京都の部落と言えば、周囲との隔絶感が半端ないと言われることがある。そういう人は、おそらくこの部落を思い浮かべるのだろう。しかし、時代の流れか、崇仁は急激な変化を迎えている。
2013年3月27日の京都新聞の報道により、京都市立芸術大学が崇仁地区への移転を計画していることが明らかになった。
従って、現在崇仁地区は開発の真っ最中である。地区の中心部ではあちこちが整地され、フェンスで囲われている。その空き地を縫うように細い道が路地の面影を残している。付近で仕事をしているという人に聞いたところでは、これらの土地は大学の敷地になるのではなく、新しい市営住宅が建設されるようだ。
筆者が訪れた時にはまだ古い住宅も残されており、路地の面影もわずかに残されるようだ。
地区の西側の古い市営住宅の中心には公園があり、公園の脇には神社がある。この神社の由来は残念ながら不明である。
この市営住宅は大学の移転に伴って取り壊される予定だ。
地区の南側の市営住宅の1階には店舗がある。
地区内には「平成の京町家」というモデルハウスの展示場があったので、入ってみた。案内の方に聞いてみると、たまたま崇仁に展示場があるだけで、崇仁に住む人をターゲットにしているというわけではないという。ただ、展示場には地元崇仁の町内会長も時々訪れるそうで、モデルハウスの中では「崇仁まちなかスケッチ体験作品展」が行われていた。
崇仁の一番の名物と言えば、写真の「ラーメン第一旭」だろう。一本道路を隔てているので正確には地区外ということになるかも知れないが、いつも行列が出来ている。いわゆる「京都ラーメン」で、京都というイメージからは意外に感じられるかも知れないが、濃い色のスープである。
線路沿いには大きく傾いてしまった神社があった。
崇仁の特徴は、都会のど真ん中にあり、京都駅から歩いて行ける距離にあるところである。
一方、京都といえば建築制限が厳しいことで有名で、崇仁地区も20メートル以上の高さの建物は建設できないことになっていたが、最近になって31メートルに緩和された。京都では外国人観光客の増加でホテルが不足しており、新たに建設しようにも制限が厳しいことがネックになっていたことが背景にあるという。
今後崇仁における建設ラッシュは加速し、数十年後にはこの部落はすっかり都市に飲み込まれてしまうかも知れない。
「周囲との隔絶感が半端ない」被差別部落なんて今でも残っているのでしょうか?
佐渡島や会津若松の未指定地区に行くと、目を疑うほどのあばら家が残っていたりしますが、
そもそも東北や北陸は一般地区でも同様の景観が多いですね。
乳児首切り事件の舞台になった糸魚川市歌も、景観だけ見ると「未指定地区か?」という雰囲気を醸し出しています。
4年前に北九州の松尾城に行った時は、やっぱり周囲は避けられている感じがありました。あの城は目立ちすぎですしね。
近くの改良住宅はかなり老朽化していました。
ただ、京都や大阪の都市部落はこれから開発が進んで、融和していくのではないでしょうかね。
大阪市住吉区浅香部落には大阪市立大学がある。部落は土地が安いから大学側が自分から部落内にやってくるのか?それとも大学が行政に認可を求めるときに行政が「あそこがいいですよ」とか言うのか?
まさか大学建設のうわさをどこかから聞きつけて解同が部落内に作れということはないとは思うが?
今回校舎をこの部落に立てる大学はこの地区が部落ということは知っているのか?京都だから知らないということはないだろう。
部落にある大学ということで学生募集が不利にならないのか。親が「あの大学は崇仁部落にあるから行くな」ということだってあり得る。
>今回校舎をこの部落に立てる大学はこの地区が部落ということは知っているのか?
知らない訳はないでしょう。
ただ、崇仁は本来であれば京都の一等地ですよ。学生には関係ないことだし、開発が進めば人はいくらでも来るでしょう。
市大があそこに移転したのは予算の問題です。地形を見ればわかりますが地盤が固いことも大学を建設するためには好都合でした。
確かによい立地であると思いますが、地形について、どの辺りがポイントか教えて頂けませんでしょうか。
地学はよくわからないもので…
まず、大阪市立大学は住吉区浅香ではなく隣の杉本町にあります。そして杉本町は我孫子台地の上にあります。その時代の技術と資本力では我孫子台地を崩して川を直線状に付け替えることができず、杉本町と堺市浅香山のあたりだけ蛇行しているのです。
また、大阪市立大学が杉本町に移転したのは杉本町近辺が台地で地盤が固いことで、大きな校舎を建てるには好都合であったもありますが、もう一つの理由は阪和線が杉本町駅を開業したからです。いわゆる駅前大学のはしりです。阪和線の前身である阪和電気鉄道が杉本町から堺市浅香山に線路を引いたのは、台地であり水害の恐れが少ないこと、架橋の距離が少なくて済んだことがあげられるでしょう。以上が地学的な理由です。
ありがとうございます。改めて地形図を見て納得しました。
大阪は全般に海の跡地ですが、大阪市立大学のあたりは少し高くなっていますね。
ココは私も作年末に訪ねました。
地区内は取り毀しが進み囲いだらけでしたが市営風呂が営業してたのが印象的でした。
私は2月に行ってきました。
皇太子殿下が何かの用事で来ていて警察が警備していました。
駅ちかなのに、なぜか寂しいので、賑やかにしていただきたいです。
すみません、昨年の11月でした。これの帰りだったようです。
http://www.kunaicho.go.jp/page/gonittei/photo/11821
部落と言われている地区にある大学は、自治体が、その自治体に大学があるというイメージアップに同和差別解消事業を含んで大学側を至れり尽くせりで誘致しての結果が大半、だと聞いたことがあります。大学側としては用地取得や整地に掛かる費用が随分と削減できるようですし、何らかの形で同和企業との契約がオプションとして付くみたいですが、それも同和差別解消に協力しているとのプラス思考にしてるらしいです。
“崇仁”が何とかなるわけがない。
鳥取ループは見えてないが俺には“崇仁”に、こびり付いている1200年の穢れが、穢気が見える。
京都 東九条 トンクも韓国・朝鮮人だけなら鶴橋・桃谷に匹敵する街になるが韓国・朝鮮人だけ住んでるんじゃない。
東九条は関西屈指の焼肉・お好み焼きの名店ぞろい、でも、勿体無いけどしょうがない。
井筒監督 映画パッチギである種の穢れが取れたと思ったが実際はまだこびりついてる。
大体若い女の子が“崇仁”“東九条”は危なくて歩けない。
崇仁部落の歴史はせいぜい350年程度。それ以前、河原者は松原稲荷町や六条河原にいた。
被差別部落としての歴史そのものは練馬谷戸や鎌倉極楽寺の方がずっと古い。
また変な人が現れた…
これを言うのはイヤだけど京都の部落民の何割かは基地外奴隷商人、秦氏が縄で
縛って連れて来た奴隷の末裔。場所移動させても1200年の歴史はある。八瀬童子
も間違い無く桓武か桓武の息子の天皇が東北から連れて来てる。
基地外奴隷商人、秦氏。秦氏ある所に古墳と奴隷(部落)あり。
八瀬村は別に被差別部落じゃないだろう。『全国部落調査』には載っていない。
鳥取さま 三品さま
全国部落調査の情報を秘密にしたいと頑張って解放同盟とシンクロして、
NTTの個人情報も秘密にしたいと頑張っている団体は、「幸福の科学」のようです。
組織的にやっている感じがしませんか?
幸福の科学は、えせ同和団体ではないのでしょうか?
http://info.hr-party.jp/2015/5007/
大川隆法の子供がいじめられたと大騒ぎになった事件があったようですね。
港区立白金小学校
なんといじめ事件まで起こしているとは!
http://spiruna.blog89.fc2.com/blog-entry-632.html
ところが、これがバラ撒かれた抗議ビラによると、こうなるのだ。
〈教諭・校長らのもとで組織ぐるみの隠ぺいが!〉
〈5年生児童が長ぐつに大便を入れられ、クラス中から笑い者にされるいじめ事件が起こった〉
〈教員同士のかばい合いと自己保身のため、口裏を合わせて組織的にいじめを隠ぺいしている〉
そして、大川総裁夫妻も、このビラと同じ趣旨の抗議を、学校と教育委員会の双方にしているという。
白金小学校は同和地区なんでしょうかね。
確かに八瀬童子は部落じゃない。御所警備の隼人と同じ待遇、、でも無理やり連れ
て来られてる。連れて来る時、何か基準があったのか?東北女だけ連れて来て、こ
ちらの貴族が自己種付けし八瀬童子と言う一族を作ったのか?。
余り想像すると胸糞悪くなる。
私は京都の人が嫌いですね
まさに差別している人が多い印象です
人権意識のかけらもない
日本の恥ですね
「京都ぎらい」という本が話題になっていますね。
ただ、市街地の人が郊外の人を田舎者と見下すのは全国各地であるように思います。
鳥取市でも、千代川の向こうは「あそこは鳥取ではなくて鹿野だ」という意識がありますからね。
↑
それは否定しませんが、京都というのはそれが特別に強いと思いますよ。
市内 なのに伏見というと田舎者扱い。
疎水で琵琶湖の水を分けてもらっている恩を忘れて滋賀県は滋賀作などというし、歴史の厚みでは負けている奈良も田舎者扱い、大阪も品がない、ガラが悪いと。
それをいうなら京都にもSやK、MT、SAなどガラの悪いところはいっぱいあるのに。
京都人が見下さないのは東京、神戸、横浜くらいでしょう。
東京には異常なくらいのコンプレックス、まあ都の座を奪われたんだからしようがないわね。
神戸、横浜などにはハイカラ、モダンコンプレックス、これらの街には卑屈なくらい、見苦しいこと夥しい、それが京都。
京都市立芸術大学移転後しか知らなくて以前の崇仁地区を検索しているうちにここへ来ました
京都駅至近の一等地にありながら何十年も足踏みしていた開発を進める起爆剤として当時の市長が市立芸大をあそこへブチ込んだと聞いております
周辺にはまだ空き地(市有地)がたくさんありますが、大学が出来て地価爆上がりで大学建設費を払っても十分お釣りがくるほどの含み益を京都市は得たようです
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