福島県で最も有名かつ最大の部落が、会津若松市西七日町にある。西七日町全体が部落というわけではなく、国道252号線の南、JR只見線の線路から西福寺にかけての細長い区域が部落である。
1921年の記録では95戸、1935年の記録でも戸数は変わっていない。当時から食肉、皮革が主な産業であった。
1960年代、部落問題研究所の東上高志が訪れたときは、1935年中央事業融和協会による調査に書かれた「福島県 若松市 祝町 95戸 565人」という記述だけを手がかりにタクシーの運転手に「この町に差別されている部落あらへんか」と聞いて訪れたという。
しかし、今や「会津若松 部落」で検索すれば、特定のヒントとなる情報がすぐに出てきてしまう。すごい時代になったものである。
探訪の前に、このセブンイレブンで白飯とコールスローサラダを買った。なぜなら、着いたのが昼飯時で、なおかつ朝食を食べてなかったからである。
そして、セブンイレブンの前には馬刺し屋が。
やはり白飯にはおかずが必要だ。迷わずタレ付き馬刺しロースを買った。100グラム1200円+税と、少し値が張る。それもそのはずで、100%国産馬肉を使用しているからだ。馬刺しは長野県でも食べたことがあるが、そちらはほぼカナダ産だった。
ここは七日町公園。隣には西七日町児童館がある。無論、ここでは同和対策事業は行われなかったのだが、この児童館周辺の整備のされ方は関西の同和地区と同じ様な雰囲気がある。同じ時代に整備されたからだろう。
公園では親子連れが遊んでおり、となりの児童館からは多くの子供の元気な声が聞こえる。
そして、ベンチに腰掛けてさきほどの馬刺しを食す。これでもう、この部落の8割は探訪したようなものだろう。
肉がうまいのはもちろん、粗挽きの生にんにくが入ったタレがうまい。後で知るのだが、このタレに地域ごとの特色が出るようだ。
公園と児童館の前にあるのがこの西福寺。真言宗豊山派 である。会津の部落は真言宗が多いと言われる。
ここが部落のメインストリート。昔は砂利道だったと言われるが、ご覧のように側溝が整備されている。
工場や商店が多いが、空き地や廃墟が目立つ。
この大津屋は昔から皮革を扱う豪商であった。東京都台東区にも毛皮を扱う大津屋があるが、ここを発祥とする同じ系統だ。
そして、やはり肉屋が多い。地域によって扱う肉に特色があるのだが、ここでのメインは馬肉である。馬肉が食べられるようになったのは、戊辰戦争がきっかけで、馬肉を食べると傷の治りが早くなるということで、薬用として食べられたと言われる。
ここは力道山ゆかりの肉の庄治郎。かつて、ここに力道山が訪れ、店で買った生の馬肉をいきなり生で食べたことがあった。それに店主が驚き、保健所に問い合わせて馬肉を生食できることを知り、この地で馬刺しが広まったという。生にんにくが入ったタレも、力道山のアドバイスで店主が開発したものだという。
隣の八日町、また西七日町内でも西福寺から西はアパートや集合住宅が立ち並んでいるのが…
祝町と言われた部落は、やはり空き地や廃墟が目立つ。何らかの理由でここの土地が避けられているのだろうか?
住民に同和や部落のことを聞いても「知らない」という答えが返ってくる。本当に知らないのか、知らないふりをしているのか分からないが、福島の部落では当の住民にはこういった反応をされることが多い。やはり寝た子を起こすなという方針があるのだろうか。
稲荷神社のある町内会館がある。「七日町八丁目」とあるが、部落はかつて九丁目と言われていたとされるので、これは無関係なのかも知れない。
これは「がんぱら」と言う馬のスペアリブと、筋煮込み。いずれYoutubeで食レポしようと思う。ぜひ動画もご覧いただき、チャンネル登録していただきたい。
相変わらず取り巻きが凄いのう。それを承知の上で敵地に乗り込むワシや。
よう言うわ。文学部卒のワシの目からみたら駄文撒き散らしとるだけで、何ら学術的価値があるやの、高尚なレポートには思われん。
結局、何の目的でやっとるのか、ということに尽きる。
で、結局、何の目的でやっておるのですか?それをやることによって、当該部落に住む方々が悲しむような事態になった場合、鳥取ループ宮部さん、貴方は責任を負いきれるのですか?
そこまで覚悟決めた上での投稿ならええよ。
その反対で目的なしの旧同和地区のレポート晒しまくり、責任はとらん、いうんなら問題大アリやろ。
やるんなら、覚悟決めてやれや。
なんかジジィが喚いてるけどさ
「うるせえ」よ。見なきゃええやん
清和源氏というHNが気に食わんね。自分は天皇の末裔だと誇示したいのか?
どうせ嘘だろうけど。
ちなみに、文学部卒でも文才ない人間を何人も知っています。
もちろん、あなたもその一人に入りますが。
論争らしきものをしている様ですが、話が平行線なので無意味です。
あなたがここでいくら叫んだ所で、鳥取マンはレポートを辞めませんよ。
俺が気に食わんかったら別にかまへんよ。俺はフリーランスの身の上やから、なんぼでも文句言うて来てかまへんよ。そんなん気にしとったら、こんな問題扱える訳ないやろ?
当たり前やんか。
俺は近畿2府4県で戦うとるんじゃ、俺は部落解放同盟員ではない。その全く関係ないフリーランスが鳥取ループ宮部には文句ありまくりなんよ。責任もって真摯に対応したれや。
でも、鳥取ループ宮部と三品は、カキコミ完了したらサイナラなんよ。当該旧同和地区住民がどうかんじておるか等については、無視を決め込み、オノレが正義やと酔狂な言葉を繰り返しとるだけや。そのことについて、取り巻きの連中、お前らはどう思うん?
小野崎さんは人名力の宮本さんが特定済みじゃないのか?
氏家さんの同気食堂も馬刺しやっとるね
同気食堂は違うと思います。西会津町のゲネは馬ではなくて、小動物の皮を扱っていたようです。
穢多と非人の別があったことは、戊辰戦争の死者の埋葬の話で年寄りから聞いた覚えがあります。穢多が罪人の葬礼・埋葬に関っていたため新政府による穢多による埋葬に怒りを覚えた士族も少なくなかったそうです。伴百悦や町野主水などの逸話を聞いてもなるほどと思いました。当時は広大な外堀埋立てで人夫に調達も大変だったらしいですが?江戸が大きな戦乱を回避でき、差別の解消も比較的早かったのは明渡しの影響もあったのかも。