三宅雪子元衆議院議員の死の裏で浮き彫りになるTwitterとそのフォロワーたち。彼女は献身的な協力者を中傷しそして法廷闘争を仕掛け、他方でTwitterユーザーと行動を共にする。しかもその関係は死の直前まで続いた。公的には「入水自殺」とされる最期。しかし彼女は本当に死を望んだのだろうか? 死亡当時の状況に迫った―――。
和解協議を暴露し 三宅の足を引っ張る来夢
2009年の民主党旋風がなければ三宅が議員になることもなく、今でもごく普通の生活を送ったかもしれない。あるいは旧民主党自体、なまじ政権をとったがゆえの不幸という見方もできよう。
落選後の三宅はアクションを起こすたびに“ツッコミ ”を受ける。2015年、自身の政治団体の収支報告書にメールマガジン収入費を記載していなかったことを指摘された。政党からの活動費を受領しながらメルマガ収入を個人収入にしていたという指摘だ。メルマガ制作費用として5万円の支出を記載しながら収入の報告がないのは確かに問題がある。だがこうした指摘も彼女にとっては嫌がらせと感じたであろう。
この時期から三宅の攻撃性は強まる。
何より恐ろしいのは三宅&来夢がターゲットにしたのはいわゆるネトウヨというより、元支援者だったことだ。三宅の元支援者ということはもちろん左派・リベラルを志向する人々である。もはや政治イデオロギーを超えており、Twitter住民たちもなりふり構わず元支援者を攻撃した。奇妙なことに左派ユーザーはそれを制止することもなく、むしろ扇動に手を貸した。でもなければその攻撃が自分にも向かうと考えたのだろう。それはもはや子供のいじめのようだ。
三宅と係争した人物の一人に2012~2013年頃まで「三宅雪子を支える会」会長B氏がいる。B氏もまた勤務先にまで抗議を受けた人物だ。無論、B氏も何ら落ち度はない。単純に三宅がTwitterフォロワーに煽られたとしか思えない。B氏は2015年、三宅に民事訴訟を起こしたが、最終的に和解となる。ところがその協議中、何らかの事情で来夢が和解について聞き知った。三宅が伝えたとみられる。
2016年12月14日、来夢は和解協議についてこう投稿した。
いかなる裁判においても裁判長は面倒な判決文を書かずに済む和解を望みますが、裁判長が双方に対して和解を命じる強制力はありません。でも、裁判長が和解を勧めている時点で、裁判長がどちらを勝たせたいかという腹づもりはあるので、それを察知して和解を蹴るか受けるかを判断すべきです。そして和解なんかせずとも判決で楽勝で勝てそうな情勢であれば、判決前の和解の話し合いの席上で強気な和解条件を突きつけられるし逆に負けそうな相手は厳しい和解案を渋々飲まざるを得ません。ざまあ!!! シャー!!! (*^^)v
だからさあ、泣いても仕方ないから!(笑)
完全勝利和解! ざまあ! (*^^)v
来夢は独自の法律論を披露することがある。しかし裁判資料を見ても、三宅に有利な点はない上に、来夢の投稿は明らかに三宅の障害でしかなかった。といっても三宅自身、和解協議中に迂闊な投稿をしてしまう。
係争中につき語れませんが、当該男性2名が最近までの『ツイート全削除』をしたようです。ここから状況を察していただけますと幸いです。
何やら三宅の勝利宣言とも受け取れる内容だ。むしろ原告の方が大人の対応というもの。和解に向けて自主的に問題のあるツイートを削除していただけだ。
「Bさんは疲弊しきっていました。というのは別件で水戸地裁で三宅と係争していましたが、本人は出廷せず来夢が傍聴にやってきました。閉廷後、来夢が尾行してくるなど不安の日々だったでしょうね」(前編A氏)
B氏も本来は和解を済ませ解放されたいと願った。それでも三宅と来夢の投稿を弁護人は問題視し協議の打ち切りを申し入れた。軽率なマネをしたものだ。和解はむしろ三宅にとって最良の落としどころである。この投稿を受けB氏の弁護人は
5万人のフォロワーを有する被告森安氏(三宅)の行為について、きちんと司法の判断を示して頂きたいと考えております。
「5万のフォロワー」の前で虚勢を張り続けなければならない。そんな思いから不毛な投稿に至ったのだろう。過去、献身的に尽くしてくれた支援者に訴訟を仕掛け自身の足を引っ張るかのような来夢を頼る。正常な判断能力があったのか謎だ。
雪組メンバーの ツイートは「こどものいじめ」
来夢の煽り文句に「(相手が)泣いている」「号泣している」がある。児童の世界のいじめではよく「泣け泣け」と囃し立てるものだが、それに近い感覚だろう。来夢また雪組メンバー、あるいはその他Twitterユーザーには強い幼児性を感じる。あるいは「対話能力」というものがなく、とにかく集団で攻撃する時のみ勇ましい。
とある原告のケースだ。三宅との係争中の2017年1月16日、同原告はTwitterで日常生活について投稿。その中でモノを捨てる意味の「ポイ」を「ポア」(オウム真理教が使用した殺害を示唆する用語)と誤って投稿した。直後に「ポイでした」と訂正したが、ここで三宅に煽られたであろうフォロワーたちが攻撃対象にした。
「すぐに警察に相談してください」
「相手に恐怖を与える殺意を匂わす言葉は犯罪に繋がります」
「殺害予告だ」
こうした投稿が相次いだ。弱った相手、反論できない相手に一斉に襲い掛かる幼稚な吊し上げ。
当時の記録から現在の投稿主や引用主を検索してみると
「雪組」の所属になっていた。雪組自体は三宅の死後に派生したグループというが三宅の生前から取り巻き集団が形成されていたのが分かる。それは党派性といったものではなく、三宅を介した仲良しグループといった程度だ。グループの敵は自分の敵。そんな感覚で攻撃に加わる。投稿時間をみると深夜未明のものが多数散見された。どんなライフスタイルなのか謎だ。
攻撃を受けた人物は多様である。
三宅は生前、「ルポライター」を名乗った。申し訳ないが「ルポ」に必要な忍耐や取材力があるとは思えない。森友学園問題が盛んな頃、なぜか三宅も豊中市の「瑞穂の國記念小學院」に向かった。といってもその実態は学校前で記念撮影という程度。当時、森友学園問題の第一人者、著述家の菅野完氏に秋波を送るが相手にされない。自身に便乗してくる三宅に不快感を抱くのは理解できる。来夢は菅野攻撃も開始したが、どうも三宅の「ルポライター活動」が原因のようだ。
やがて『高齢者はなぜネトウヨにはまるのか』(日刊ゲンダイ、2019年4月~7月)という連載も始めた。しかしネトウヨという論評の裏で誰よりもネットに執着したのは三宅自身だ。このところの左派論陣は批判材料がなくなると「ルックス(見た目)」「学歴」「年齢」を持ち出す傾向がある。おそらくネトウヨ=高齢者、リベラル=若い、というレッテル貼りを前提にしたものだ。
来夢と行動するようになってから共産党人脈とも交流を深めた。おそらくこのネトウヨ論もそうした関係の産物であろう。
死の直前、小沢新年会に 参加希望していた
「政治活動」といっても地域に根差し地道な活動ができるわけでもない。また選挙ノウハウを持ち、かつ葬儀まで手伝ってくれた真摯な支援者、ボランティアを自身で切った。残されたのはTwitterとそのフォロワーたち。来夢は三宅と行動することで自身の「承認欲求」を満たしたフシがある。
「三宅と議員会館(永田町)に行っては議員との懇談に同席したり、議員らと交流していました。彼にとっても“ 永田町(政界)にいる”というのが名誉になったんでしょう」(元支持者A氏)
三宅は2018年11月に夫と「株式会社キープオンゴーイング 」を設立したが「来夢も自身がキープオンゴーイング関係者のように公言していた」(知人)と三宅家(森安家)へ接近していく。そして来夢が三宅のプライベート写真を入手し始めたという。
「自宅にまで上がり込むようになり、三宅のアルバムから写真をスキャンしたりスマートフォンで撮影をしたのです。Twitterで公開している写真はその時のものでしょうね」(A氏)
この証言の裏付けは来夢自身の投稿にある。
それがタイトル画像でも使った水着写真。「アルバムの中から見つけ」とある。三宅の夫はフジテレビ・森安豊一センター室長だ。他人の妻の水着写真を臆面もなく所有し公に晒す神経。使いたくない言葉だが、これしかない。単純に気持ち悪くないだろうか。各々、自分の身に置き換えて考えてほしい。もし自分の妻の写真をネットで知り合った男性が公開するという状況を。
こうして両者の関係は死の直前まで続くのだが、著者は取材を通してある推測を立てている。三宅の死因は公的には「入水自殺」なのだが、実は死ぬ意思は全くなかったのではないか。死をめぐる前後の時系列をまとめてみたのでご覧いただきたい。
- 2019年12月27日 芝浦埠頭写真をインスタグラムで公開
- (しかし同日はさいとうじゅんいち氏とのコラボツイキャスがあり自宅でTwitterをやっていた。だから同日の撮影は不可能。つまり27日に芝浦埠頭に三宅さんはいなかった)
- 2019年12月29日から30日に来夢さんと高輪で会う
- 2019年12月30日 22:13 最後のツイート 自宅には遺書があった。
- 2019年12月31日 捜索願が出される。芝浦埠頭でリュックが発見。
- 2019年12月31日 19:47最後のブログが更新される。公的には31日が死亡日(登記簿上)。
- 2020年1月2日 15:50 城南島4-1で水難救助
この流れを紹介した上で、12月27日以前の足取りを追ってみる。
元政党関係者によると12月中旬頃、久しぶりに三宅が連絡が入ったという。その際
「新しい執筆の話や企画があるから来年もお願いします、といった近況報告がありました。言動がおかしいのは知っていましたが無視すると逆に敵視されると聞きました。なのでかなり言葉を選んでお話した記憶があります」
という。また小沢氏側近も「私は死ぬ意思などなかったと考えています」と前置きした上で当時の状況を説明する。
「確か12月25日前後だったと思います。三宅さんから連絡があって“ 小沢先生の新年会に出席したい”と申し出がありましたので“では先生にも伝えておきます ”と答えました」
それにしても千葉四区への鞍替えにしても、離党にしても師、小沢の顔を潰した格好だ。にも関わらず受け入れる小沢氏は著者が想像していた以上に寛容な人物なのか? ともかく小沢は最後まで三宅を見捨てなかった。
12月27日、三宅はインスタグラムに晴海埠頭の写真を投稿。しかしこの日は雪組グループの一人「さいとうじゅんいち氏」とツイキャス中であり、晴海にはいなかった。埠頭写真の意図は「迷えるアタシ」といった演出だったかもしれない。
前出A氏の話。
「海に石を投げて飛び込んだフリだとか、自殺を仄めかすような行動は他にあったんですよ。もちろん報道はされませんけどね。私を見て、関心を持ってという意図なんでしょう」
また29日から30日まで来夢と会っていたことも判明した。そして本人による最後のツイートがこれだ。
ところがあまりに不可解なことが多すぎる。31日には捜索願が出されたが同日19時47分にブログ『支えあう社会へ』が更新された。本人のものなのか、あるいは管理を任された第三者なのか。もちろん時間予約という可能性もあるが、全く謎の行動だ。また日常的に三宅は「誰かに狙われている」「ストーカー」「助けて」といった発言を繰り返していたため陰謀論に繋げるTwitterユーザーも散見された。
1月3日の来夢の「みなさん!さようなら!」という投稿も意味深。またその一味、さいとうじゅんいちの投稿も三宅の死を予見していたとして広まった。
「みっつめは最悪の結末」というのはおそらく三宅の死と思われる。
来夢、さいとうじゅんいち、この両名の投稿は、三宅の「水死」をまるで予見しているかのようだ。死の直前まで関わったのはTwitterユーザー…。あまりに惨めだ。
関係はまだ続く。来夢が三宅の葬儀に出席した。旧友でもないネットで知り合った自称マネージャー。しかも死の直前まで接触していた来夢。相当な神経の持ち主だ。「納棺までついてきて親族の一部から“ 誰? あの人”と不審がられました」(出席者)。この点も考えてほしい。夫・豊一氏とも年齢が近くネット上で出会ったに過ぎない人物が納棺にまでついてくる不気味さ。これは常識的なのか、それとも著者の感覚がおかしいのか分からない。
この一連の流れや三宅との関係について来夢自宅に質問状を郵送した。また質問項目は著者のnoteでも公開している。11月30日(火)を回答期限にお願いしていたが今のところ返答はない。なお同日午前中、著者のTwitterにアクセスしたところ使用制限がかかっていた。おそらくこれが「回答」なのだろう。
ひっそりと焼香に行った師、小沢一郎
三宅の死について政界、有権者から様々な声が寄せられた。しかし元支援者はこう憤る。
「彼女が苦しんでいたのはよく分かりました。死亡当時、いかにも“親友 ”のような顔をして悼む人もいたけど、だったら何かしてあげたのかって。そう思いますよ」
また死後、男性議員たちに翻弄されたといった言説がまかり通ったがこれは大間違いである。ダイヤモンドオンライン2020年1月20日、ジャーナリスト・横田由美子氏が寄稿した
三宅雪子氏死去、男性政治家に利用される「ガールズ議員」の悲哀
などは「何が利用されただ!」と前出の元支援者は憤る。裁判といい選挙といい振り回されたのはむしろ周囲だ。
前出小沢氏側近の話。
「小沢先生が冷たい、といった声も漏れ伝わりましたがとんでもない。小沢先生は三宅さんの死後、ひっそりとお焼香に行っています。だけどお焼香に行ったとTwitterで外部に触れ回る必要があるでしょうか」
同氏が指摘するようにTwitter住民は「小沢が三宅の焼香をした」といった投稿を求めたのだろう。これもまたTwitter至上主義といったもの。Twitter自体に公共性があると錯覚している。側近氏の説明通り、お悔やみしたことを投稿する必然性も必要もない。霊前の集合写真を掲載しろとでもいうのか。
来夢の振る舞いや三宅との奇妙な関係、三宅の夫、森安豊一氏は何を思うのだろう。フジテレビ広報部を通して、豊一氏に質問してみた。
①来夢(*本名を伝えた)と面識の有無②ご令室の納棺まで同席したのはなぜか③来夢がマネージャー役だったのは把握していたか④ご令室の写真を来夢が所有しているのは公認の上か⑤ご令室と森安様が役員を務める株式会社キープオンゴーイング(港区白金)の関係者のように来夢は振舞っているが役員、社員なのか 以上。
ご本人から回答があった。
ご質問の方は、妻の生前の支援者の一人と承知しています。妻の葬儀の際には、ご希望を受け火葬にもお立ち会いいただきました。ただ、私は妻の活動には関わっておらず、この方とはほとんどお会いしたことがございません。従って、その活動についてのご質問にはお答えできかねます。なお、株式会社キープオンゴーイングは、妻が代表取締役を務めていた会社で、妻の死後、整理手続きのため私が代表取締役となったものです。現在、会社としての活動は行っておりません
森安氏には辛い質問で申し訳ない思いだ。しかし現在でもTwitter上で「三宅雪子」という名がまるで弄ばれているような状況である。にも関わらず回答から当事者意識が感じられなかった。
元支援者A氏も同調した。
「ご主人がもっと三宅の行動に関心を持つべきでした。おそらく裁判のことも把握していなかったでしょう。誰も得をしないTwitter闘争を制止できたのは森安氏だけだったと思いますが…」
と悶々とした思いを吐露した。三宅の死から野党、マスコミのTwitter依存はさらに強まっている。Twitter真理教の殉教者を再び生み出しかねない環境だ。そんな懸念を踏まえて後編では著名人、特定団体に蔓延する「Twitter至上主義」について検証していく。
後編はやらないんですか?
金曜日に後編で締めます。