安芸高田市を訪れたのは、石丸市長についての取材がメインであり、なおかつ土砂降りになってしまったこともあって、部落を訪れる機会はあまりなかった。その中でも訪れたのが下小原の花の木である。
手がかりになるのは、安芸高田市が廃止しようとしている同和対策施設の存在だ。
昭和初期の記録では26戸で、名称は「篠原」とある。
しかし、現在は40戸程度あるということだ。
ここが市の施設リストにあった花の木教育集会所だ。教育集会所というのは、確かに40戸を超える部落に設置される同和施設である。
過去の記録よりも戸数が増えたのは、自然増ではなく、移住者があったそうだ。
詳しい人から話を聞くことができた。教育集会所はもとは同和対策の施設だが、現在は事実上は自治会館になっているという。かつては光熱費も市が負担していたが、現在は自治会の負担。
部落と言えば、皮革や警察業務というステレオタイプがあるが、ここでは実際は農業などをしていたという。昔は、竹細工をしている家もあったそうだ。ここに限らず、安芸高田市の部落はどれもそのようなものだったであろうという。
現在は「花の木」と言われているが、本来の名称は篠原。例えば、この神社の名称は篠原。
かつては解放同盟の活動が活発だった。しかし住民によれば、個人的には解放同盟のやり方には賛同していなかったという。
「解放同盟の活動があったから、今でも部落は部落同士で仲間意識みたいなものはあるんじゃないか」そうも語った。
集会所の脇に、昭和10年の道の改修記念碑がある。これは、改修にあたって土地を寄付した住民の名前を記したものだろう。
裏側にも名前が彫ってある。川見x3 山本x3 上野x2 沖田x2 あとは本田、青中、上田、中野。
奇しくも、筆者が訪れてあまり日が経っていない3月6日に民家火災があった。不幸にも高齢者が1人、亡くなってしまったということである。
部落の南北の端に市営住宅がある。市営住宅から市営住宅までが大体の範囲ということだ。
最後に墓地を訪れた。
ただ、フェンスで閉鎖されていたので入るのは自粛していおいた。
宗派は浄土真宗本願寺派。
菩提寺は高林坊。
「高林坊は、坊だから寺よりも格式が高い。あそこの過去帳を見れば、安芸高田の部落のことはみんな分かる」
そう住民は語る。後で調べてみたところでは、ここは高田郡全体の菩提寺で、いわゆる「穢寺」というわけではない。
確かに、1つの郡全体の菩提だと言われて納得できるほどに、堂々とした佇まいである。
奇しくも山号は石丸山。市長の名字と同じである。
長野県 佐久穂町上 久保田探訪のコメント欄でも自分で自分に回答している人がいましたね。
端末を使い分けることによって多数派に見せかけようとしていたみたいですが、#891d3‥への質問に#d4bc88‥として回答するというミスを犯して自作自演がバレていました。
#66a0f6215c477765e5ad3a7613de6c36
東京の大田(特に大森)を今度はお願いします。
#aae23573ce564db8df970bd0d0fbee99
東京は、
未指定地区ですから
つまらんよ。
西六郷には、立派な
白山神社があるし、
昔は
剥製屋があったけどね。
#84d237a8300bac5be35f7ca7b2d6380b
環状8号線の全線開通まで、時間がかかりすぎた。
#f78d59bee6adbc5edd82cb7ce64d7239
曲輪と関係無いけど、車善七の墓
https://dl.ndl.go.jp/pid/1879945/1/325
数年前に見に行ったけど、もう見当たらなかった…