塚原美村 著『未解放部落』によれば、本竜王というところに、6戸の古村があった。そこは、現在では甲斐市竜王に該当する。
戦前には4戸。慶応3年には穢多屋敷が3軒あったとの記録がある。
『未解放部落』によれば、子供のケンカで「南村のエタん坊」という発言が出て、問題になったことがあるという。

おそらくここであろうという場所に行ってみた。「釜無川左岸の信玄堤斜面の叢竹林中のきわめで卑湿陰鬱の地にある」という。これがその信玄堤だろうか?

「釜無川の用水取水関門」という記述がある。確かにそれらしきものがある。

小字で言えば下河原。かつては「お下」「南村」という呼称もあったという。



堤防から、村への出口がある。竹が混じった雑木林があり、確かに本の記述通りである。


それにしても、この本の記述は詳しい。職業構成はこのように書かれている。
中年の村の男性が、妻は青年団活動で知り合った、おそらく村の外の人だという趣旨のことを語っているエピソードがある。一方、一青年が一般の娘と結婚しようとして娘の姉たちに反対されたので相手を傷つけて服罪したとの記述もある。

奇をてらって住んだのでは、などとさんざんな書かれ方をされているが、堤防の前は広々としていて静かな場所である。今は8軒あるだろうか。今日は雲が出ていて見えづらかったが、晴れていれば各家から富士山が見える。

田んぼの他、里芋畑が広がる。



平日の昼間に来たこともあって、全く人気がなかった。


おそらく、これは屋敷神のようなもの。由緒などを聞こうにも、とにかく人がいない。



この丸い石は道祖神で、村の南端にある。ここが村の入口ということになるのだろう。



この地蔵は堤防の道沿いにあるものだが、彫られた名字からして、村の住民が設置したもの。
加賀美、沓川などの名字があり、山梨県の他の古村との交流が伺える。
この辺の里芋は「やはたいも」というブランドで、ねっとりもっちりしていてとてもうまいです。近所のJA直売所やスーパーなどで捌けてしまうのであまり県外には出回らないです。機会があったら是非お召し上がりください。
それは知りませんでした。晩秋が旬ですよね。行く機会があれば買います!
ご実家の下味野の部落はいつ訪問しますか?部落の現況を親族や知友人などに忌憚無くいっぱい聞けるでしょうから期待してます。
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黒磯市黒磯幸町の探訪お願いいたします!
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NewsChallengerでリクエスト、投票を。
下味野は何度もリクエストしてますけど、、、
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奇異を好んでとか塚原尊師から散々な言われようでしたね
確かに人里離れたようにポツリポツリとお家がありますね
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昔は今のような畑の中ではなく、藪の中に居住していて戦後になってから畑に移動してきたのではなかったかな。近くの安楽寺がここの方々の菩提寺
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