神奈川県最大の部落は秦野市曽谷だが、神奈川県で最も人気があると思われる部落は、横浜市の六浦にある。1934年の記録では戸数49,人口276。
しかし、六浦は戦後に同和地区指定されることはなく、いわゆる「未指定地区」とされている。
侍従川にかかる新川橋を渡る。川べりに牡蠣がびっしりと付いていることから、ここまで海水が入ってきているのが分かる。
そのまま真っすぐ進むと郵便ポストがある。そこに、「海抜1.5m」との表示がある。海岸からは1Km以上離れているが、津波や高潮が来た時はおそらく川を遡上してくるので要注意だ。
目的地に行くには、ここを左に曲がって進む。
途中にかつての路地を思わせる光景が見られるが、ここはまだ「六浦南」である。
途中に廃墟となった商店があるが、目的地はまだ先だ。
ゴミ屋敷の上に、白山神社の屋根が少しだけ見える。しかし、ここから白山神社には入れないので、左側の道を通ってゴミ屋敷の裏側に回る。
右側にいくつか細い路地があるが、なかなか白山神社には辿りつけない。
この路地が正解で、やっと白山神社の鳥居が見えてくる。
しかし、なんと白山神社は封鎖されて立入禁止になっていた。さきほどのゴミ屋敷はもう何年も前から存在し、白山神社にもゴミが捨てられ続けていたようで、ついに住民の堪忍袋の緒が切れたのだろう。
以下は白山神社入り口のパノラマ画像である。画像上でマウスドラッグまたはスマホを傾けることで方向を変えることができる。
こんなこともあろうかと、昨年の12月に白山神社に立ち入って撮影しておいた。
ちなみに、神道において、神の怒りに触れる罪として「糞戸」というものがある。これは神殿を汚す罪である。古事記によれば、天照大神の弟のスサノオが神殿に脱糞するなどして暴れまわったために、怒った天照大神が天の岩戸に隠れ、その後スサノオは高天原を追放されてしまった。
立ち小便を防ぐためにダミーの鳥居を建てると効果があるというのはよく言われることだが、鳥居どころかそのまんま神社の場所にゴミが捨てられ続けるというのは珍しいだろう。犯人は白山比咩大神の怒りに触れることになるのだろうか。
この白山神社は高台にある立派な神社で、辺りを見渡せる。
白山神社はポケストップになっていて、近くにはマダツボミがいた。
さらに進むと、高谷町内会館がある。ちなみに、地名に「谷」がつく場合、関東では「や」と読むことが多いのに対し、関西では「たに」と読むことが多い。六浦東の中でも、この高谷町内会の範囲が部落である。廃墟となった商店の辺りまでは「三艘」という別の町内会だ。ただ、2つの地区で格差は感じられなかった。
高谷には隣保館もなければ市営住宅もない、自然な形の住宅地であり、路地の面影も残っている。横浜市が同和地区指定を行わなかったのは、自前で地域改善が出来るくらいに財政的に豊かだった横浜市が、国の紐付きの予算を嫌ったからだと言われている。その選択は正しかったのだと思う。
町内会館の正面の路地を抜けると子供の遊び場がある。
さらに進むと、廃墟がいくつかある。二層式の洗濯機が昭和を感じさせる。一方、廃屋の撤去と思われる工事も行われていた。
さらに部落のどん詰まりまで進むと、階段が現れた。ここから先が六浦の見どころである。
この丘は急傾斜地として危険区域に指定されている。
かなりの急傾斜地にも関わらず、階段を登る途中に、何軒か民家があった。ただ、崖地が多い三浦半島では珍しいことではない。横須賀の不動産屋が紹介してくれる、間取りの割には異常に安い物件というのは、もっと凄い場所に存在することもある。
丘の頂上は墓地になっている。ここからの眺めは素晴らしい。この部落の名所は、間違いなく白山神社とここだろう。
せっかくなので、パノラマ画像を撮影した。
線路側に行くと「かながわ人権フォーラム」の建物がある。会員数11万人、会費は2000円とされるが、この建物からはとてもそうであるようには見えない。
自民党系の議員のポスターがあちこちにあった。
すごいところですね!
神社にゴミを捨てるとは、驚きます。
罰当たりですよね。いったい誰の仕業でしょう。
「これも人権派が言うところの”弱者の権利”なのだろうか」といった余計な皮肉を入れないところが好ましいと感じます。三品さんとの書き方の違いが端的に表れていますね。
2013年の橋下市長への質問にしても、問題提起そのものは藤田敬一さんの「部落解放運動とは、平地に乱を起こすことやないか。“地名を明示するな。被差別部落(同和地区)がどこにあるかを教えるな”と言うのなら、解放新聞に載る地名、荊冠旗の都府県連名・地区協議会名・支部名を全部イニシアルしなさいよ」という発言と同じ主旨なのに、訊き方が拙いから橋下にやりこめられてグウの音も出なくなってしまいました。youtubeのコメント欄でも、三品さんへの嘲罵が半端ないです。
ttps://www.youtube.com/watch?v=3kzBUiEZuWs
そうですね、そこが私と三品の違いです。基本的に別々に行動してますし、橋下市長の記者会見の件も、本人は後悔してました。
「人気がある」という表現が気に入りました。
改めて16年版の住宅地図で見ましたが、有名なせいか混住率は低そうですねぇ。
白山神社に至る路地と、その表の通り沿いに地区が南北に拡がっていて、
侍従川までが北限、墓地が南限といった感じの分布です。
時期は不明ですが、ここは釜利谷南の白山妙理大権現付近から移転した地区で、
その発祥は大阪夏の陣で敗れた豊臣家武将の落ち武者3人に由来する、
と言われてるようです。
今度は是非、由緒ある極楽寺に…。
侍従川の辺りは三船町ですが、やっぱり部落は高谷町だけなのでしょうかね。外見では三船町も高谷町もあまり差はないように見えるのが気になりました。
今昔マップの出番ですね。
三船町は今の六浦東一丁目(二丁目の西側)に当たるようです。
現在の六浦東二丁目が、ほぼ高谷地区に該当するように見えます。
(と言うかモロですねぇコレ)
二丁目が侍従川に接する辺りで、且つ一丁目との境界の通り沿いにも、
墓地や白山の奉納者として見受けられる姓の方々が住まわれてますね。
落ち武者伝説の末裔の方々です。
後、この地区をよく見ると朝鮮系の方々も混じってるようですね。
ただメインストリートはやっぱり末裔の方々が軒を連ねてます。
ネットの電話帳で調べると、近くに解放同盟の事務所があるようですね。
http://104.com/name_0457836520/
あまり人の出入りがあるようには見えませんが。
近所なのでたまに通るのですが、もはや(ごみ屋敷を除けば)ごく普通の古い街並ですね。
解放同盟が活動しているようには見受けられませんでした。部落っぽい掲示物もないですし。
横浜市金沢区六浦は、江戸時代幕藩期から明治維新まで、六浦藩1万2千石の陣屋が存在したエリアですよね。明治維新後に子爵位を授爵された藩主・米倉家の後裔に当たる人が今も旧陣屋の敷地に住んでいるとも聞きます。そういう由緒の一帯にガッツリ被差別部落が存在するというのは他所でもあまり類例が無いような印象を持ちます。不思議な感覚です。
六浦って、やはり歴史好きなひとには有名な場所なのでしょうか。
武士に由来する部落というのは意外に多くある印象です。身分というよりも経済的に没落したということが、部落が生まれる要素となっているような気がします。
記事の一枚目の写真・新川橋のすぐ近くにある中学校の目の前は、今でこそ数件の戸建てになっていますが、団塊の世代に聞いたところむかしは朝鮮部落だったそうです。
通学路上に何があるんだろうとずっと思っていましたが、中学校の廊下から見下ろすと広がっている光景に対して「あの錆びたトタンの連なり(というか塊)に人が住んでいる」とは想像していませんでした。たぶん洗濯物を取り込むとか買い物から帰ってくるとか、生活の場面を見かけたことがなかったからです。
また、この当時は部落の存在や概念すら知らなかったので、バキュームカーが来る度に臭い車きた!と思い子供心に珍しいものを見たと嬉しくすらなっていました。その程度の、なんというか無知でした。
自分が中学を卒業して以降もトタンの家の集まりはそのままの姿で存在しており、いつのまにか更地になってススキや雑草が生え、気がついたら数件の戸建てになっていたという状態です。
どこもそうかもしれませんが、人の出入りと時間を経て”馴染んだ”とも”化けた”とも”巡っている”とも感じます。こちらの記事を拝見致しましてふと記憶が蘇ったので、お裾分けとして書き残しておきます。
地元の方でしょうか。昔話ありがとうございます。
子供の頃に印象に残っている不思議な光景ってありますよね。風景が目に浮かぶようです。
同郷です。まさにその感覚を子供の頃に持ちました。親は団塊なので、同世代でしょう。川沿いの商店集落の「潮場」なんて懐かしいです。
昨日行ったらゴミ屋敷のゴミが無くなり、かながわ人権フォーラムの張り紙が無くなっていました。
これですね。白山神社にまた入れるようになってよかったです。
https://egg.2ch.net/test/read.cgi/rights/1432132887/533
「三船」という地区名ではなく「三艘」(さんぞう)です。
今昔マップで調べたら、たしかに三艘です。申し訳ございません。訂正しておきました。
解放同盟は年に2回ほど金沢区支部まとめて集まっているらしいですよ。
3年前の情報ですけど。
金沢区と言っても、部落は六浦だけですよね?
こちらは自分の母達が暮らしていた場所です。
山賊が怖がる場所だったんだよ、なんて笑い話しにしてくれますが
当時は大変な暮らしをしていたそうです。
今は綺麗になってしまったなぁ~と昔を思い出しながら母達は
よく話してます。
コメント有難うございます。綺麗になったとは言っても、何となく昔の村の面影を残しているのが未指定地区という感じがします。
関東はこのようなところが多いですね。
ここら辺は、なぜ被差別部落になったんですか?革製品や、屠殺場、火葬場等はないようですが、
落ち武者由来らしいみたいなことを聞いたことがあります
自治会町内会問題を調べていたら、こちらを見つけました。
高谷町内会のイベントに区長をはじめ、大名行列で管理職が参加していて不自然と思ったら、部落問題だったとここで知りまっした。
同地域周辺で「生活相談支援事業」がおこなわれています。
(神奈川県でも補助金が出ている感じです。未確認)
相談事業と言っても、広報とかしてないのでこの地域限定の相談事業みたいです。
団体も人権団体及び同和団体の3団体。
〇部落解放同盟神奈川県連合会横浜支部
〇神奈川県地域人権運動連合会横浜支部
〇全日本同和会神奈川県連合会横浜支部
また、「ふれあい広場フェスティバル事業補助金」て高谷町内会が行うイベントにピンポイントで補助が出ています。
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これは横浜市から出ているお金でしょうか
探求市民さんは横浜市民だったりしますかね?