伊賀市の部落の特徴として、労働型部落である八幡町を除けば、見た目はあまり違和感がない、というのがある。
特に、今回訪れた寺田部落は、1934年の記録では生活程度「上」とあり、あまり困窮していなかったようだ。
思ったとおり、ごく普通の農村。道が狭いということもないし、大きな家が多い。これは部落だとは分からない。
廃墟は1~2軒くらい。この程度であれば、その辺の普通の田舎の集落にありがちなものだろう。
部落には土建屋や廃棄物処理業者が集中しているということがあるが、ここはそのようなことはない。ガレージのある、金持ちそうな家もあった。
かつての主な産業は農業および養蚕。古い農家が残っており、やはり昔からそれなりに豊かな村だったように見える。
前川のように改姓した経緯があったかどうかは分からないが、同じ名字が集中しているということもない。
ここは公民館。同和だ部落だといった掲示物はもちろんない。
家々に臭突はなく、下水は来ているように見えるが…
さらに部落の奥に進むと古い団地があった。
棟番号が書かれているので、これは公営住宅だろう。調べてみると、名前は「寺田団地」で1970年に建設された。同和事業のごく初期のものである。
周囲はごく普通の田舎の風景。
再び道を引き返すと、部落から少し離れた田んぼの中に公共施設が見える。住民に、施設が出来た経緯を聞いてみたが「あまり行かないし、よく分からない」とのこと、本当に知らないのか、知らないふりをしているのか…
しかし、これはあからさまに同和施設。部落内にはほとんど見られない同和要素がここに凝縮されているようだ。
駐車場は広く、なぜか井戸がある。
こちらは教育集会所。
部落同士で交流させることが、果たして部落差別解消につながる教育なのか?
http://blltokyo.net/sonota/toukyohoumukyokukousyou_20180824.html
こんなのが出てましたね。
解同は差別を無くしたいのか広めたいのかよく分かりません。
もっと東京の部落を探訪しろというメッセージと受け取りました。
自治体や法務局と交渉するネタが増えてよかったですね。
解放同盟は部落に関わる予算や情報や権力を「統制したい」「主導権を握りたい」というのが本音でしょう。だから解放同盟のイニシアチブを脅かす動きには「差別」のレッテルを貼る。
差別がなければ、部落に関わる予算も情報も権力も失ってしまうわけです。差別を広めた上で「差別解消」名目のさまざまな事業を行う。ついては、その事業にまつわる予算をいただく、というのが彼らのビジネスモデルです。