学術・研究:部落探訪(210) 山口県 熊毛郡 平生町 佐賀 神田

By 鳥取ループ

中国地方には穢多村の他に「茶筅」という雑種賎民が住んでいた村が多数あった。茶筅という名前の由来は文字通り茶筅をはじめとする竹細工を作っていたことに由来するという説が有力だが、穢多に比べてさらにその実態は分かっていない。

山口県にも茶筅村があり、それらは瀬戸内の海岸沿いや島にも分布している。なおかつ、それらの多くは同和事業の対象になっていないようである。

今回訪れたのは平生町ひらおちょう神田こうだという地区。この分布図ではいちばん南の半島の中ほどに位置する。

瀬戸内海に面しており、この海岸沿いの道路の堤防の向こうは海である。

1935年の記録では20戸で当時から漁村あったようだ。

家は比較的狭い範囲に集まっており、それ以外は空き地が多い。

そして、水産物の加工工場や倉庫も目立つ。

地名で言えば佐賀で、その中のごく狭い範囲の一角が神田だそうだ。

この水路を挟んで南側が神田。

人気がなかったのでピンポンして住民に聞いてみるが、「茶筅」については聞いたことがなく、知る限りでは漁業その他をやってきた家が多く、竹細工をしていたかどうかは分からないそうだ。また同和事業はもちろん、差別された村だったとも聞いたことがないという。

小さな墓地を見つけたが、これはどうも隣村のものらしい。

少し歩くと、大き目の墓地を見つけた。しかし、名字から判断すると、様々な地域の墓が混じっており、少なくとも神田だけの墓ということはなさそうだ。宗派は浄土真宗のものが多いが、山口県は部落に限らず浄土真宗が多い。

過去の記録からすると、相当昔から既に普通の漁村になっていたようで、茶筅の村ということは忘れ去られてしまったようである。

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