曲輪クエスト(81)府中市清水が丘 3丁目“谷戸”

カテゴリー: 曲輪クエスト | タグ: , | 投稿日: | 投稿者:
By 宮部 龍彦

関東では「谷戸やと」という地名が各所に見られる。谷戸というのは丘陵地や台地の端にある、水で侵食された谷状の地形のことで、関東平野にはよく見られる。水が得やすいので、農業には重要な場所だった。今もそのような場所には谷戸という地名が残っていることがある。

ちなみに、「谷」を「や」と読むことが多いのは関東で(渋谷、世田谷など)、関西では「たに」と読むことが多い(谷町、桃谷など)。

今回訪れたのは府中市の京王線・多磨霊園駅近くの谷戸だ。1935年の記録では16戸、80人の部落があったとされる。

現地にやってきたものの、あったのは普通の住宅地。かつての生活程度は「下」、農業と草履づくりが主だったというが、今は裕福そうな家が立ち並ぶ。

フェンスの向こうは東郷寺。日蓮宗の寺だが、昭和初期に作られた、東郷平八郎ゆかりの寺で、部落とは直接関係はない。

なお、東郷寺の墓地は関係者以外立ち入り禁止で、一般人が入れるのは山門まで。

この角を曲がると、部落のメインストリートである「かなしい坂」がある。

玉川上水の掘削工事に失敗して責任を問われた役人が処刑される前に、「かなしい」と嘆いたことが名前の由来とされると説明されているが、そのような理由で処刑されるものだろうか? 本当は、金尻かなしり村という昔の地名に由来しているらしい。

かなしい坂を登ってみる。ここは昔からの部落の中で、古くからの住民の家もあるはずだが、ごく普通の東京の住宅地。

しかし、坂を登りきった辺りには…

空き家となった平屋が。昔、郊外によく建てられた文化住宅といった佇まいで、ここが農村だった頃を偲ばせる。ここも古くからの部落の中だ。

その隣にはアパートが。部落の各所にはこのようなアパートがある。

坂があり、土地に高低差があるのは、やはりここが谷戸だからだろう。

緑豊かな住宅地。

もちろん、同和だ部落だのといった掲示物はない。

ここが町内会館。公会堂という名前に歴史を感じさせる。

その近くにある、お稲荷さんが併設された白山神社。

神社の鳥居は1980年に建て直されたものだという。古くからの住民には、古川、池田という名字が多いようだ。

そう言えば、さきほどの古い家の隣にあるシティハイムの名前も古川。この部落も都市化により、古くからの住民は地主となり、豊かになったことが分かる。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

wp-puzzle.com logo

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)

曲輪クエスト(81)府中市清水が丘 3丁目“谷戸”」への16件のフィードバック

  1. 篠塚姓や杉本、矢野、斉藤、長沢の姓がいるね
    第三寿コーポの前に墓がありその奥に細い路地があるが見なかったのかな

    返信
  2. 前回の喜多見や谷保の杉本部落はこの部落の配下だったんだな
    杉本重利さんは昭和十年に奥沢と等々力の部落は消滅したと書いている

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      都内に、他に見所があれば教えてもらえませんか? 特に今戸辺りで。

      返信
      1. 杉本さんは消滅ではなく解消したの間違いだから土着の小頭はいるかもね
        今戸周辺は杉本さんは花川戸に義兄がいると書いていた
        それより今戸白山神社神主の中森姓、中森明菜の親父さんの故地のこれだろ
        親父さんの故郷かい
        http://stat.ameba.jp/user_images/20121117/08/camumiya/1b/e6/j/o0456053512289421575.jpg
        http://stat.ameba.jp/user_images/20121117/08/camumiya/9f/7c/j/o0456046712289421577.jpg
        http://stat.ameba.jp/user_images/20121117/08/camumiya/d5/61/j/o0458089812289421576.jpg

        返信
        1. .

          今戸白山神社神主の中森家は長吏身分ではないだろう。少なくとも『千葉県の歴史』にはそう書いてある。

          返信
          1. 千葉県の歴史なんて大雑把な書籍を根拠に出すなな三品
            すくなくとも彼処は中森部落や

          2. .

            『千葉県の歴史』全39巻は千葉県が18か年計画で刊行した最も権威ある県史である。「大雑把な書籍」ではないよ。

            おいキチガイのℵ=打桐豊成、なぜお前は今戸白山神社神主の中森家と志木市の中森部落が関連していると思うんだ? まさか「苗字が同じだから」じゃないだろうな。それこそ大雑把な妄想だね。

  3. かさ

    広島の尾道の商店街裏に土堂という部落があります。以前たまたま踏み入れたのですが昔の面影がよく残っていました。是非時間があれば特集お願い致します。

    返信
      1. かさ

        それを見たのは2年前なのでまだ残っているかと

        一般人の私はあまりの雰囲気に圧倒されるほどの現存ぶりでしたので楽しみにしております。

        返信
  4. クリーム

    10年ほど前で今はないかもしれませんが、奥沢神社の裏あたりに舗装されていない細い道でアパートと家庭菜園的な小ぶりの農地があり驚きましたが、あれはいわゆる路地かどうか。

    返信
  5. 匿名

    2018年じゃ当時の面影なんて残ってないでしょう。1970年前後は今の谷底にある住宅街は沼地で、ザリガニ取りに行くと蛇があちこちにいた、沼の畔には朽ちた一軒家、高台にある東郷寺の法面を削った場所にもポツンと一軒家、いかにもって雰囲気の場所だった。他所から越してきたばかりのガキの頃だったから当時は気にしてなかった、他にも色々あるが…おっと誰か来たようだ。
    #be5f215c82124b4cc0c170b8837a00d7

    返信
      1. 匿名

        青っぽいのや茶色いの、赤いのはマッカチンなんて呼んでました、アメリカザリガニですね。それにしてもザリガニに興味をお持ちですか、やはりプロフィール通りの変わった御仁のようで、いや決して悪い意味ではありません(笑)
        #be5f215c82124b4cc0c170b8837a00d7

        返信