今回訪れたのは奈良県北葛城郡上牧町の部落である。
1935年の記録では279世帯の部落があったとされ、生活程度は比較的よかった。規模は前回探訪した御所市の柏原北方に近く、他の部分でも共通点が多い。
この貴船神社の鳥居から探訪を始める。今回は行きそびれてしまったが、この鳥居の先が参道と考えられ、社殿は離れたところにある。
鳥居の近くは眺めがよい。
この吉田重三郎という人物は地元の教育に貢献したことが石碑に刻まれている。石碑の有志一同の名前が1つ削られている理由はよく分からない。
この地には古墳があるというので、地図を頼りにその場所に行くと…
そこにあったのは隣保館。
一応、古墳があった旨の看板はあるが、古墳は跡形もなくなっていた。
そしてこの看板。書かれた文言からすると、既に不要なもののように思う。
「部落地名総鑑の徹底廃止」というが、民間人が勝手に売っていたものを「廃止」というのは言葉の遣い方がおかしい。この看板の存在が、ここが同和地区であることを強調している点も矛盾している。
ここには古い形式のニコイチがある。おそらく昭和50年前後のものと考えられ、早くから同和事業が始まっていたことが分かる。
そして、新しく、大きなニコイチが立ち並んでいる場所がある。比較的新しい時代の1987年から始まり、2003年に同和事業が終わった後も地区改良事業が続けられ約200億円が投じられたという。
ちなみに、家賃は月額1万円。
貴船台公園の隣のこの場所の2015年頃の様子をストリートビューで見ると…
水道料金を下げろ等、町政への不満が書き連ねられている。
実は上牧町は2009年に御所市と一緒に財政健全化団体に指定されたことがある。2つの自治体に共通する大規模ニコイチ群がその原因の1つであることは間違いない。
そして、これもまた御所市柏原と共通しているのは、ニコイチの間に豪邸が建っていることだ。
部落の墓地は少し離れたところにある。多くは浄土真宗だが、日蓮宗(あるいは創価学会)など他の宗派も混じっている。名字はいろいろだが、「吉」のつく名字は「?」の字を使っているのが特徴的だ。
こちらは西本願寺のお寺。非常に立派な寺で、会館が併設されている。
原田光博さんは無所属の上牧町議で産廃業者ですか。2011年4月24日投票の町議選では候補者中ただひとり落選しています。
『全国部落調査』に記載されている「上牧北上牧」よりも
明治22年に上牧村に併合される前の「葛下郡上牧村
枝郷東山村」の方がしっくりくるのかと。「穢東山」と記載
されているものもある様です。
ありがとうございます。検索したらこれが出てきました。
http://www.blhrri.org/old/kenkyu/project/ishin/ishin_00020.html
環境改善対策(あくまで公共事業)として多額の予算が計上されると、それに乗っかって同和関連業者や裏で繋がる暴力団がそれを巧みに搾取する。差別のない平等な生活のため?笑わせる。差別は自分たちの金儲けの一番金のかからない道具。
しかし被差別部落出身者であることで、ここでは非常に豊かな恩恵を受けられる。広い庭付きの家に住んで家賃が1万円?困窮して屋根のある家にもこと欠く人々が、まだまだ大勢いるというのに。
これでは差別感情はなくならないでしょうね。当然、先述した方々にとっては都合のいい道具が消えてしまったら金儲けが出来ない訳ですから、その方が助かるのですね。
ここの部落出身の国会議員の大臣も務めた服部安司さんが尽力して服部記念病院を設立したと聞いたのですが、写真にあるニコイチ住宅のすぐそばに服部記念病院は建っています。
しかし服部記念病院のホームページを見ても、服部安司さんの事や部落の事が書いてません。
私の認識が間違っているのでしょうか?
正しいとするとやはり同和マネーで設立された病院という事でしょうか?そ
ごめんなさい、よく分からないのです。
服部記念病院は故服部安司さんが設立したのではなく、そのお父様が記念とお祝いを兼ねて設立されたものです。同和マネーで設立されたという根拠のない話は病院にとって大変失礼ですよ。今の時代、部落という言葉は差別用語なのにホームページに表記する病院は無いでしょう?考えたら分かりませんか。
上牧町というと、桜ヶ丘の高速道路沿いに一般募集されていない格安の町営住宅があると聞いたことが。
だいたい昭和50年前後の話です。