか。2010年12月4日、「韓国併合100年と在日のこれから」このシンポジウムにおける平田語録は実に味わい深いものがある。
コロナ自粛の中で、少なくともSNS上で最も話題を振りまいた一人が平田氏ではなかったか。演劇界への公的支援を求めるが主張もかなり迷走した印象だ。シンパからは「ネトウヨの攻撃」などとフォローされていた。しかし平田氏が語るところでは従来から左派の批判も少なくないようだ。特に政権参画してからは。
『週刊金曜日』(2016年11月11日)「民主党政権の内閣官房参与として働いた平田オリザが語る政治のリアリズムと演劇のリアル」で「民主党政権に参画した経験の意味は、今、どうとらえていますか?」という問いに対して
「僕自身は『権力の中」に入ったことで、演劇界の左側からも攻撃されました。予想はしてたけど、寂しかったですね。ああ、日本の左翼知識人は政権を取るつもりなどなかったんだ、本当はいつも反対しているだけなんだ、と。
保守層、右派から見れば平田氏も「左翼知識人」に見えるものだ。しかし「左翼」というほどの鋭角さがないし主張の強烈さもない。言論界における存在感を例えるとすると「公家」と評するに相応しい。民衆が飢饉で苦しむ中、寝殿で歌会に興じるイメージ。コロナ自粛の中で彼のもとに殺到した批判はそのような「公家臭」を嗅ぎ取ったのではないか。
シンポジウムには名うての運動家が並ぶ。一橋大学の田中宏名誉教授はもう説明の必要もないだろう。参政権運動における指導者的な存在だ。また鳥取民団の薛幸夫団長(当時)の名も。2005年“ プレ人権擁護法案”と言われた「鳥取県人権侵害救済推進及び手続に関する条例」にも関わった人物。あの日韓友好交流公園「風の丘」の記念碑にあった「東海」の文字を回復するよう要求活動を行っていた。
それから鳥取という土地柄も紹介しておこう。島根県で竹島返還運動に関わる活動家の話だ。
「鳥取県議会に陳情に行ったら議員の名刺にハングルでルビがふってあった。取り組む気概も感じなかった」
こういう土地柄だ。この地で参政権集会というのはいかにも、か。さて平田氏の話題に戻ろう。参政権において彼がブレインだったというのは発言からも裏付けられる。
こんにちは。今日はよろしくお願いします。普通の文化講演会だと思ってお引き受けしましたが、詳しく話を聞くと参政権のシンポジウムだと聞いて、私は参政権について詳しいお話はできませんが、これまで私がやってきた仕事の中から日韓の関係文化交流から感じたことをお話させていただきたいと思います。ただ、内閣官房参与として、まず本当に私は政治家ではないのですが、個人としてやはり大変申し訳ないと思っております。ちょうど1年ほど前、総理がお住まいになっている公邸によく行っていました。私は演説の原稿を書くのが仕事でしたので、鳩山前総理に「参政権を進めるにあたって国民に対していろいろと説明が必要になってくるので、いろいろと知恵をお借りしたい。」と言われました。
参政権といっても国の根幹に関わる問題だ。それを全く素人で門外漢の平田氏に託すというのもあの旧民主党政権のなんたるやが垣間見える。
しかし、ご承知のように連立政権の悲しさで、前に進まないうちに首相が変わってしまって今に至っています。客観的にみると大きなチャンスを逃してしまったなと思っています。ここから巻き返すにまた大変な時間かかってしまうかもしれませんが、次のチャンスを逃さないように、地道な努力と理解を広げていくことが重要なのではないかと思います。このことについては、第2部のディスカッションでご専門の先生方がお話されると思います。私も政府の実情については多少答えられるかと思いますので、後ほど聞いていただければと思います。
ご紹介いただきましたように、私は84年~85年に留学をしておりまして、一応、韓国語がそこそこ喋れるものですから、日韓の仕事をたくさんさせていただきました。代表作の一つである『ソウル市民」という作品は5箇国語くらいに翻訳されて、フランスではアヴィニョン演劇祭、シャイヨー国立劇場などで上演されてきました。「ソウル市民』とういうのは、1909年のソウルを舞台にした作品で、そこに住んでいる普通の日本人一家がどのように植民地支配に加担していったかを淡々と描写しています。要するに、それまでの植民地ものとか戦争ものというのは、悪い軍人が出てきたり、悪い将軍が出てきたり、悪い官僚が出てきたりするのが定番だったと思います。私は、大学で近代日本社会思想史を專攻しており、普通の人々がその当時どのように政治とか経済について思っていたかということを新聞とか雑誌とかを調べながら見ていく研究をしていました。そうやって見ていきますと、韓国の植民地化というのは政治家だけ或いは軍人だけが行った行為だけではなく、非常に単純に言えば「日露戦争にも勝って日本は一等国なの
だから、植民地の一つや二つは持とう。」という、非常に幅広い日本国民の潜在的な意識が植民地支配を実現させたのではないかと感じています。そのことをどうにかして作品にしたいと思って書いたのが『ソウル市民」なのです。それが大変評価を受けて、その後『ソウル市民1919』という1909年から10年後の生活を描きました。
ご承知のように、1919年は三・一独立運動があった年です。これは、三・一独立運動の朝、全くその動きに気付かずに、普通に日々を過ごす日本人の物語を書いています。そして6年前に、1919年から更に10年後の1929年、大恐慌直前のソウルに暮らす日本人一家を描きました。1929年辺りの当時の京城というのは大変景気がよくて、どんどんデパートが建ったりしていました。しかし、実際には日本経済自体は傾きつつあり、それがその後の満州の侵lll各に繋がるわけです。その前夜を書きました。実は来年、おそらく最後になると思いますが、1939年のソウルを舞台にした作品を準備中です。また、日本と韓国は現在、演劇界は本当に仲が良くて、非常に深い交流を続けています。実は、僕はしょっちゅう鳥取に来ています。皆さんご存知かと思いますけれども、烏の劇場という大変素晴らしい劇場、劇団がありまして、ずっとそこの応援をしてきました。
昨年は、モッカという韓国を代表する劇団に来ていただきました。今年は、日中韓3箇国でBeSeTo演劇祭を開催して、三箇作品で日韓中合同の「白雪姫」という作品を烏の劇場さんが作品を作ってくださいました。私は、この日韓中の演劇祭の実行委員をしているものですから、昨年のモッカの公演実現のお手伝いをして、今年もお手伝いをしてと、多少なりとも鳥取と韓国の交流のお手伝いをさせていただいます。
日韓交流の仕事で特に自分として大きかったのは、2002年ワールドカップの時です。今は増えてきているかもしれませんが、当時、日本の作家とかで韓国語が喋れる者があまりいなかったものですから、ワールドカップの実行委員をしていました。その関係もあって、新国立劇場と韓国の国立劇場の合同公演を作りました。『その河をこえて、五月』という作品です。これは、韓国の俳優さん5人、日本の俳優さん6人、そして作家・演出家が私と韓国側の方と両方参加して作るという本格的な日韓合同の初めての試みです。おかげさまで上演後、大変な評判を得て、日本と韓国両方で演劇賞を受賞する初めての作品になります。
このように日韓交流の仕事をたくさんさせていただいてきましたが、その中で感じたことを残りの時間でお話したいと思います。少し話は変わりますが、私は今、大阪大学にいまして、大学院生達に演劇を通じてコミュニケーション能力を高めるという授業をしています。実はつい先日、鳥取大学にもお招きいただいて1日だけ集中講義をしました。いろいろな授業をするのですが、よく使うテキストがあります。“列車の長旅で、座席にAさんとBさんが座っている。そこにCさんが入ってきて、Aさんが「旅行ですか?」と訪ねる”という設定でワークショップ型の授業を行います。意外と簡単に見えるのですが、これを高校生とか大学生にやらせると意外に難しいのです。高校生にやらせると、初対面のはずなのに妙になれなれしい話し方になってしまいます。最初のうちは、なぜ上手くいかないのかよくわかりませんでした。そこで、高校生に聞いてみると、みんな「自分達は初めて会った人と話したことがないからだ。」と言うのです。他者との接触が少ないということなのです。そうやって見ていくと一般の社会人の方でも苦手な方が多くて、中高年の男性の方でも、‘‘席の決まった宴会ならいいが、カクテルパーティは苦手”という方は結構います。急いで名刺を渡して「○○商事の△△△です」と挨拶をします。男性同士だと「今年のジャイアンツは・・・」と野球の話をしたり、話題がなくなると壁の方に下がって行ったり-みんな苦手なのだなということがわかってきて、それ以来、参加者に聞くようにしています。今日も皆さんにお伺いしたいと思います。このような列車の長旅も少なくなってしまいました。
鳥取の方は、東京に行くのにおそらくほとんどが飛行機で行かれると思います。昔は10時間ぐらいかかるか、乗り継ぎが悪いと10時間以上かかったと思います。今はこのようなボックス席の列車も少なくなってしまいましたし、このような経験自体が少なくなっていると思いますが、海外に行く飛行機の中でもいいので、他人と乗り合わせた時に、人に“話しかける”のか、それとも“話しかけない”のか、それとも“場合による”のか、どのタイプだと思いますか? “話しかける” という方はどのくらいいますか?-1割くらいですね。大体、全国的平均は1割です。大阪の人だと少し上がります。では、“話しかけない,’という方はどのくらいいますか?-こちらの方が多いですね。半分以上です。では、“場合よる’, という方はどのくらいいますか?それはどんな場合ですか?
(会場)
・自分自身が困っていた時や質問があった時。
・美人がいた時。
・困った時とか、或いは「いい景色ですね。」とか、何か話しかけるきっかけがある時。勿論、まず自分の状態が第一ですね。自分が落ち込んでいる時にはあまり話しかけません。しかし、おつしやられたように相手によることもあります。“話しかける”に手を挙げた人でも、相手がものすごく怖そうな人だったら話しかけないと思います。一方、“話しかけない”に手を挙げた方でも、例えば相手が赤ん坊を抱いていて、赤ちやんがじやれついてきたりすると「可愛いですね。」などと言うと思います。そうしないと、自分が怖い人だと思われてしまうからです。ですから、相手によって様子を見るというのが非常に大きいです。
これと全く同じ授業をイギリスの大学でやったことがあります。イギリスの学生に、「どんな場合に話しかけますか?」と聞きました。そうしたら、「人種や民族による。」という答えが出ました。日本でこの授業を何千回とやっていますが、日本ではそういう答えは返ってきません。「いろいろなところでワークショップをやってみるものだな。」と思いました。彼らの解説によると、Aさんがイギリスの上流階級の教育を受けた男性だったら話しかけないそうです。イギリスの上流階級の男性は、人から紹介されない限り他人と話をしてはいけないというマナーがあるので話しかけないのだそうです。「だから、あいつらお高くとまっているのだ。」という偏見も少しあると思いますが・・・
逆に、アメリカやオーストラリアの場合は、知らない人でもやたら話しかけてきます。アメリカでも東部よりも西部の方が圧倒的に話しかけてきます。これはおそらく、開拓からの歴史が浅く、自分が安全な者だと早く伝えたいという風土が残っているのでしょう。イギリスは、同じ英語を使っていても地域や階級によって話し方が変わってきますから、相手を紹介してもらわないと、どんな英語で話しかけていいのかなかなか決まらないのです。そうやって考えていくと、日本語とか韓国語も非常に話しかけにくい言語なのではないかと思います。日本語や韓国語は敬語が発達していますので、相手との関係が決まらないとどんな言葉で話しかけていいのかが決まりません。特に韓国語の場合には、皆さんご承知だと思いますが、年齢による敬語が非常に厳しいです。
日本語はどちらかというと社会的な関係で敬語が決まります。私はまだ40代半ばですが、大学の教員なので、別に尊敬していなくて一応敬語で喋ってくださいますが、韓国はそうはいきません。年齢によります。大学生でも1つ年上だと敬語です。今日は、在日の方だけではなくて一般の方もいらっしやるということでちなみに言っておきますと、韓匡|では大学生の割り勘はまずしません。最近は少しするようになったようですが、基本的にはしません。ですから、学部の4年生は大体お金がない時は隠れています。お腹がすいている1, 2年生は、先輩を探します。先輩の「飯食いに行くぞ。」は、「飯おごるぞ。」という意味ですし、後輩が「飯食いに行きましよう。」というのは「おごってください。」という意味です。もつと大変なのが、私達のように演劇をやっていますと打ち上げというのがあります。飲みに行きますと、その席で一番年上の人が帰るまで帰れないのです。
日本みたいに「ちょっと終電が・・・。」というのはありません。そのかわり、終電を過ぎたら一番年上の人が全員にタクシー代を配ります。儒教社会は、下の階級も大変ですが、上も大変なのです。日本は同じ儒教社会でも“なんちやって儒教”ですから、本当に“なんちやって”でよかったと思います。ただ、封建社会の時には関係が固定していたから、それでも普通にやっていけたのだと思います。今日も明日も変わらないし、所得も年齢に応じてきちんとあったのでそれでよかったのだと思います。今、私達は現代社会に生きていますから、例えば挨拶一つとっても同世代の人と初対面で会うなんていうことはしょっちゅうあるわけです。本当に困ります。
私は特に22歳で韓国に留学していて、その頃は全員が年上だったので、基本的に丁寧な言葉しか使わないのです。ですから、意識しないとパンマルが使えません。大阪大学はたくさんの韓国の学生がいまして、実は今の僕の助手も韓国の留学生なのですが、彼に韓国語を喋ると、「先生、なんでそんなに丁寧な言葉を使うの?」と、ゲラゲラと笑われます。彼らから見ると、70歳く、らいのおじいさんが幼稚園児に「これをなんとかしていただけませんか?」と言っているように見えるらしいのです。しかし僕は、相当意識しないと年下に対しての言葉が使えないので一生懸命考えて使うのですが、それが同世代だと本当に困るのです。
ところが、言語というのは上手くしたもので、これも皆さんご承知だと思いますが、韓国語の場合には、挨拶の相当初めの段階で相手の年齢を聞くという習慣あります。大体、「何年の生まれですか?」とか、あと干支を聞いたりして、そこからコミュニケーションが始まります。しかし、男性はそれでいいのですが、私からすると女性にいきなり年齢を聞くというマナーが慣れません。韓国の若い留学生に聞くと、「元々そういう習慣なので、年齢を聞いても若い女性は嫌がらない。」と言うのですが、韓国とお付き合いを始めて25年、やはりまだ女性にいきなり年齢を聞くのは失礼なのではないかと思ってしまいます。
そこで私の場合、韓国で同世代の女性に会った場合に、「学生時代、デモは大変でしたか?」と、まず相手の年齢を推測して喋ります。非常に面倒くさいです。僕が留学していた84年~85年はちょうど全斗煥政権末期で、僕は廷世大学に通っていましたから、もう毎日デモでした。それより後になると、今度は民主化でデモはそんなに過激でなくなり、それより前はデモもできなかった世代です。逆のこともよく報告されています。今、日本から韓国に行く観光客の8割は女性なのですが、日本から行った女性観光客が韓国の男性からいきなり年齢を聞かれて不愉快な思いをしたという報告が非常に多いです。仕方がないですね。向こうの人は年齢を聞かないと、とにかくコミュニケーションがとれないのですから。
このように、人に話しかけるという行為一つとっても、お国柄とか民族性とか国民性というものが表れます。ちなみに、アイルランドのダブリン市立大学で同じ授業した時には、全員が“話しかける”に手を挙げました。ですから、“場合による”という話しさえできませんでした。ダブリンというのはギネスビールの発祥の地でパブの文化があるものですから、会社帰りにみんながパブに行って立ち飲みのビールを飲んで、大画面のテレビでサッカーを見て、知らない人同士が肩を組んで、ワーッと盛り上がるという国民全員が阪神フアンみたいな国です。ですから、本当によく話しかけてきます。イギリスとアイルランドは隣の島で同じ英語を使っていますが、“話しかける”というコミュニケーションの民族性はこんなにも違います。ちなみに、韓国でこの授業をしますと、日本よりは少し話しかける人が多いです。大体、2割か3割くらいです。日本は、世界標準よりも少しと大人しい民族だと言えるかもしれません。私達は演劇をやっているので、俳優は台本を貰うと役作りをします。今、「旅行ですか?」というセリフが問題になっていますが、「旅行ですか?」のセリフをどう言おうか考えるわけです。その時に、「この人は上品な人なのかな?」、「ちょっと品のない人なのかな?」、「積極的な人なのかな?」、「大人しい人なのかな?」と、いろいろ考えてセリフを言います。しかし、Aさんが何人なのか、或いはこの台本を書いたのが何人なのかによって、この「旅行ですか?」というセリフの意味は大きく変わってきます。要するに、「旅行ですか?」という言葉は、フランス語に翻訳しようが、英語に翻訳しようが、韓国語に翻訳しようが同じです。特に韓国語に翻訳した場合、直訳できるので全く意味の取り違いはありません。ところが、その意味は民族によって随分変わってきます。だって、アイルランドでは100%話しかけるのです。この前、フイリピンからきた留学生に聞いたら、「このシチュエーションで話しかけなかったら失礼だ。」と言っていました。しかし、日本では話しかける人が1割しかいません。ということは、プロの俳優がAさんの役をやる時、おそらく少しずうずうしい人、少し積極的な人という役作りをするでしょう。そして、これがイギリスの上流階級の紳士だということになると、逆に失礼な人、教養のない人ということになるので、全く同じセリフでも役柄が全然違ってきてしまうということなのです。このように、人間には話し言葉、コミュニケーションの個性というものがあります。この個性は、白人とか黒人とか黄色人種という大きな枠組みと、それから、同じ日本人でも話しかける人もいれば話しかけない人もいるという一人一人の個人差との両方があります。皆さんの顔立ちが大きな枠組みと小さな枠組みに分かれるように、話し言葉にも大きな枠組みと小さな枠組み、国民性みたいなものと個性があります。或いは、言葉から受けるイメージも人それぞれさまざまです。少し難しい言葉で‘‘コンテクスト”という言葉があります。“コンテクスト”というのは“文脈”という意味ですが、ここでは“どんなつもりでその人がその言葉を使っているか”ということです。俳優は俳優のコンテクストがあり、どんなつもりでセリフを放つかという個性があります。劇作家には劇作家のコンテクストがあります。
これが重なればそんなに苦労しないのですが、そう簡単には重なりません。例えば今、「旅行ですか?」というセリフが問題になっています。「旅行ですか?」というセリフは、非常に簡単なセリフです。簡単に言えそうですが、高校生がやってみると上手く言えません。しかし、上手く言えなくて普通なのです。高校生に聞くと、おそらく98%ぐらいの人が“ 話しかけない” という方に手を挙げます。ですから、簡単な言葉に見えますが、実はその子のコンテクストの外側にある言葉一もつと簡単に言えば、簡単な言葉
だが普段は使っていない言葉だということなのです。ここに俳優の演技の落とし穴があり、そしてそれがコミュニケーションの落とし穴にもなりやすいのです。
どういうことかというと、なまじ近い物だから差に気がつかないのです。もう少し離れた文化だと気がつくでしょう。例えば、チェーホフという100年前にロシアに生きていた作家がいます。彼の作品は100年前のロシアが舞台になっていますから、意味がわからないセリフがたくさん出てきます。例えば、「銀のサモワールでお茶を入れてよ。」なんていうセリフが出てきます。この中で銀のサモワールでお茶を入れたことのある人はいますか?-いないですよね。たまにいます。15年間、ワークショップのお仕事をやってきましたが、今まで23人の方がおられました。銀のサモワールとは、紅茶を入れる壷みたいな機械で、よくロシア料理店に飾ってあります。昔の新劇の方は真面目だったので、壁があると一生懸命百科事典で調べたりとかロシア料理店に行って触らせてもらったりして、「こ
れが銀のサモワールか。」と把握をして演技に反映するのです。これが昔の新劇のリアリズムの考え方です。私達のような小劇場とかアングラの出身の人間は、わからないセリフは早口で大声で言ったりしてごまかすのですが、ごまかすなりに一応考えます。どう考えているかと言うと「銀のサモワールってなんだかわかんないな。わかんないけれど、まあ観客も分かんないだろうから適当に言っておけ。」という考えなのです。考えているが言い過ぎだとしても、壁は意識しています。しかし、こちらは意識しないでしょう。「”旅行ですか?”って何? “旅行ですか?”ってどう言えばいいの?」と、考えないところに落とし穴があるのです。実は、日韓の交流にも、この落とし穴がある。そして、日韓交流の面白さも意義も、ここにある。この近さがある意味中途半端な近さであるのではないかということです。ついつい同じだと思ってしまいます。演劇というのは言葉を突きつめていく作業なので、25年韓国と付き合ってきても、「こんなに違うのか。」と思うことが本当によくあります。例えば、これは皆さんの方がご承知だと思いますが、韓国ではお食事の時に箸とスプーンを使います。おかずは箸で食べて、ご飯とスープはスプーンで食べます。このルールを、韓国人の役をする日本人のプロの俳優に教えます。そうすると、俳優ですからきちんとできます。ところが、セリフを喋っているうちに、どうしても無意識にお茶碗を持ち上げてしまうのです。韓国で料理を食べる時、お茶碗を持ち上げてはいけません。しかし、無意識に持ち上げてしまいます。その時に初めて、日本人の俳優は自分達がどのように(How)茶碗と箸でご飯を食べているのかに気がつくのです。おそらく私達日本人が、自分達は茶碗と箸でご飯を食べているということを認識したのは140年前です。ヨーロッパから大量の文明が入ってきた時に、世界にはナイフとフオー
クでご飯を食べる人種がいることを知り、自分達は箸と茶碗でご飯を食べることを認識したのです。しかし、認識するだけでは演技にはなりません。“どのように”というのが必要なのです。“どのように” ということを認識するためには、実は近い文化に触れることしかその認識を深めることはできないと思います。要するに、箸とスプーンを使ってご飯を食べるのだが、おかずは箸、ご飯とスープはスプーンという|司じものを使っているのだが別のルールで食べる人達に出会った時に、初めて私達日本人もどのように生きているのかということを発見できるのです。これが異文化に触れること、しかも近い異文化に触れることの最も重要な価値ではないかと僕は思います。このようなことは、演劇をやっていると本当にしょっちゅう出てきます。例えば、先ほどご紹介した『その河をこえて、五月」という2002年に作った作品です。これは、韓国語を習っている日本人達が漢江の河原でお花見をするという設定です。そして、そこではそのクラスの先生の家族もお花見をしていました。この2つの集団が、仲良くなったり、喧嘩したりしながら、だんだん距離が近づいていくというただそれだけのお話です。
三田和代さん扮する初老の主婦がお弁当を用意します。そして、お弁当をバツと開くと、玉子焼とかタコのウインナーとかいろいろな日本のお花見らしいものが入っていて、クラスメイトが「はあ~、懐かしい。」と喜ぶシーンを描きました。これは要するに、三田和代さん扮する普通の主婦が旦那さんの赴任についてきて韓国語を習うという設定で、そういうところを象徴したくてきれいなお弁当のシーンを作ったのですが、台本の読み合わせの時に、韓国の俳優達が「タコのウインナーって何だ?」とポカンとしていて、「そうか。知らないか・・・。」と思いました。ウインナーも食べるしタコも食べるからタコのウインナーもあると思ってしまったのですが、ないらしいです。本当にないのかは知らないです
が、とにかくその俳優達は知りませんでした。翌日、私の演出助手がタコのウインナーを作ってきてくました。ところが、「ふうん・・・。」と、何も感心してくれないのです。その時初めて、「そういえば、韓国の人はあまりお弁当
の見た目に凝らないな。」ということを思い出しました。というか、逆なのです。日本人が少し異常で、新婚の夫婦がグリンピースでハートマーク作ったりしますが、そういうことをするのは日本人だけのようです。僕の友人にお父さんが日本人でお母さんが韓国人のハーフの子がいて、その子が昔言っていたことを思い出しました。その子は小学校の頃、遠足が嫌だったそうです。それは、自分のお母さんは韓国人でものすごく料理が上手いのに、お弁当はいつもおにぎり3つだけとかあまり飾り気のないお弁当で、それがすごく嫌だったのだそうです。しかし、その時はそれを聞いていても身にしみてきませんでした。それが演劇をすることによって初めて「そうなんだ。ここが違うんだ。」ということが発見でき
ました。そういうことがたくさんあります。要するに、近い文化に触れるというのは、そういうことに意義があると思います。先に進みます。チエーホフは100年前の話ですが、50年ほど前にテネシー・ウイリアムズという作家がいました。この作家の作品が50年ほど前、1950年代に日本に紹介され始めます。その後、
杉村春子先生の『欲望という名の電車』が大ヒットしました。その中に「ボーリングに行くよ。」というセリフがあります。ところが、当時の日本の俳優達はボーリングを知らなかったので、翻訳した先生のところに「ボーリングって何ですか?」と、聞きに行きました。すると、翻訳した先生も今みたいに自由にアメリカに行ける時代ではないので、ボーリングを見たことがありませんでした。そこで、辞書で調べて「ボーリングとは、どうやら鉄の玉で棒を倒す遊びらしい。」と、伝えたそうです。これでボーリングの意味はわかります
が、ボーリングのイメージはちっともつかめないし、まして「ボーリングに行くよ。」というセリフのコンテクスト、要するにどういうつもりでセリフが書かれたのかは全くわかりません。劇作家の私が「ボーリングに行くよ。」と書くということは、“ボーリングに行くこと”が大事なのではなくて、“「ボーリングに行こうよ。」と言い合う間柄” ということを客席に伝えたいわけです。皆さんは、ご自身がボーリングをする・しないに関わらず、どんな状況で「ボーリングに行こうよ。」と言うかは大体イメージできますよね。初対面の人に「つかぬことをお伺いしますが、ボーリングに行きませんか?」と言うと、変な人になってしまいます。私達は、大体「ボーリングに行こうよ。」のセリフのイメージやコンテク
ストを共有しているということになります。コンテクストとは、どんなつもりで言葉が使われているのかということです。僕は大阪大学の特に理系の学生達にこういうことに興味を持ってもらうのが仕事なので、このような話をします。コンテクストを理解するコンピューターが今、一生懸命開発されています。これができたら大儲けです。しかし、なかなかできません。人工言語とか人工知能、コンテクスI、という概念が非常に今、注目を集めています。ここでクイズを出します。皆さんに小学校’年生くらいのお子さんがいるとします。そのお子さんが嬉しそうに走って帰ってきて、「お父さん、今日、僕は宿題をしていかなかったけれども、平田先生は全然怒らなかったよ。」と言いました。皆さんは何と答えますか?
(会場)
「そうか、よかったなぁ。」
「なんで?」
「よかったね。」
そうですね。先ほど、コンピューターの話をしましたが、コンピューターにこの文章をインプットすると、主に2つの情報が集まります。1つは【宿題をやらなかった】、もう1つは【にもかかわらず怒られなかった】です。コンピューターは過去の蓄積からしか答えを出せないので、【宿題をやらなかった】に対しては、【宿題をやらなければ駄目】という答えなのです。【にもかかわらず怒られなかった】に対しては、【よかったね】、【儲かったね】という答えが出ます。しかし、子どもが本当に伝えたかったことは何でしょう?“嬉しそうに走って帰ってきた”というところがポイントです。
嬉しそうに走って帰ってきてまで“宿題をやらなかったのに怒られなくて儲かったよ” というひねくれた小学1年生はあまりいません。本当に伝えたかったのはおそらく、“平田先生は優しい”とか‘‘平田先生のクラスでよかった” とか“平田先生が大好き”という気持ちをお父さん、お母さんに早く伝えたいから走って帰ってきたのです。いいコミュニケーションというのは、基本的にコンテクストを受け止めて、しかも受け止めているということをきちんとシグナルとして返してあげるのがいいコミュニケーションだと言われています。ですから、子育てとか教育に一般的な回答はありませんが、クイズですから無理矢理回答を作るとすれば、「平田先生はやさしいね。でも、明日は怒られるかもよ」というふうに注意するのが一番いいとされています。今、私が関わっている医療の現場でも同じで、駄目な看護師さんはわかりやすいです。
患者さんが「胸が痛いです。」と言うと、「はいはい・・・じゃあ、先生呼んできます。」と自分もパニックになってしまいます。普通の看護師さんは、「胸が痛いです。」と言うと「どこが痛いですか?いつから痛いですか?」と聞きます。ところが、優秀な患者さん受けのいい看護師さんはそうしないそうです。「胸が痛いです。」と言うと、「胸が痛いですね。」とまずオウム返しで答えます。そうすることによって「私は今、あなたに集中していますよ。忙しそうに見えたかもしれないけれど、今はあなた一人に集中しているのですよ。」ということを態度によって示すのです。
それから、こういう話もあります。これもうちの大学の医療コミュニケーションの同僚から聞いた話です。皆さん、ホスピスはご存知ですね。終末医療の機関です。ここに50代の働き盛りの男性が癌で入院しています。余命半年で、奥さんが24時間ずっとつきっきりで看護しています。
ある解熱剤を投与するのですが、これがなかなか効きません。すると、奥さんが看護師さんに聞くわけです。「どうして効かないのですか?」そうすると看護師さんは、「これはこういう薬なのだけれども、こちらの薬との副作用でなかなか効かない。もう少し頑張りましよう」と、一生懸命丁寧に説明します。すると奥さんは、その場では納得します。ところが、翌日になると「なぜ効かないのですか?」と、また同じことを聞くのです。そして、また看護師さんが説明をします。これが毎日毎日繰り返されるのです。そうすると、看護師さんも人間ですからだんだん嫌になってきて、ナースステーションでも問題になってきました。ところがある日、ベテランのお医者さんが回診に行った時、やはり奥さんが「な
んで効かないの?この薬を使わないといけないの?」と、くってかかってきました。そうしたら、そのお医者さんは一言も説明はしないで「奥さん辛いね。」と言ったそうです。そして、奥さんはその場では泣き崩れたのですが、もう2度とその質問はしなくなりました。要するに、奥さんが聞きたかったことは、薬の効用なんかではなかったのです。「なぜ、私の夫だけが癌に侵され、死んでいかなければいけないのか?」ということを誰に訴えたかった、或いは誰かに問いかけたかったのです。そして、それに対する答えを近代科学、近代医学は持っていません。
科学は、HOWやWHATについては答えられますが、WHYについては、「この人はタバコの吸いすぎでした」とか「この人は食生活が悪かった。」とか大雑把にしか答えられません。でも同じだけタバコを吸っていても癌になる人もいれば、ならない人もいます。それに対する答えを医学は持っていません。では、「奥さん辛いね」と言えば癌が治るかといえば、治りません。治りませんが、ホスピスは癌を治す医療機関ではありません。治らない癌の患者さんとその家族に、残りの半年間を充実して過ごしてもらうための医療機関です。だとすれば、患者さんはどんな気持ちなのかということを汲み取れなければ治療行為にはならないのです。しかし、想像してもらえばわかると思いますが、余命半年と言われて、「残り半年間をこう過ごしたいです。」と、きちんと説明してくれるような患者さんや家族の方が稀だと思います。ほとんどの人が、泣いたり、叫んだり、パニック状態になったりします。その中で医者や看護師は、その人が本当にどう生きたいのか-1分1秒でも長く生きたいのか、痛みを緩和したいのか、家に帰りたいのか、家族と一緒にいたいのか・・・それを汲み取れないと医療行為にはならないということです。これがコンテクストという考え方なのです。
コンテクストという考え方はとても難しいようにみえますが、実際にはこれを理解できるのは人間だけなのです。コンピューターには全く理解できません。どんな脳科学者、どんなコンピューター学者に間いても、「今世紀中は無理だ。」と言います。ということは、私達が生きている問は、子育てや教育や看護や介護は人間がやらざるを得ないのです。なぜなら、子育てを経験された方はわかると思いますが、子どもに代表される社会的弱者はコンテクストでしか喋りません。「先生が好きなら、“先生が好き”と言えばいい。」と大人は思うのですが、それを宿題の形で私達に伝えてきます。全然関係のないことで気持ちを伝えようとするのです。
逆に言えば、気持ちをきちんと伝えられないからこそ社会的弱者なのです。コミュニケーションというのは、本来きちんとコンテクストを受け止められる能力を持っている人間が、コミュニケーション能力が高いというふうに言われるのです。学生達にはよくこのように説明します。例えば、18才の男の子が17才の女の子に「ボーリングに行こうよ。」と言い、それをたまたま横で聞いていたとします。皆さんはそれを聞いて「この男の子は本当にボーリングが好きなんだな。」と思いますか?そう思ったら、よほど野暮な人です。どうみてもデートに誘っているだけです。しかし、コンピューターは全くそれがわかりません。「ボーリングに行こうよ」には、好きも嫌いも入っていないのですから。こういうのを情報価値判断と言います。
その情報がどんな関係を持つのかはコンピューターには理解できません。これが理解できるのは人間だけです。普段は、このように普通に行われているコンテクスト理解のサイクルが、例えば医療現場のようにパニックが起きやすかったり、仕事場のように時間が限られていたり、学校・教室や研究室の中のように閉鎖された空間で権力構造が強かったり、そして極端な場合、植民地支配のような非常に強い権力構造を持っている場合に、このコンテクスト理解のサイクルが妨げられてコミュニケーション不全が起こるのではないでしょうか。私達は普段、できるだけ相手のコンテクストを読み取ってコミュニケーションをとろうとしているのですが、これができない環境に置かれた時にコミュニケーション不全が起こるのではないかというのが僕の基本的な考えです。ですから、個人のコミュニケーション能力を高めることはたしかに大事で、今、日本社会でヒステリックに「コミュニケーション能力・・・コミュニケーション能力・・・」と言われますが、それより大事なことは、これを阻害するシステムを除去することではないでしょうか。
どういうことかというと、少し話を戻しますが、「旅行ですか?」というセリフが上手く言えない。上手く言えないと大体、演出家は怒りだします。演出家は大体怒りっぽいので、「なんでこんな簡単なセリフが言えないの?」とか「人に話しかける時にそんなふうにしたら駄目だよ。」と言うのですが、98%の高校生は話しかけないのです。ちなみに、先ほどの茶碗の例に当てはめれば、日本人が韓国人に向かって「茶碗を手で持たないと駄目だよ。置いて食べたら駄目だよ。」と言うのと実は同じことなのです。要するに、怒鳴る演出家は自分のコンテクストを押しつけているだけなのです。例えば、チェーホフのお芝居に出ることになって、演出家にいきなり「駄目だよ、銀のサモワールでそんなふうにお茶を入れたら。」と言われても困るでしょう。
「うちでは、お茶はテイーパックでしか、入れていないです。」これなら言えるのですが、「旅行ですか」だとあまりに普通のセリフなので、言えない自分が悪いような気になります。逆に、相手が茶碗と箸という文化を共有しているから、相手がものすごくマナーが悪いように見えてしまいます。サモワールだったら、元々入れ方がわからないから、問題が顕在化しないで差異だけが残ります。ここに近い文化に接する時の難しさもあるのです。皆さんがこれまでに受けてきたコミュニケーション教育は、必ず皆さんが学校の中で受けてきた国語教育です。ここでは「旅行ですか?」というセリフを言うのはAさんですから、Aさんの努力が問われます。
例えば、朗読の時間だったら「気持ちを込めて丁寧に言いなさい。」と、先生が必ず言ったと思います。或いは、演劇の世界だったら腹式呼吸できれいに言います。アングラ演劇だったら、体を鍛えてパワーとスヒ.-ドで言います。きれいも丁寧もパワーもスピードも、Aさんの資質や努力に関するのです。しかし、先ほどお話ししておわかりのように、本当の現実社会では「旅行ですか?」というセリフを言うかどうかは、半分は相手によるのです。Cさん役の人は難しいです。話しかけやすい演技をする夛話しかけられやすい演技って何?ということです。体を鍛えたら駄目です。体を鍛えたら話しかけにくくなってしまいます。
そこで、こういう問題を関係とか場の問題として考えていこうというのが、90年代以降に出てきた新しいコミュニケーシヨン教育の考え方です。要するに、“話しかけやすいような状態になっているカゴ, ということなのです。では、実際の授業でどのようなことをするかというと、例えばAさんがサッカーが好きだったら、Cさんにサッカーの雑誌か何かを持たせて「サッカーが好きなんですか?」というところから話題に入る。これはどういうことかというと、私は今、大阪大学コミュニケーションデザインセンターにいるのですが、このコミュニケーションデザインというのは、まさにそういう考え方によって成り立っています。
私達はぺラペラと説明の上手い医者や看護師を作りたいわけではないのです。それでは駄目だというのは、先ほどのホスピスの例でおわかりいただけたと思います。本当に大事なことは、患者さんがお医者さんに質問しやすいような椅子の配置になっているかどうか、壁の色はどうか、天井の高さはどうか、受付から診察室までの道のりが患者さんを緊張させていないかどうか・・・これは全部、環境のデザインの問題です。或いは、医療過誤が起こりにくいような組織になっているかどうか、事故が起きた時に下から上に情報が伝わるかどうか・・・これは組織や情報のデザインです。もっと広げていくと、病院の建物自体が患者さんを緊張させていないか、威圧していないか・・・これは建築のデザインの問題です。それからもっと広げていくと、町の中にどこに病院があるか、交通アクセスは何がいいか・・・これは町づくりとか交通行政の問題です。要するに、患者さんがお医者さんに質問しにくいのは、お医者さんが威張っているからだけではなく、他の理由があるかもしれません。患者さんがバスを何回も乗り継いで病院へ来てへとへとになっているからかもしれません。原因はよくわからないのです。このように全体のコミュニケーションをデザインするというのがコミュニケーションデザインという考えです。この考え方からすると、Aさんが「旅行ですか?」と言えるかどうかの半分の要素はcさんにかかっています。この考え方が教育の世界でも非常に注目を集めている概念です。どういうことかというと、皆さんは演劇というと何か役になりきるとか乗り移るみたいなイメージが非常に強いと思いますが、プロの俳優がしている仕事はそうではないのです。
「普段は話しかけない自分だけれども、話すとしたらどんな自分だろうか」ということを考えて、そこから役作りをしていきます。そういうふうな共有できる部分を見つける教育です。それを普通、私達は「シンパシーからエンパシーヘ」というふうに呼んでいます。大体、「同情から共感へ」或いは「同一性から共有性」というふうに言われています。一番わかりやすい例は、いじめのロールプレーです。
今、小中学校でよくいじめのロールプレーをします。指導経験の浅い先生ほど必ず「いじめられた子の気持ちになってごらん」と言うのです。しかし、少し考えればわかると思いますが、いじめられた子どもの気持ちがすぐわかるのだったら最初からいじめないでしょう。いじめられた子の気持ちはなかなかわかりません。しかし、いじめた側にも他人から何かされて嫌だった経験はあります。これを繋げてあげるのが本来のロールプレーの役割なのです。「さつき君が○○○してあの子が嫌だった気持ちは、君が昔、△△△さんから□□□されて嫌だった気持ちと同じなんだよ」というふうに繋げてあげる。要するに、同情するというのは相手と同一化するということで、とても大変なことだし、そしてまたそれを教育でやることは危険なことでさえあります。そうではなくて、共有できる部分を少しでも見つけて、それを広げていく
ということが大事なのではないかと言われています。ここまで話をしてご理解いただけているのではないかと思いますが、僕は在日の役割というのはまさにここにあるのではないかと思っています。誤解を受けやすい言い方かもしれませんが、私達日本人はおそらく植民地支配を受けた側の気持ちに同一化することは多分できません。そしてまた、同情されるということも迷惑であろうと思います。しかし、共有できる部分を見つけることは私達にもできるのではないでしょうか。共有できる部分を見つけるということが、例えば芸術の仕事であり文化の仕事なのではないかと僕は思っています。
だとするならば、共有できる部分、エンパシーの部分をたくさん持っているこの在日の役割は、これからの日本社会にとって非常に大きな役割を果たすのではないでしょうか。日本がアジアに埋没するのではなく、偏狭なナショナリズムに陥るのではなく、日本という島国が東アジアの大陸と、どういう接点を持って共有点を広げていきながら国家として生き延びていくかを考える時に、この在日というマイノリティーの役割はこれからますます大きくなっていくのではないかというのが僕の基本的な考えです。皆さん、PISA調査というものをよく新聞でご覧になると思います。
これはOECDがやっている世界共通の学力試験です。3年に1回、世界中の15歳の子ども達が試験を受けます。この読解の科目が、日本の子ども達は8位から14位、そして14位から15位とじり貧になって学力低下問題の一つのきっかけになりました。実際には参加国数がものすごく増えているので、有意な数字で日本の子どもの学力が低下しているわけではないのですが・・・。いろいろと細かく見ていくと、白紙回答率が高いとかいろいろな問題がありますが、それは今日の主旨ではないのでとばします。常に1位をとるのはフィンランドです。フィンランドの国語教育が注目を集めていまして、フィンランドの国語教科書が日本で翻訳されて出版されています。関心のある方は見ていただきたいのですが、その中でもぜひ見ていただきたいのが、各単元の最後が大体、演劇的な表現になっています。例えば、“今日読んだお話の続きを考えて人形劇を作ってみましょう”とか“今日読んだ小説の中で1番好きなシーンを演劇してみましょう”とか“今日のデイスカッシヨンを利用してラジオドラマを作ってみましょう”と、必ず集団でする表現なのです。
なぜかというと、要するにフインランドメソッ~卜に代表される今のヨーロッパの国語教育の基本は、「インプット、つまり感じ方は人それぞれバラバラでいい。しかし、いろいろな民族が集まっていますから、例えば先ほどの話しかけるかどうか一つとっても、話しかけるという行為を失礼だと感じる民族もいれば、話しかけなければ失礼だと感じる民族もいて当たり前。だから感じ方はバラバラでいいのです。しかし、そのバラバラの人間がどうにかして集団として生きていかなければいけないので、アウトプットは集団で一定時間にきちんと答えを出しなさい」というのがフィンランドの国語教育の基本なのです。演劇というのは、まさに時間が限られていて必ず幕が開きますから、その間にどうにかして結論を出して人に見せなければいけません。ですから、演劇は多文化共生型社会という意味で非常に役に立ちます。
実際に演劇教育が盛んなのは、カナダとかオーストラリアなどのやはり多民族国家です。これは、今まで、私達或いは皆さんが受けてきた国語教育と正反対になっていることがわかると思います。私達はどちらかというと、「この作者の言いたいことはなんでしよう?50字以内に答えなさい。」というようにインプットを強制されて、そしてアウトプットは個人の自由だと言って、作文だとかスピーチとかは大体個人に任せられています。しかし、普通の社会はどちらの方が近いでしょうか?アウトプットがバラバラでいいなんていう会社があったら、すぐに潰れてしまいます。しかし、どんな企業もいろいろな意見が必要なのです。OECDがPISA調査を行うというのは、要するに世界のルールが変わったということです。世界のルールは多文化共生なのです。多文化共生というのはどういう意味合いかというと、基本的にどんな国家、どんな社会、どんな企業、どんな学校も、さまざまな民族、さまざまな人種、さまざまな価値観、さまざまな宗教的背景を持った人間がいろいろいた方が、最初は大変だけれども最終的には強い力を発揮する、組織が持続するという考え方なのです。
例えば、先日まで名古屋で行われていた「生物多様性会議」も同じです。生物にしても、いろいろな手段をとっていてくれた方が最終的に人間にも得だ。或いは、同じ種でもDNAの幅が大きい方がいいです。DNAの幅が狭いところへウィルスが1つ入ってくると絶滅してしまいます。経済も同じです。2年前にリーマンショックがあって、日本はサブプライムローンに手を出していないからそんなに影響がないと政治家達は言いました。それは事実だったのですが、しかし1年後、日本は先進国の中で最もGDPの落ち込みが激しかった。なぜなら、日本は一応、表面上、“ほぼ単一の民族、ほぼ単一の文化”という名の下に画一化を進めてきてしまったために、不況があると一気に全員が商品を控えてしまうのです。ニユーカマーが1割とか2割近くいる社会ならば、土地の値段が下がれば、それをチャンスだと思って買う勢力が必ず現れてくるのですが、そういったバイタリティーが日本社会自体なくなってしまっている。
もし、日本の社会と経済が再生を目指すのならば、これから必要なことは多様性です。日本社会の中で多様性を作っていかなければ、日本の再生はありません。要するに、単一の文化というのは成長期には非常に強い力を発揮しました。しかしこれは、“成熟”と言えば聞こえはいいですが、この緩やかな衰退においては、ただ単に衰退を加速するだけになってしまうのです。この衰退をどうにかして押し止めて、今の日本の豊かさを保つためには、社会の中にどうにかして多様性を確保していかなければいけません。
その中でも、在日の方達の役割が非常に大きいと思っています。繰り返しますと、OECDのPISA調査は、要するにこれからの子ども達に、「最初は少し大変だけれども、この最初の大変さを乗り越える能力をつけてあげてください。」というものなのです。それが世界の求める教育だということです。日本は、PISA調査で8位から14位、そして14位から15位となり、「大変だ。学力低下だ。」と言って授業のコマ数だけ増やして、せっかくできた総合的な学習の時間を減らして漢字の書き取りとかをやらせています。どれほど日本の40年の教育政策がトンチンカンだったかわかります。トンチンカンというより完全な鎖国状態です。
ちなみに韓国は、数年前にもPISA型の学習能力に重きを置いて指導要領を改訂し、前回のPISA調査で1位、2位を占めました。シンガポールも全く同じ政策をとっています。この点でも、アジアの先進国の中でも日本だけが完全にとり残されています。僕は、在日の方達の権利を守るのは、勿論、人権とかとても大事な基本的要素がありますが、それだけのことではなくて、もはや日本社会の生き残りをかけた戦いなのではないかと思っています。私はいち演出家ですので、文化・芸術の交流を通じて近い文化に触れることが、実は自分達の文化を活性化させるのだ、再発見させるのだということを、ぜひ若い世代に伝えていきたいと思っております。お招きいただいたシンポジウムに相応しい講演だったかどうかわかりませんが、この後、きちんとしたデイスカッションが行われると思いますので、私は一旦、ここで終わらせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。
主張自体は旧民主党政権、あるいは現在の文科省などと符合する。しかし長い話の中で最終的に言いたいのは最後の黒字部分。日本は遅れている、韓国は優秀、というこでこういうフレーズは民団関係者は大いに喜ぶ。不思議なことに多文化共生という人々からしばし放たれる東アジア賛美、特に韓国賛美は何だろう。
さて講演会は各パネラーのディスカッションに移る。その締めとして司会者から発言を促された。話は日本人、韓国人・中国人の歴史認識問題の軋轢、そんな流れの中でこう訴えた。
私たちが耐えなければいけない痛みよりも、在日の方や植民地時代に韓国・朝鮮の方が受けた痛みの方が100倍も1,000倍も大きかったはずですから。うちの劇団はよくソウルで公演するのですが、初めて行く劇団員には必ずやはりソデムン刑務所跡に行くように言います。そして、時間がある時には独立記念館に行くようにも言います。独立記念館に行くと、必ず遠足の子どもたちが来ています。そうすると、「ここで日本人だとわかるのは嫌だなあ。」と、私でも必ず思うわけです。だって、小学生だったらめちやくちやに言われるに決まっているではないですか。でも、やはりその恐怖とか孤立とかに日本人も耐えなければいけないでしょう。日本は島国なので、普段は、そういう恐怖とか孤立を経験しないで済んでしまう社会なのです。しかし、日本人がこれから国際社会を生きていく上で、特に東アジアの国際社会を生きていく上でやはりそれでは駄目なので、悔しくてもその痛みに耐える習慣を身に付けることが、これからの日本人の課題だと思います。
韓国の徴用工問題、あるいは現在、韓国で起きている慰安婦活動の不祥事、日韓合意の白紙化、つまりこういった問題も看過しなければならないのか。日韓関係で「日本側が痛みに耐える」ことが前提ならばもう外交交渉の必要がない。全て譲歩せよとのことか。そんなことを若い世代に強いることは絶対に許せない。しかもこうした関係が彼らのいう共生、コミュニケーションとは思えないのだ。
要は“言いっぱなし ”に過ぎない。そして今も続く平田氏の韓国礼賛。むしろ韓国への敵意を増幅させている気がしてならない。
氏のお話に、内容がないというか…もう少し手短に主張したいことが言えない国語力の無さにも感動を覚えるものですね…
最後は強引すぎる日本批判ですし…
まだ.平成初期にいた日教組の先生方の方がお話は上手かったかなと思います
やれやれ…ですね
依頼した民団もポカーンって感じかもしれませんが
最後の部分で納得という感じではないでしょうか。
そもそも併合であって植民地支配してないですよね…