学術・研究:部落探訪(143) 大阪府茨木市豊川4丁目 “道祖本西”

アバター By 鳥取ループ

今回訪れた部落では、道祖本さいのもとという地名が解放同盟の支部に使われ、部落の呼称としても使われることが多いが、道祖本は本来部落の地名ではない。

明治期の地図を確認すると、本来の道祖本は現在の茨木市豊川一丁目の場所である。部落は豊川四丁目にあり、明治期の地名は「岡山」その後「西道祖本」と呼ばれるようになった。

1935年の記録では139世帯、それが1958年には236世帯となっている。明治期の「岡山」はもっと小さく、おそらく50世帯程度だったと考えられる。

おそらく「地方都市労働型」に分類されるべき部落だろう。

古い家があり、その間に新しい住宅が混じっているような状態だ。

茨木市の部落の中では一番中心街から離れており、傾斜地にある。そのため、茨木市内の他の部落よりはやや開発が遅れており、ある意味部落らしい風景を遺している部落である。

しかし、まさにここ数年の間に開発が加速しているように見える。

浄土真宗本願寺派西宗寺の周辺が昔ながらの部落があった場所だ。寺を訪れてみると、住民の名字はばらばらだ。

寺の周辺は道が細い一方で、少し離れた場所よりはむしろ立派な家が多いように感じた。また、「井戸木」という表札の家が目立つ。

ここにも昨年の台風と地震の名残であるブルーシートがかけられた家が多い。

地域の掲示板には同和だの部落だのと言ったものはない。

…と思ったらやっぱりあった。

ここは「豊川いのち・愛・ゆめセンター」の分館。煉瓦造り風の門がオシャレ。

そして、こちらが本館。例の手配写真を職員に見せたが、知らないと言われた。茨木市内でも解放同盟との距離感は異なるようだ。

市営住宅が見える。これは山林だった場所に作られた。

古い民間の集合住宅もある。

これが市営道祖本住宅。同和住宅だが、もちろん今は一般化されている。この裏手にゴルフ場があり、昭和30~40年の頃に高校生が学校に行かずに球拾いをして小遣い稼ぎをしていると問題になったことがあるそうだ。

ここにはもう1つの名所、コリア国際学園がある。民団とも総連とも距離を置く、いわば独立系の朝鮮学校とでも言うべきものである。一条校ではなく各種学校の扱いなのだが、公金が支出されている。

その近くには差別落書きがあったとの看板が。部落絡みなのか朝鮮がらみなのかは書かれていなかった。

ここにはイスラム教徒の礼拝所、モスクもある。地方都市部落に共通している現象だが、ここでも外国人が移り住み、国際化が進んでいることが伺える。

最後に墓地を訪れた。

やはり浄土真宗が多い。

見えにくくて申し訳ないが、この墓石には南妙法蓮華経が書かれていた。

学術・研究:部落探訪(143) 大阪府茨木市豊川4丁目 “道祖本西”」への11件のフィードバック

  1. アバターA

    井戸木姓のプロゴルファーがいますね。人を糾弾でぶっ叩く「ブラク」からゴルフボールをぶっ叩く「クラブ」への乗り換え。

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  2. アバターギャラリー

    プロゴルファーなら中島常幸も群馬県の中島姓が密集している地区の出身でしたね。

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  3. アバター中世史愛好家

    道祖神(どうそじん) = 賽の神(さいのかみ)で、道祖本 → 「 さいのもと」なんですね。

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  4. アバターひで

    沢良宜で長文申し訳ございませんでした。
    道祖本大変勉強になりました。明治期は岡山で、元禄頃の地図を確認するとそこは道祖本村の枝郷で皮多村になるのではないかと存じます。
    字単位での差別と村単位(枝郷)での差別があるのでは無いかと思うに至りましたが、そうでは無いのでしょうか?

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  5. アバターひで

    江戸時代等は、差別では無くて区別だったということは考えたのですが、いかがてしょうか?明治以前から、鍛冶屋町、大工町といった同業者同士がコミュニティを形成してできた町がありますが、皮多村や夙村などはそれと同じ括りになっているだけでは無いですか?

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  6. アバターゴルフ好き

    井戸木プロは、日本男性ではじめてアメリカのメジャーに勝った人。
    何回かトーナメントでも見たが、気さくだけどプレー中はマジメで尊敬するゴルファーだよ。

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  7. アバター匿名

    そうそう!福岡や九州の一部の皆さんも知っていると思いますが西日本新聞に部落問題記事が載っています!

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  8. アバターひで

    (145)高槻市富田町のレポートは勉強になりました。本当に差別はあったんですね。本照寺はwiki(なので信憑性が?)でも、
    『特に本照寺はいわゆる大和域内の被差別部落寺院(穢多寺と呼ばれた)の統括を任され、被差別民の門徒にとっての実質的な本山として機能した(当時、被差別民は河原門徒として差別され、本山の出入りを許されなかった)』
    と記されておりました。
    その寺の石碑(寄付)に、戸伏の枝郷、橋ノ内の西慶寺と庄の方が寄付しておられます。つまり被差別部落と同和地区(指定地区)とは同義ではないのですね。土着の方はご存知なのかも知れませんが、戸伏の枝郷は全国部落名鑑に載ってないです。新しい方ががドンドン流入してきて、住民含めて橋の内や庄が枝郷だと知らない方が殆どではないかと思います。
    つまり、変な同和関連の施設など潰してしまって新しい方を住まわしていけば現在の差別など無くなってしまうのではないかと考えました。戸籍上身分は同じ。義務教育化により識字率が向上してますしね。

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