首長の多選、地方議員の無投票当選者…毎度のことながら大都市を除けば、無風状態で終わった統一地方選挙。特に首長選ともなれば「現職有利」がゆえ劇的な展開も期待できない。「国会の質問王」、そして「脱原発区長」と左派から称賛される世田谷・保坂展人区長も三選目を果たし多選首長の仲間入り。かつての革命少年も今や立派な「体制側」の政治家だ。革命よりも「地位」に生き甲斐を見出だしたようである。
保坂展人といえば政治家というよりも「機関紙砦事件」の当事者のイメージが強いかもしれない。東京都千代田区の麹町中学時代は学園紛争の影響を受けて「中学全共闘」を名乗り、機関紙「砦」を発行。中学生ながら大学生顔負けの運動家だった。やがて高校受験をするも全て不合格になるが、その原因は内申書に活動歴を書かれたためとして16歳で東京都と千代田区に損害賠償請求を行った。本件は「思想・良心の自由」「学習権」の裁判の判例として教科書や判例集に掲載されることもある。
若くして闘士になった保坂氏は教育ジャーナリストを経て、1996年の衆議院選挙で社民党から出馬し、選挙区では敗れるも比例東京ブロックで復活当選。そして8年前に世田谷区長選に立候補し、保守分裂も手伝って当選を果たした。
「市民参加型」「市民協業」とまあいかにも“ 社民党肌”のフレーズで世田谷区長選に挑んだわけだが、当初の公約の一つに「退職金の辞退」があった。なにしろ1期4年で2050万円の退職金が支払われるため長年、批判が強かった。そこで保坂氏は退職金の辞退を訴えたが、二期目からはあっさり撤回。退職金受け取りに方針転換したのだった。
これを問題視した市民オンブズマンによると
「保坂さんに退職金について問うと“女房と話しあって、区長の仕事だけでなく政治活動もあり激務だからもらうことにした ”というのです」
なるほど全共闘少年も糟糠の妻に相談するようになったのか。確かに保坂区長の仕事を見ると社民党関係のシンポジウムや区政とは全く無関係の政治運動にも参加している。しかしそれはライフワークにすぎない。保坂の政治運動は世田谷区民の税金で支える格好だ。
4月14日、世田谷区・三軒茶屋駅前の選挙事務所で出発式が開催された。式終了後、退職金について本人を直撃すると「ご批判があるのは分かるが政治運動もあり多忙なためやはり退職金は頂くことにします」と述べた。一期目の退職金の辞退はパフォーマンスだったのか?
それでなくても区長の年収は2234万8802円と高額。これに自身の政治資金パーティーも開催できるから年収はアップするのだ。さらに区長という地位によって収入だけではなくて、政敵の批判もかわせる効果がある。
衆院議員時代は自民党・公明党とは敵対関係にあったわけだが、そんな自民党も今や「陳情」のため保坂区長への批判を抑え気味。自民としては社民党系であっても区長である以上、その立場に頼らざるをえない。
また本人もまんざらではなく最近は「私はウイングが広い(左にも右にも顔が利く)とふれまわっている」(世田谷区関係者)というのが自慢らしい。
だから政治団体とのパイプも作れ「自民党と関係が深い東京都医師政治連盟からも推薦状をもらえた」(前同)という状況だ。国会議員時代は質問王として自公政権に挑んだ保坂氏も随分、大人になったもの。
あるいは公明党になると教育や福祉という点で保坂と相性が良い。特に公明党が看板政策にする「福祉の充実」という点で思惑が一致。公明党が掲げる小中学校体育館のエアコン設置に対しても保坂は賛成する。それでなくとも公明党は体制側との蜜月をアピールしたいもの。だから保坂とは関係作りは重要だ。
本来ならば区政とは無関係の政治活動や退職金も自公がもっと検証すべき。ところが陳情、要望を握る区長職の前に緊張感のかけらもない。
弱小の社民党議員でいるよりも区長の方が安住の地のようだ。とはいっても国政への色気は抑えがたく将来的には国会議員へのも復帰も視野に入れているという。
「今回の区長選だが対抗馬の自民候補は演説会もなく運動員による組織活動だけ。立候補の届け出の時、保坂と役所で鉢合わせしたがお互い頑張りましょう、と和やかにエール交換していた。現職の保坂に勝てないし次回は国政に復帰すると見込んで顔見せ程度の立候補だった」(世田谷区議)。こんな地方首長選のぬるい環境もあり、安定を得た保坂区長。しかしかつての闘士・保坂少年はこういう大人を最も嫌ったのではないか。砦が泣いている…。
保坂さんも商売の仕方を覚えてきたってことで。
商売の仕方という以前にかつてのリベラル仲間から
「もともとビジネス左翼」という批判も声もありました。
初めて書き込みいたします。
三品さんの記事は、
鋭い批判と、
情が同居しているようにいつも感じておりまして、
そこがとても気に入っております。
今回の記事も、
単なる批判記事ではなく、
「叱咤」があるように感じました。
貴方様はメンタリストみたいなお仕事をされていますか?
実はですね、私は学生時代の1995年に保坂氏と大学で会っています。
彼が『いじめの光景』という本を書いてそれで勉強会に講師として
来ていたのですが親しい先輩が主催者だったので
保坂氏に会わせてあげるといってくれたのです。
あの頃の保坂氏はひげを生やしていかにも無頼派の文士という風体で
自分も「ジャーナリスト」という仕事に憧れていたので尊敬と羨望で
彼を見ていました。
「この前の休みは嫁の実家にいてパチンコやっていたかなあ、アハハ」と
いうまあどこにでもいる青年のようでもあり親しみを感じたのを覚えています。
保坂氏に対して叱咤激励の意図はないのですが、ご指摘の通り心のどこかに
そういう心があったのかもしれません。
ご一読頂きありがとうございました。