
学術・研究:部落探訪(238) 長野県 佐久市 小田井荒田
佐久市の中山道沿いに部落がある。戸数は37、農業・藁工・日雇労働をやっていたと記録にはある。前回紹介した平賀北口は街道の裏手だったが、こちらは街道に面している。 小田井は中山道の宿場であるから、この荒田部落は街道に関係し […]
佐久市の中山道沿いに部落がある。戸数は37、農業・藁工・日雇労働をやっていたと記録にはある。前回紹介した平賀北口は街道の裏手だったが、こちらは街道に面している。 小田井は中山道の宿場であるから、この荒田部落は街道に関係し […]
佐久市3箇所目の探訪は平賀北口という部落である。ここは長野県水平社の高橋末次郎の出身地区であるという。1933年の戸数は31であった。 その立地は下仁田街道の裏手で、かつての航空写真では住宅が密集している。おそらく街道の […]
佐久市最大の部落は岩村田にあり、「城下(じょうした)」と呼ばれ、戦前その戸数は69であった。戦後間もない頃の航空写真では、確かに小さな住宅が密集した一角が見て取れる。1967年の記録では108戸に増えている。 ここではニ […]
佐久市瀬戸に小さな白山神社が残る部落がある。戦前の記録ではわずか9戸の部落ではあるが、水平社が結成された。水平社同人として高橋市次郎、高橋豊一という名前挙げられる。 そして特筆すべきは、宗教法人GLA創立者の高橋信次の出 […]
以前、伊那市の“後藤の衆”を訪れたが、部落解放同盟長野県連合会が発行した「差別とのたたかい」によれば、その近くにはもう1つ部落がある。 それが、長野県伊那市手良沢岡下手良の「辻」あるいは「西幅」と呼ばれた部落である。19 […]
部落解放同盟長野県連合会が発行した「差別とのたたかい」には、昭和38年に長野県が政府の委託を受けて調査した部落の一覧が掲載されている。部落の地名のみならず俗称までも掲載されている。当時は部落の地名について、タブーではなか […]
1962年から1963年にかけて、政府の同和対策審議会は「同和地区精密調査」を実施した。ここ、加増は調査対象の1つとして選ばれ、1963年に「同和地区実態調査報告書」が作成された。 報告書の作成から50年以上が経過してい […]
小諸(こもろ)市と言えば、思い浮かぶのが島崎(しまざき)藤村(とうそん)の千曲川(ちくまがわ)旅情の歌。「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ 緑なすはこべは萌えず 若草も籍(し)くによしなし…」というフレー […]
前編 / 後編 さてここでも少し補足、「同和取材の裏話」だ。もしかしたら初めて「同和問題」に関する記事を読んだ人もいるかもしれないから、回りくどいかもしれないがお付き合い頂きたい。 同和問題が絡む自治体の対応は、いわば喜 […]
前編 / 後編 先月、長野県・善光寺(ぜんこうじ)の小松(こまつ)玄澄(げんちょう)貫主(かんす)のセクハラ・パワハラ問題、そして「差別発言」が全国的に報じられた。小松貫主と言えば過去、女性問題などたびたびスキャンダルが […]
長野県の小諸市と軽井沢町の間に御代田町(みよたまち)という町がある。別荘地として名高い軽井沢町に比べれば知名度は劣るが、御代田町も浅間山の裾野の高原にあり、その風景と過ごしやすさは負けず劣らずである。 そんな御代田町だが […]
全国の選りすぐりの部落を探訪するこのシリーズ。2回めは一人旅はもちろん、ファミリーからカップルまで楽しめる部落を紹介する。 今回訪れたのは長野市の郊外にある大室(おおむろ)部落である。 なぜここが部落と言えるのか。根拠と […]