サッポロピリカコタンの裏側に迫る
「施設と言えば札幌のピリカコタン(札幌市アイヌ文化交流センター/札幌市南区小金湯27)に行ったの?」
そう尋ねる石井氏。
すでに同施設には取材をしていた。ピリカコタンとは、2002年にオープンしたアイヌ関連施設。小金湯温泉に隣接し、敷地内には「歴史の里」という庭園があり、コタンが設置されている。非常に立派な施設ではあるが、なにしろ遠い。札幌市内と言ってもバスでおおかた1時間かかる。ここでは、アイヌの生活相談事業も行っているが、1時間もかけて生活相談に行くというのも難儀な話だ。しかも札幌駅からの場合、じょうてつバスで片道650円もかかる。小金湯温泉を使用する場合、札幌駅から無料バスが出ているが、朝は8時50分の一本のみ。もちろん北海道は、車社会だから自家用車で事足りるかもしれない。とは言え一人暮らしの高齢者の場合はどうするのだろう? そんな風に思っていた。
石井氏にピリカコタンに行った旨を伝えるとこんな話を始めた。
「(ピリカコタンは)遠かったでしょ」
彼もまたこの施設についてはいくつか疑問を抱いている様子だ。
「あれじゃ年寄りはいけないよ。だから私は植物園(北海道大学植物園)あたりのビルを借りてやればいいじゃないか、そう言っていたんだ」
石井氏の他にもこう考えるアイヌ関係者や行政担当者も少なくなかった。しかし結局、札幌市郊外の大きなハコモノ建設に至ったわけだ。
「ピリカコタンの建設には、帯広から来た建設業者もいたんだ。札幌市にいくらでも業者はあるんだけどね。結局、オープニングも一年近く遅れてしまったんだ」
実はこの帯広の建設業者とは、笹村組(帯広市)のことだ。アイヌ問題に関心がある人ならばこの名を聞いて疑問符がつくかもしれない。北海道アイヌ協会帯広支部長で帯広市議会議員も務めた笹村|二朗《じろう》氏が経営する会社だった。
札幌市の職員だった石井氏は、平成15年に人事異動でピリカコタンのアドバイザーだった。それだけに証言は興味深い。
ピリカコタンは、アイヌ文化の振興を目的に建設されたもので、展示物やイベント開催以外にアイヌの生活相談事業を行っている。中にはストリートギャラリーがあり、いろいろな展示物がある。しかしお世辞にも文化的に価値があるとは思えない。いかにもごく最近、作られたタペストリーだとか、そんな程度である。
開放感がある吹き抜けや打ちっぱなしのコンクリート風で確かにお洒落な空間ではある。しかしなにしろ“スカスカ”なのだ。ここにアイヌを思わす風情もなければ歴史もまるで感じない。
取材した施設と比較すると、アイヌの聖地「萱野茂二風谷アイヌ資料館」も“スカスカ感”は否めなかった。何しろ普通の農家が使っていた農機具まで展示されており、いささか拍子抜けしたものだ。ただ萱野茂二風谷アイヌ資料館の場合、北海道の情緒はたっぷりだ。古い北海道民の暮らしが伺える。そんなムードは、確かにある。対してピリカコタンは、“ハコモノ事業感”が満載。まるで銀座のビルで開催される個展のようだ。実はそう感じるのも理由があった。ピリカコタンの展示物について異を唱えると石井氏は、こう説明した。
「アイヌ文化の振興に関わる4つ事業者がタペストリーなどの展示物を作ったんだけど、総額で数億円がかかっているんだよ」
数億円? とても億単位の価値があるとは思えないし、昔のアイヌが作った文化物ならまだしも現在の一般の事業所が作った展示物に数億円とは驚くほかなかった。なんでもオープン直前ですらほとんど展示するものがなかったという。
同施設の設置条例を見るとこうある。「アイヌ民族の文化及び歴史に関する資料を収集し、及びこれを展示すること」(2条1)。ところが展示物ときたらごく最近作られたタペストリー、また他の施設でも見られる船やパネル展示。これにすら法外な費用がかかっているのだ。無機質な現代風のピリカコタンの吹き抜けに展示されていることがより一層、うすら寒さを感じざるを得ない。文化保存、文化振興の在り方としてこれでいいのだろうか。確かに昨今、自治体の施設は、「指定管理者制度」などで民間企業の管理になってしまい味気なくなってしまうこともある。また市民センターや文化施設を閉鎖する自治体も増えている。これもまた寂しい話ではあるが、それにしてもピリカコタンは、あまりに無駄だ。
札幌市内の中心部で言えば北海道庁近くの「北海道立アイヌ総合センター」にも資料展示室が設置されている。はっきり言ってピリカコタンの展示物と何一つ変わらない。おそらくだが両施設の展示物を合わせたところで、スペースとしては十分だ。しかもそもそも展示物は“かぶっている”のだ。残念ながらピリカコタンでなければ見られない展示物は、何一つない。
ピリカコタンにハコモノ行政の問題点の縮図を見た思いだ。ごく普通の感覚で言えばソフト=展示物、行事があるから、それに見合ったハード=施設を作る、というのが本来ではないのか。またムダを防ぐ方策のはずだ。ところがピリカコタンの場合、ハードを作って、ソフトがないから「さあどうしよう」という状態だった。税金の使途についてかなり厳しい目が向けられる現在、ピリカコタンについては、とても前近代的なハコモノ行政イズムが注入されていたのだ。
しかし考えてみればハコモノ行政に厳しい目が向けられている時代だ。そんな中、「アイヌ」を冠した事業であれば、予算も通りやすければ批判も起きないのだろう。しかし考えてほしい。コタンと言っても建築基準法、消防法などで鉄筋や耐震強度が要求される。そうなってしまうともはやアイヌ文化で作られた建築物ではなくなってしまう。当時の技術で再現したならまだしも、大きな重機と鉄筋を駆使したコタンにどれだけの意味があるのだろう。もともと古くから残っているコタンを現代の技術で修復するというならば話は、分かる。ところが今やっていることは、まるでプラモデル作りだ。こんな模型をいくつも並べたところでアイヌ文化が伝わっているだろうか。
やや話は、脱線するが1915年、北海道苫前郡苫前村(苫前町)で発生した三毛別羆事件という熊害事件をご存じだろうか。巨大なヒグマが開拓部落を襲って多数の死傷者を出した事件だ。現在も同町内には、当時の家屋が復元され観光スポットとなっている。うっそうとした森林を通っていくこの施設は、現在も寂しいところだ。この復元家屋が本当に当時のものをリアルに再現しているかは、分からない。しかし萱で作られたこの家屋は、まるでコタンそのもの。
この時代の北海道の家屋は、開拓民、アイヌに限らず似たようなものではなかったのだろうか。コタンが決定的なアイヌ文化だとはどうしても思えない。いわんや展示物がないにも関わらずとりあえずハコモノだけは作ろう、というピリカコタン。そして今、左派の人が忌み嫌う自民党、普段は「右翼反動」と憎悪を燃やす清和会の長老の肝いり施設が建設されようとしている。逆に言えば彼らの言う人権は、自民党の手のひらにあると言っても過言ではないだろう。
これでいいのかアイヌ行政
「もうそんな話はやめようや。キノコでも食べて行けよ」
そう石井氏は、言うと近隣の山で採取したキノコ料理をふるまってくれた。そういえば「アイヌ料理」と冠するものをいくつか食べた。中にはマッシュポテトにイクラを振りかけたものも「アイヌ料理」として出されたことがある。これを本当にアイヌ民族が食べていたとは、思えない。
だったらよほど石井氏のキノコの方がよほどアイヌ的であれば、北海道の大地を感じたのである。キノコ料理をつまみながら、石井氏との話は進む。話は、行政問題からアイヌ文化に及ぶ。
「イヨマンテも日本人に奪われたんだ」
「いや違いますよ。じゃあアイヌの若者がイヨマンテやりますか? できますか? 動物愛護団体がクレームをつけたら一緒に抗議しましょうよ。やったらいいじゃないですか」
「いやあそれは、できないよ」
こんなやり取りが続く。
「まあこんな難しい話は、もういいじゃないか」
「そうですね。じゃあ話題を変えますか」
そう言いつつも再び、アイヌ論議に戻ってしまう。この繰り返しだ。しかし有意義だったのは、取材を通じて「議論」できたことだ。もちろんスタンスとしてはまるで異なる。しかし右派・左派が忘れてしまった「コミュニケーション」がここにはあった。現状の人権問題で、最も問題は、当事者間の「話し合い」や「議論」がまるでない。二言目には「反日朝鮮人」一方は「差別者」となじりあう日々。そして双方がお互いを「思考停止」と言っている。
そんな中で取材に応じてくれた石井氏には大変、感謝をしたい。そう思いながら石井邸を後にした。
帰路の中で石井氏との話を整理していると、いろいろなことに気付いた。それはまずアイヌ協会内、アイヌ運動家内でも、微妙にスタンスが異なればまた幹部同士でも必ずしも関係が良好というわけでもないことだ。これはなぜだろうと、考えてみる。
まず要因として挙げられるのは、アイヌ団体の中でも事業派と理念派に分かれていることだ。これは同和事業、同和行政にも共通すること。ピリカコタンの建設においても、事業派によって進められたものの、理念派の活動家たちは、疑問を抱いたようだ。それよりも就労支援、就学支援をして欲しいというのが理念派の主張に思えた。たかだかタペストリーに巨額の予算をかける一方、実は、アイヌの就労支援の実態は、驚くもの。実は、この取材を終えた後で「北海道外にお住いのアイヌの方々のための職業訓練相談会」に行ってみた。相談員に話を聞いてみると、特にアイヌ認定ということは、していないという。そればかりか職業訓練学校や教育訓練給付制度のパンフレットを渡されただけなのだ。このご時世だ。就労に困っている人は、多いだろう。もちろんアイヌを出自にするという理由で就職に優先枠を設けるのも納得できない。しかし同じようなハコモノを乱立するぐらいならば、まだ就労支援、就学支援に予算を投じた方が有意義ではないか。
そして今、白老町に新しいアイヌ施設が政府と事業派の先導によって作られようとしている。近代風の無機質な鉄筋ビルに、ありふれたタペストリーやパネル展示の山、こういう光景が今から目に浮かぶ。
石井氏の取材を終えた翌日、アイヌ支援に関わる市民活動家への取材を試みた。札幌市役所で会った石井氏の仲間にそれぞれアポイントを取ってみた。前日には快く取材に応じてくれそうな雰囲気だったが、ガラッと態度は変わっていた。
「アンタとは話をしたくない」「取材は、受けない」
残念ながらいつもの通りのリアクションが待っていたのだった。過去の発行物を渡していたからかもしれない。また運動仲間の間で「待った」がかかったのかもしれない。そしていよいよ次は、本丸の阿部ユポ氏への取材だ。現在、アイヌ運動家で最も著名な人物だ。果たして応じてくれるのだろうか。そう思い阿部氏のもとを訪ねることにした。
(次回に続く)
私も色んな分野を「サラリーマン」として取材する職業ですが、早く次を読みたいと思う、非常に読み応えがあります。本当に頭が下がる思いです。
李承晩が共産主義者を弾圧したため、大勢が日本に逃げて来たから、
日本にいる在日は左翼なのだそうです。
こういう在日が市民権を得ようと、部落、女性、障害者、少数民族の利権を利用しました。
日本の場合、コツコツとものを作る事を続けていれば、
自然と市民権は得られるのに、戦って奪う事しか考えていない
バカな人達だと思います。
三品は北海道出身か
つまらんから部落の歴史をやれ
名前を匿名にしているかたは、なんでもいいから自分の名前を付けてください。
返事がしにくい。
私は女性で、認知症老人や障害者の面倒を見ていますが、
私たちをダシにして税金をくすねようとする奴らは許しておけない。
やくざについている弁護士なんて、追いはぎと同じです。
長らくこういう問題が表に出てこなかったので、日の光にあてて
殺菌消毒すべきです。
三品って三角のサンカ創作話の二番煎じをしたかった菊池山哉みたいなアイヌ否定か
アイヌ系と北海道行政の朝鮮白丁と違いこれまで完全にアイヌを無視した解同利権の二番煎じだろ
これは同和行政の二番煎じの北海道行政に責任がある
アイヌ系には責任は無い
アイヌ民族が存在しないならば本州の出稼ぎ工場などであいつはアイヌだとアイヌ差別を助長するな道民
石井って人、同和団体のりこえネットのメンバーですね?
斎藤ママ様、はじめまして。
私もアイヌ系日本人なのに、何の優遇も受けていません(笑)
と言いますか、腹を下しそうなので要らないです。
ポンペ氏は、【38度線のりこえネット】のメンバーですか。
あのサイトに掲載されている投稿論文には爆笑しました。
「一夫多妻制の復活」とか宣っていましたからね。
応募者全員が掲載されるワケではなく、ある程度の選考が行われているようですから。
何を乗り越えるのだろうかと、考えてしまいました(笑)
三品様、お久し振りです。
覚えて頂いているかどうか、不明ですが(苦笑)
このポンペ氏、考えたくない人なんですね。
思考停止しています。⇒「こんな難しい話はもういいじゃないか」
何が難しいのか、全く持って不明です。
対応レベルではなく、
反応レベルの行動しか起こした事が無いんですよ。
こういう人間には議論が不可能です。
自分の中に蓄積されたものが何も無いから。
ですから、三品氏に振られた些細な質問で、
【考えていない自分】の現状と向き合わされる。
それが不快。
だからその話が伝わって、翌日に他のメンバーから
「アンタとは話したくない」「取材は、受けない」と返される。
全員、考えたくないから。
聞こえの良い事だけを言ってくれる人と付き合いたいんです。
こういう人間を篭絡するのは容易い。
上手に煽てさえすれば、幾らでも使い道がある。
何とかと鋏が、と云うお話。
だから宗教だの共産党にだの引っ掛かったんですよ。
信仰を貫く事と、信仰に縋る事は違う。
併合されたアイヌ達。
読み書きは和人と遜色なく出来るようになっても、
算術はいつまで経っても出来るように成りませんでした。
故に、和人に財産管理をしていもらっていたのですが。
コレは、思考能力・判断能力が未発達であった事を示しています。
まぁ、和人にも、そういう人間は数限りなく居ますけれどね(笑)
だから、変な宗教屋と共産運動が商売として成立するんです。