曲輪クエスト(316)静岡県 伊豆の国市 長岡

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By 宮部 龍彦

旧田方郡伊豆長岡町に洞という部落があったという。戸数は19。

洞と言えば谷のどん詰まりであり、以前探訪した石井洞がその一例である。そのため、今回もそのような地形に目をつけた。

菊池山哉は次のとおり記録している。

○この曲輪を洞と呼ぶ、丘陵に囲まれ、沢の入り込むだ地で、今でも通る人はない。洞の名は行き止りを意味してる。俗に洞穴とか、洞の貝などと云、この曲輪も、沢の行き止りに存する。
○鎮守は八幡神社と山木神社の二つ。山木神社とは何か判然りしない。祭日は正月十七日と九月十七日。
○何れも純農で、十七戸ばかり。
○ここの丘陵に露出石棺がある。他に二三の古墳がある。粉ふ方なく、此棺の主の守戸である。此邊天野郷の内であらう。即ち天野郷司であり、田方郡小領の人の古墳であらうか。すぐ北の珍場にも、粕谷方面にも古墳がある、街道筋にもあらず、その前身は守戸と見るべきで、曲輪の発生に守戸ありとの関係を示す、特異の箇所である。
ここの石棺には腕貸伝説が伴ふ、昔は棺のところで、願をかけると、翌くる日は、茶碗が揃って、口元へ出してあったと云、守戸即土器師であったらしい。

菊池山哉『長吏と特殊部落』

文中に出てくるものは現在も残っている。まず、これが露出石棺。つまりは、もとは古墳の中にあった石棺が外に出てきたものである。これは土地の有力者の墓であり、部落はその墓守をしていたというのが菊池山哉の説だ。

現地の説明板にも「長岡洞」の文字がある。

かつてはこの石棺の裏手の斜面にも家々があったが、今はなくなっている。

腕貸伝説というのは、全国各地で見られる、神や妖怪の類が、祭礼に必要な食器を貸してくれたという伝説。この日は、お椀ではなくてトップバリューのワンカップ酒が置かれていた。

近くには古い民家と滑り台がある。古いすべり台は錆びていて滑れそうにないが、芝生が手入れされているのが印象的だった。

この小さな寺は妙長寺。日蓮宗である。

伊豆の他の部落でも見られた「野田」という名字がある。

この墓地は宮本で、周辺にも宮本という名字の家が多い、そこで最初は宮本がこの部落の名字だと思った。

そして次なるキーとなる物件が八幡神社。少し高いところに屋根が見える。入り口がないか探した。

沢の行き止まりにあると言うが、ここにそれらしい地形がある。ただ、現地には文化住宅のようなものがあり、明らかに住民が入れ替わっている。

その近くに八幡神社に続く石段があった。

神社は、崖の上にあり、斜面に囲まれている。

これが八幡神社であろうか。

稲毛、中村、宮本の名字が見えるが、これはおそらく故郷を離れて東京に住んでいる人が寄付したもののようだ。

さらに、八幡神社の上にも神社があり、崩れかけた石段はなんとか登ることができる。

これは、まさに菊池山哉が記録した山木神社である。

その横にも、何やら神社があるのだが、風雨のためか派手に壊れており御神体が露出してしまっている。

明治時代の石柱に掘られた氏子の名字は、ほとんどが稲毛。これは部落の歴史を解き明かすための手がかりになりそうだ。

近くにはモダンな建物が建設中だ。工事をしている人に聞いてみると、地元の若者が、古い家をリフォームしたり、店を開いたりしているのだという。その伝手で、部落の歴史を最も知っていそうな人を探してみた。

神社があるのは石棺の東側だが、西側に新しい住宅地が広がっている。ここは昔、田畑だったところだ。部落は農家だったというので、ここは昔から部落の農地だったのだろう。ここにはよそから移ってきた人も多いが、昔からの部落の住民もここに移転しているという。

部落があった場所の正式な小字は「車坂」。そこに八幡神社の氏子である「稲毛」が19戸あり、確かに差別された村だったという。

しかし、日露戦争の直後あたりに皆が当たり障りのない名字に改姓した。ちなみに「宮本さんは違う」ということだ。ここでも、静岡県東部の部落では平凡な名字が多いという理由の一端を知ることができた。

そして、今では八幡神社は部落だけの鎮守ではなくなり、周辺一帯で管理しているのだという。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(316)静岡県 伊豆の国市 長岡」への21件のフィードバック

  1. 匿名

    碗貸伝説というのもあるのですね。
    木ヘンの椀貸伝説は木地師と関係がありよく聞きますが、石ヘンの方は土師氏なんですね。ごもっともですが。
    木地師に関してどこかで読んだのですが、本来は木地師ではなく木地屋と呼んでいたらしいですね。差別的だとして木地師に変えられたとか。
    最近まで普通に言ってたゴミ屋は清掃員なんて呼び方に変わりましたが。
    #35cece504377edbd0ceadfddc47b218c

    返信
  2. 宮本文書 (宮本辰藏 蔵)

    一 北條家革作役朱印状 伊豆國中革作□(之)□(事)
     三人 三島   五人 長岡   一人 田中   
     一人 多賀   一人 宇佐美  三人 伊東
     一人 大見   一人 船原   一人 川津   
     一人 白田   一人 仁科   二人 稲澤 以上
    右 此かわた 上より出かわ無沙汰なく仕可上
    此ほか御用之仰付候はば 無沙汰なく可尋出
    或ハ人之被官になり 又は不入之在所へ越ものをば可
    成敗者也 仍如件   天文七年戌 三月九日
     なか岡 かわた九郎ゑもん
    #9e7c0a5c93b4bb3b69cbe79c3a539258

    返信
  3. 匿名

    静岡県の宗派
    大雑把な傾向ですが、県の西部(遠州地方)には曹洞宗や臨済宗が多く、県の東部(駿河、伊豆地方)には日蓮宗が多いようですね。浜名湖周辺には臨済宗の小さな派の本山級のお寺なんかがありますし、伊豆あたりは日蓮聖人の流罪や伝道の関係の古刹なんかがけっこうあるようですよ。
    山梨県や静岡県が日蓮宗系が多いのは推して知るべしですが、部落の傾向として特筆すべきものではないでしょうね。特筆するのであれば何故その部落にその宗派が根付いたのか考察すべきでしょうね。

    宗派から部落は特定できない。ある県、地域でその部落だけが周りと反しその宗派を異にして居ればわかるかも、、、、

    #ffc8c576194d5c7d466b5aa1519cbd17

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      静岡では江戸時代に政策的に賤民を日蓮宗にしたと聞いてます
      幕府が日蓮宗を宗派として公認する時に、信徒の頭数を確保するためだったとかで

      返信
      1. 匿名

        宮部さん興味があります。
        ソースはどこからですか?

        #ffc8c576194d5c7d466b5aa1519cbd17

        返信
        1. 宮部 龍彦 投稿作成者

          静岡県内の某所で聞いた話です
          誰から聞いたと書くと同和の魔の手が伸びそうなので
          TwitterのDM等くださいませ

          返信
          1. 匿名

            聞いたはないでしょうね。
            史実であれば文献が残っていると思いますよ。
            宮部さん、聞いた聞いたは誰でも言えますよ。
            根拠とか、証拠は聞いたでは通せませんよ。
            江戸期の文献などは誰にも迷惑をかけませんよ。

            宮部流の流布と疑われますよ。
            #99ade591527e414e4416449942396b7b

  4. 匿名

    日蓮さんは自ら旃陀羅の子(エタの子)と記述を残してるので、日蓮宗が多いのは仕方ないですね。自らエタの子と言えば全国のエタと言われてる人は皆日蓮宗を信仰するでしょ。それが空海さんでも親鸞さんでも同じ。鎌倉時代も現代も人々を自分の親派に入れる方法は変わらないですよ。どんな身分の人でも我が宗派に入れば救われる、です。
    #53f1048a49de2c742c0214127d72c69a

    返信
    1. 匿名

      被差別部落と宗派はあまり関係ないような気がします。浄土真宗なんかは庶民に根付いていますし、何も部落に限ったことでもないですよ。
      私の市では市民の多くは浄土真宗大谷派の門徒が多く、その中に部落の方々もいると言う構図ですね。
      山梨県の日蓮宗なんか、部落と結び付けようも無いです。山梨県民の信仰は日蓮宗が圧倒的に多いのですから。

      #ffc8c576194d5c7d466b5aa1519cbd17

      返信
  5. 荒井貢次郎

     伊豆国伊豆長岡町の部落では、全く、江戸・弾左衛門支配系伝承をもたずに、いや、それを拒否して西日本型伝承だけを大切に保持してきて、今にいたるも、その由緒書を所蔵していても、世間の人びとには、幻の由緒書として、全く発表されなかったのである。
    #aefb33ee014dec42fde947b60f6051c1

    返信
  6. 匿名

    なんかストレートにバチが当たりそうな光景を誰かなんとかしようと思わんのか……

    返信
  7. ピンバック: 部落探訪(322)静岡県 藤枝市 岡部町内谷 - 示現舎

  8. ピンバック: 人権探訪(322)静岡県 藤枝市 岡部町内谷 - 示現舎

  9. kohlinpencil

     母方の祖母の実家が、伊豆長岡の花坂にあります。花坂は被差別部落ではありません。

     母が、花坂の祖父母の家を訪れるときには、伊豆長岡の駅で降りて、徒歩で狩野川の堤防沿いを北上し、現在の狩野川放水路付近で西に折れ、山に向かいました。

     山の切り通しを抜けてしばらく歩くと、右手(北)に山が迫っており、おそらくそこが今回の探訪地一帯だと思います。

     その道を通るときには、
    「絶対に立ち止まらず、素早く通り過ぎよ。間違えても山側に登ってはならない」
    「早足で通り過ぎよ。でも、転んではならない」
     と、母は祖母に言われていたそうです。山側というのは、八幡神社や石棺のあるところですね。

     車坂のすぐに西あたる花坂の地域でも、その地は忌避すべき土地と考えられていたことがわかります。

    「転んではならない」
     というのは、「あわてて転んで怪我をするな」という戒めではなく、穢れた土に身体を付けるな、という意味だったろうと思います。最大級の忌避ですね。

     これが祖母独自の感覚なのか、当時の通念だったのかは、不明です。
    #76ba04c36b442faa658a0b3ae8154cd1

    返信
  10. 匿名

    山木神社は韮山の山木判官兼高を祀った神社か。平家から身分を落とされたか。
    宮本家は関係ないと嘘をついた人は宮本家関係者か宮本家文書を知らない人だろな。
    #e7208553c740ef0257ab698eb7212511

    返信
  11. 匿名

    本行寺本堂改築喜捨芳名より「長岡村」
    高橋・野田、共に現存。
    妙長寺(日蓮宗)は、最明寺(同宗・長岡1150へ合併)

    返信