アイヌ協会も支部によって考えは様々であり、また旭川のように独自路線を突き進むアイヌがいる。一方、「アイヌ利権」を追求する側の思惑も様々だ。
2014年9月20日、金子市議応援セミナー「絶体絶命・金子市議、アイヌ利権の闇を語る」が開催された。このセミナーを主催したのは、札幌市の保守系政治団体「日本のため行動する会」(日行会)である。
セミナーの表題通り、この時金子市議は絶体絶命で、札幌市議会で議員辞職勧告が決議される直前だった。
保守系団体主催で、金子市議が元自民党会派ということもあって、セミナーの参加者の多くも自民党・安倍政権支持ではあるのだが、この場は「オフレコ」ということで、ここぞとばかりに、公明党との連立にからむ自民党のあり方や、自民党の一部の国会議員を批判する発言が飛び交った。
特に北海道、そして自民党の重鎮、町村信孝前衆議院議長(故人)に対しては、辛辣な声が多かった気がする。町村氏といえば自民党内保守グループ「清和会」を森元首相から引き継ぎ、町村派として派閥の長となった。このため”タカ派”のイメージが強いと思いきや、アイヌ問題に対するスタンスは”ズブズブ”。「オヤジの金吾(元北海道知事)の時代からアイヌにバラマキを始めた張本人」「金子議員をかばわなかった」といった声が漏れた。官房長官時代には、「アイヌ政策のあり方に関する有識者懇談会」が開催され、「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議、国会両院で採択」でも一役買った。
そして、このセミナーの中盤で演壇に立ったのはアイヌ研究者・河野本道氏である。
実は、筆者がこのセミナーに参加した主な目的が、河野氏の講演だった。そして、河野氏は約半年後に他界することになるので、河野氏の講演を聞くのはこれが最初で最後になってしまった。
河野氏は、かつてのウタリ協会と決別した理由を次のように語った。
「歴史づくりを外注するようなものなんです。研究者に自分たちの都合のよい歴史を作ってもらって、それを武器にして行政にねじこむ。そういう魂胆が見えたわけです。そうはさせないぞというのが私の生き方であって…」
そして、アイヌは本州の同和行政とは一線を画していたのに、同和行政で多額の予算が出されたのを見て、やっぱりアイヌの側がそれを欲しくなった。そういう経過があったという。
2008年の「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」は、「アイヌ」も「先住」も「民族」も何も明確な定義がないままで、「アイヌのことを大事にも思っていない国会議員」が何も議論せずに決めてしまったこと、というのが河野氏の主張だ。
河野氏の後、セミナーのトリを務めたのが金子市議本人である。金子市議は、今回の経緯を説明した。
問題が拡大した発端は、8月16日に毎日新聞が報道したことである。金子議員は特に悪意はなく、当然のことを発言したつもりであったので、毎日新聞の取材には素直に答えたという。
8月18日までは、自民党会派は発言は問題ないという見解だった。その時点の見解の内容が次の通りだ。
(今回の発信の真意と認識)
今回の金子議員の「ツイッター発言」につきましては、これまでも金子議員が取材等で発言されておりますように、アイヌについて否定するものではありませんし、アイヌの歴史・文化を否定するものではありませんが、金子議員は、百科事典に記載されており、アイヌの言語学者であり北大の教授でありました、知里真志保(ちりまちほ)教授が瀬地名に使用していた内容を引用したとのことであります。
※引用した内容は、一般的な百科事典であり、問題ある内容とは考えていないものであります。
(会派としての見解は)
アイヌの歴史、文化等に対する考え方は、人それぞれ多様な意見がありますので、会派の中でも金子議員の考え方だけではなく、全く違う考えをお持ちの方もいるものと考えます。
(会派として統一的な見解は示さないのか)
アイヌの歴史や文化等を否定するものではないことは、統一されている見解でありますが、その施策等への対応については、議員個々人によってアプローチの仕方は違いがあると考えます。
8月21日にNHKの報道があってから、公明党や野党から議員辞職を求める動きが広がり、自民党会派からも金子議員に「インターネット禁止処分」が出されてしまった。
8月28日には自民会派から会派離脱勧告が出て、9月1日付けて金子市議は自主的に会派を離脱。
この日に「少数民族懇談会」と名乗る団体が事務所に直接抗議に訪れたのだが、この団体の電話番号を調べると、なぜか共産党の事務所の番号だった。他に、2団体が直接抗議に訪れ、9月4日には、なぜか福岡県の「部落解放同盟飯塚市協議会」から金子市議に郵送で抗議文が届いた。
9月10日には自民党から除名された。そして、予定通り9月22日には議員辞職勧告決議案が可決されたのである。
セミナーの後、懇親会があり、セミナーの参加者に話を聞く機会があった。やはり、ほとんどの参加者は札幌周辺の住民であり、はるばる本州からやってきたのは筆者くらいだ。また、日行会や保守系の政治団体のメンバーで、普段はサラリーマンなど普通の仕事をしている人というのが多かった。
ある参加者に、
「アイヌというのは北海道民にとってはどういうものなのですか?」
と問うと。
「別にどうというものでもない」
といった感じの返事だった。
例えば、小中学校の同級生にアイヌが何人かいるが、就職支度金のような制度のことを聞いても、制度の存在自体を知っている人というのが、まずいないという。
「北海道にアイヌが何万人かいて、そのうちアイヌ協会に入っているのが1割くらい、さらにその中で給付金や貸付金を受けている人というともっと限られる」
結局、北海道でも「アイヌ利権」のことはほとんど知られていないし、アイヌ民族がいるかどうかであるとか、差別がどうといったことについても、そもそも大多数が無関心なのが実情なのだという。
一方、金子発言の支持者の中には、セミナーについて次のような苦言を呈する人もいる。
「日行会のメンバーには在特会(在日特権を許さない市民の会)のメンバーがいる。(日行会の)チラシに「品位ある確実な行動を」と書いてあるでしょ。裏を返せば、品位のない行動をする奴がいるから、わざわざこんなことを書かないといけないわけ」
確かに、与党からも野党からもメディアからも四面楚歌になっている状態で、例えばどこかの労働組合が動員をかけてくれるわけもなく、協力する政治団体というのは限られてしまうだろう。
ところで、「在特会」の名前が出てきたが、このような状況こそが在特会のような団体が現れた理由の1つなのかも知れない。
「政治に不満のある若者は選挙に行け!」と言うが、こうしてせっかく当選した議員も多数派が決めた「公式見解」に反することを言えば、メディアの力によって、いとも簡単に排除されてしまうのである。議員1人を辞職に追い込むということは、その議員だけの問題ではなく、その背後にいる何千人、時には何万人という投票した有権者の問題でもあるはずなのだが、同和、アイヌのような「人権課題」が絡むと、それが顧みられることはないように思う。
選挙に行ったところで、政治家が自分の考えを代弁してくれることを期待できないのであれば、それ以外の手段、例えばデモに訴えるしかないだろう。
デモというのは、世間にアピールするものなのだから、要するに目立った者勝ちである。事実、過激な行動を取ればニュースになるし、実際に意見を聞いてもらえる。それは右も左も関係ない。2014年10月20日に橋下徹大阪市長(当時)と桜井誠在特会会長(当時)の会談が実現したことが好例だろう。
政治の世界では「ヘイトスピーチ」という言葉がもう何年も流行しているが、かくいう金子発言も「ヘイトスピーチ」と非難されたところである。政治家がツイッターで思ったことをつぶやくのも、集団で朝鮮学校に押しかけて叫ぶのも、同じヘイトスピーチとの評価をされるなら、いっそ「毒食わば皿まで」ということになってしまわないだろうか。
(次回に続く)
アイヌのことはよくわかりません。申し訳ないですが部落の話になります。
熊本の地震で部落もやられたんでしょうね。
避難所に支援物資が送られてきて被災者に配られていますが解同は部落民優先とか言って脅迫と暴力で優先的にぶんどる、というようなことはまさかしていないでしょうね。拒否されたら「差別だ」といういつもの手法で。
マスコミがいない避難所もあるからそういうことろでは奴らは何をしていても変ではないです。
メディアのいるところではいい子の振りしているでしょうがいないところでは一般の人に恐怖を与えているかもかもしれません
こんなこと考えすぎでしょうか?そうならいいのですが。
鳥取ループ様、こんにちは。
アイヌ記事を有難うございます。
私も、所謂「金子発言」を問題視しなかった一人です。
その時は、アイヌ利権を知らなかった事も有り、印象にも残りませんでした。
「アイヌ民族? うん、いないよ?」←こんな感じです。
道内のアイヌ系もまた、殆どが利権の存在を知らないのですね。
本州の私が知らないのは未だしも、道民さえ知らないとは。
本当に、一部、特権階級のみが肥え太っているようで。
腹を下しそうなので、お零れが欲しいとも思いませんが。
また、故・河野氏の「歴史づくりを外注」の表現が有難かったです。
アイヌ≪民族≫を主張する人々が、最もアイヌを軽んじている現状。
本当に、アイヌ≪民族≫は、前近代的な思想の持ち主です。
同和でもそうですけど、こういった特別施策は本当にごく一部の人のためのものになっているんですよね。
3世代や4世代前の自分のルーツを知らない人は珍しくないので、出自を基準に施策を行うというのがそもそも大問題だと思うのですが。
河野氏は本当の純粋な研究者だと思いました。こういった問題に取り組む研究者で、学問的な真理の追求と政治的な事情の間で悩む人は河野氏以外にも多いような気がします。