朝熊町は旧集落と、新しく切り拓かれた大久保地域でかなり様相が異なる。そこからさらに北にはゴルフ場があり、1994年に開催された「世界祝祭博覧会」(まつり博・三重’94)の会場跡がある。
まつり博の時は、近鉄朝熊駅が最寄り駅の1つであったため、朝熊駅から会場へ向かう人や車の列で部落内は賑わったという。
大久保には団地形式の市営住宅の他、大規模なニコイチ群がある。
農村部では珍しい、改良住宅店舗がある。残念ながら今日は閉まっていた。
※数年前に店舗は閉店したとの情報がありました。
改良住宅店舗には、なぜか共産党の張り紙が。ということは、おそらく店舗経営者は民商だろう。
かつて、この部落には「三重県部落解放運動連合会伊勢地区協議会」つまり全解連があった。解放同盟だけでなく全解連も同和事業の窓口となり、それなりの存在感があったものと考えられる。
ただ、「寝た子を起こすな」という雰囲気は一切ない。もう1つの隣保館である大久保市民館には水平社宣言の一節が刻まれている。
掲示板にはあまり同和を主張するものはない。
この部落の事情をよくする人物によれば、「解放子供会」のような活動もあるにはあったという。ただ、部落の一部の子供が参加していただけで、参加していない子供も多かったという。朝熊闘争があり、大規模な同和事業が行われたが、全ての住民が同じ方向を向いているわけではなかった。
確かに、朝熊部落が貧しかったのは事実で、平成の前半くらいまでは老人に文盲が多く、識字教室も行われていたという。
大久保地域には臭突は見られない。マンホールがあるので、下水道が整備されているようだ。運動だけでなく、事業のやり方もちぐはぐな印象だ。
こちらは集会所。夕方に訪れたので、もう日が暮れてしまった。
旧集落と大久保の間ににある坂道に戻ってきた。ここには教育集会所があるが、高台にあるため、この急斜面を登らないといけない。
高台には浄土真宗本願寺派の寺があり、教育集会所はその隣にある。たぶん、寺が敷地を提供したのかも知れない。
ほとんど夜景になってしまったが、教育集会所から部落を見下ろした。
部落の住民の意識では、朝熊闘争は昔のことで、特に若者にとっては南部と北部で垣根はなく、差別を感じることはないという。町内会は違っていても、同じ朝熊の住民という意識である。高速道路の朝熊インター、絶景が広がる朝熊山の展望台があり、「朝熊」という名前には知名度があるので、郷土愛は強いように感じる。
ただ、若者はなかなか地元に居着かず、9割は出ていってしまう。伊勢市自体が人口が減り続けている。
これは「草履替え岩」。朝熊の部落からまつり博会場跡方向に行く道の途中にある史跡である。