さて、再び場面は第1回で登場した千歳市の蘭越生活館に戻る。
実は筆者は生活館の管理人に、とにかく肝心のアイヌ民族に会いたい、そして取材をしてみたい旨を話した。すると、地元の千歳アイヌ協会の中村吉雄会長にアポイントをとってくれた。
そして中村会長に取材の申し込みをすることができた。
「電話で取材ということか?」
そう言う会長に対して、もちろん面談の機会を設けてほしい旨を伝えた。
すると毎年9月の第1日曜日に、蘭越生活館から徒歩で20分ぐらいのところにある名水公園の隣にある「長沼用水頭首口」でアシリチェプノミという鮭獲りの儀式があるという。生活館の入り口にも、今年(2014年)の9月7日に開催するというポスターが貼られていた。アシリチェプノミは、アイヌ語で「新しい鮭の祭り」。鮭漁が始まる前に感謝を捧げる儀式だそうだ。これを見学してその上で話に応じるということだった。
渡りに船だ。まさかたまたま来てアイヌのイベント、しかも鮭漁を直に見られるとは思わなかった。ぜひ参加したい旨を伝えてアシリチェプノミの当日を迎えた。
そして当日、近隣の住民に導かれ会場の長沼用水頭首口に行く。
会長のもとにまずは挨拶だ。ご無理言って申し訳ない、ぜひ勉強させてほしい、と挨拶をすると中村会長はやや訝しげである。
「取材は構わない。ただいいかウチ(アイヌ協会)は部落解放同盟の活動とは無関係だぞ」
後で知ることになるが、「同和問題を取材している連中がアイヌを取材に来ている」、一部のアイヌ協会や行政関係者の間でなぜか話が広まっていたのだ。確かに、あれだけあちこちで聞いて回っていれば印象に残るのは無理からぬ事だろう。
中村会長によれば、アイヌ協会にはアイヌの地位向上という共通の目的があるが、そのために各支部が政治的にどのような主張をし、どのような活動をするか、どのような政党や団体と付き合うかは互いに干渉しないという。そのため、支部によって活動はばらばらだ。
部落解放同盟と関係しているのも、一部の支部や関連団体のことだろうという。また、例えば北方領土はアイヌの物だと主張するのも一部の地域の人が言っていることであって、北方領土問題についての考え方もばらばらである。
アシリチェプノミは、アイヌ協会の関係者だけではなく地元の自治体職員、議員も参加。彼らも民族衣装を着こんでいる。また千歳市外からも見学者が訪れていた。子供たちも多く、意外と人気の行事のようだ。すでに“いわくつきの人物”が取材に来ていることは、知れ渡っているようで、歓迎されているかそうではないかは関係者の態度でよく分かった。
アシリチェプノミは、船に乗って実際に鮭を獲るのだが、その前に儀式が始まった。衣装を着こんだアイヌ協会や行政関係者、議員たちが車座になる。そして歌や祝詞を唱えている。その周りを取材陣や観光客が囲んでいる。
そしてアイヌの酒、トノトをみなで回し飲みをする。これはどぶろくの一種なのだが、乳酸発酵もしているので、そういう点はマッコリに近い。正直、酒も珍しいものも目がない。しかしこればっかりは苦手だ。後ろにいても強い酸味の臭いが漂っている。こういう言い方は失礼かもしれないが、どぶろくも作り手によって大きく味が変わってしまうので、今回は作り手があまり上手でなかったのかも知れない。
とても大きなお椀になみなみとつがれたトノトが回されている。アイヌ協会の関係者はともかく後ろで見ていると、行政関係者も議員も口をつけているフリをしているだけというのがすぐにわかった。
とにかく強い酸味なのだ。すると議員の一人が「若い人もさあ」と勧めてくれる。勧めたというよりも明らかに押しつけている気がしてならない。そして飲んでみる。想像通りの味だ。ただ酸っぱい。そういえばマッコリですら苦手だったなと思いつつ、なにしろ縁起物だから残すわけにもいかない。なんとか飲みきった。
そして肝心のアシリチェプノミである。丸木舟に乗ってマレックという銛の一種で獲るのだ。マレックはちょうどクエスチョンマークのような形をしている。よく見かける銛と少し形状が違う。「アイヌはその日、食べる分しか魚を獲らないから」という理由であえて突きにくい銛になっているそうだ。
まだアイヌ取材は入口の段階だったが、なんというかものすごくアイヌ万歳な感じが伝わってくるのだ。「アイヌは欲がない」「アイヌは人を殺さない」「アイヌは自然を慈しむ」たいていの文化や習慣にこういう前置きがつく。
そして長沼用水頭首口に船が浮かべられる。会長とアイヌ協会の若者が乗って鮭を突く。補足をしておくと用水頭首口とはダムのようなもの。川をせき止めたようになっており、大きな人工のいけすになっている。陸地から見ると鮭がウヨウヨと泳いでいるのが見える。さすが北海道。普通の川にこんなに鮭がいるのかと感心してしまった。
ところが、それは違った。この鮭は市場で仕入れたものなのである。全部で約100匹。これを放流したわけだ。あくまで儀式なのでこれでよいのだろうが、金魚すくいとか「いけす居酒屋」の類とあまり大差ない。鮭はたくさん泳いでいるが、なかなか突くことができない。
「あっちあっち」「下! 下にいるよ」
とギャラリーたちの声が響く。しかし難しいのはよく分かる。昔から「見える魚は釣れない」とは言ったものだ。なかなか獲れない。なにしろ岸辺近くに鮭がゆらゆらと泳いでいる。正直、手づかみの方が手っとり早そうだ。
しかし、サケ漁は法律で厳格に管理されている。本来は、河川で鮭を獲るアシリチェプノミも禁止行為だが、文化事業ということで認可されている。だからあくまでマレックで獲った鮭のみが認められる。仮にたまたま投げた石が鮭に当たって獲れたとしても厳密には法令違反ということになるのだという。
こういう話を聞きながらようやく一匹の鮭が獲れた。しかし、銛で突いたというよりも“どついた”といった方が適当かもしれない。身が割れてしまっている。まあ、それでもなんとかお供えするための鮭が一匹獲れたのである。その後、鮭を捧げる儀式が終わり、アイヌ舞踊などが披露された後、食事が振る舞われ、食べる者、アシリチェプノミにチャレンジする者、観光客たちもめいめいイベントを楽しんでいる。
結局、捕れた鮭はさきほどの一匹と、他の観光客が捕った、合計二匹のみ。
実は、以前は残った鮭を網ですくって捕って、お客さんに抽選であげていたのだという。しかし、行事の予算を補助している北海道教育委員会から、網で捕るのはアイヌの伝統漁法でないからだめだと言われてしまい、また放したものであっても前述のように厳密には法令違反になってしまうという。そこで、今はこのまま自然に還すしかないそうだ。
「道教委からはさんざんいじめられましたよ」
と関係者は語る。
そして一通りの催しが終わり撤収準備が始まった。アイヌ協会関係者は、建設関係の会社を経営している人も多いようで、重機を持ってきて丸木舟を運んでいく。無粋なツッコミかもしれないが、自然と調和したアイヌという様々な枕詞を聞かされた後では、拍子抜けする光景だ。
アイヌに理解があるという地元の元教員が何かとレクチャーしてくれるのだが、彼もまた「アイヌは自然を大事にする」「欲がないから鮭をたくさん獲らない」と言ったような主張を続けていた。しかし、彼らは普段からアシリチェプノミで暮らしているわけではなく、サラリーマンや会社経営者というのが大多数だ。そして、伝統行事においても、市場で購入した鮭を放流して、トラックで運んだ丸木船に乗り、重機を使って撤収するというのが実態である。
しかし「アイヌは自然と調和して暮らしている」ということが、アイヌに対して特に強調されるべきものなのか疑問だ。そもそも、日本ではどのような民族であれ、近代化以前は自然と調和して暮らしていただろう。
伝統行事も、その時代に合わせて変遷するものに違いない。本州以南の祭りでも、軽トラで神輿を運んだり、獅子舞のお囃子に使う太鼓をバイクの荷台に積んで回ったりしても、伝統行事は伝統行事である。一方、時代に合わせて変わらないものもあって、例えば田舎の祭りでは、その日だけは青年団の高校生が酒を飲んでも黙認されるというのはありがちなことだ。
正直、残った鮭を網で捕るくらい、いいのではないかと思う。ただ、道がお金を出している以上、お目こぼしはできないということなのだろう。公金で維持されるのであれば、伝統行事さえも「お役所仕事」になってしまう。
元教員氏は別れ際、こう言った。
「あなたはアイヌに疑問を持っているようだが、じゃあ今日見たアシリチェプノミはなんなんだ。アイヌ文化がある証拠じゃないか」
いや、むしろアシリチェプノミにより、官民一体になって盛り上げている文化という一面を見ることになってしまった。
「新幹線通れば方言失われ」という川柳をどこかで見たことがある。交通インフラが整い人は日本全国に広く進出できるようになった。しかしその代わり「地域の活力」が失われている。そういう時代にあって地元の住民が集まり、アシリチェプノミを盛り上げようとしている。
本音を言えばこうした活動は応援したい気持ちがあるのも確かだ。疑いなく丸木舟を操る若者にエールを贈りたいところではある。
ただ繰り返しになるが、「アイヌは欲がないからその日だけの食料しか獲らない」「アイヌに人を殺すという概念がないから刃物に刃がない」「アイヌは自然と共存してきた」といった主張はどうしても納得できない。
80年代にアジアブームが起きた時に「アジアの子供は貧しいが目が輝いている」というフレーズがドギュメンタリーなどで多用された。
そうだろうか。私が見たアジアの貧困地帯の子供の目は死んでいた。小学生ぐらいの子供が「タバコ、タバコ」とせっついてきたこともあった。貧困、犯罪、格差の中で人はそう輝けるものではない。逆にアジア賛美をするほどにバブル経済を謳歌する日本人たちの欺瞞を感じていた。アイヌにおける“美化”も何か同様のものを感じる。
北海道、というよりも蝦夷地。それはとても過酷な生活だったに違いない。厳冬、不作、そして熊害、貧困との闘いではなかっただろうか。そんな状況の中で「アイヌは自然と共存し…」という生易しい生活がありえただろうか。しかしアシリチェプノミに集まった行政関係者、議員、観光客、そしてアイヌ協会の面々は、必要以上に「アイヌ」を美化している印象だ。もちろん地域があるところに文化があり、尊重する気持ちは筆者も同じだ。
この年のアシリチェプノミがあった時期は、ちょうど金子議員の発言が問題になっていた頃。少なくとも行政関係者や政治家たちはアイヌを理解するというよりか「俺はアイヌに理解がある」「アイヌを差別していない」ということを懸命に訴えていた気がする。
例えばみなで回し飲みをしたトノト。あの酒を毎日、飲みたいという日本人はまずいないと思う。酒好きならば一度ぐらいという程度だろう。精錬された日本酒とトノトと選べと言われたらどちらを選ぶかは自明の理だ。そして何よりアイヌ協会の面々も同じはずだ。その理由は簡単である。失礼だけどたいして美味しくないから。アイヌの若者たちですらトノトを好んで飲む人はどれだけいるだろう。日本の左派の面々は「日本人がアイヌ文化を奪った」と訴えるが、むしろ「アイヌ、というより土着の北海道の住民が昔の生活を好まなくなったという方が適当だと考える。
「アイヌは自然を慈しみ」というフレーズが耳にこびりついた私の前で、丸木舟の撤収中のアイヌ協会関係者の一人がくわえタバコを川に捨てた。アイヌは自然を慈しむのではなかったのかという無粋な揚げ足取りをするつもりはない。人と自然の関係など所詮、この程度のものにすぎない。アイヌ礼賛は「アイヌに対する理解」というよりも日本人が恐れる「反人権的」というレッテルの恐怖心が作用しているように見えた。
撤収作業を終えた中村会長は、場所を蘭越の生活館に移し話を聞いてくれるという。生活館では、アシリチェプノミの打ち上げでアイヌ協会の関係者や地元住民、婦人会らしき人々が大勢いた。そばにはアイヌ協会の若者もいて「ああこいつか」という具合に会長との話を聞いている。いくつかのテーブルに分かれている中で中村会長とその他スタッフが同席する席で話を聞かせてもらった。中村会長には北海道庁から情報公開請求をした資料を見せながら、単刀直入にアイヌに関する諸制度についた尋ねた。とりわけ奨学金や生活資金貸付金の延滞などである。
会長はこう言った。
「確かに何年も前から機関紙などでも適正に返還するようにという呼びかけをしている。貸し付けを受けたアイヌの全てが延滞しているわけではない」
なるほどこれは同和事業においても取材をすると同様の回答が戻ってくる。また「国連でアイヌ協会の人は、部落解放同盟傘下の反差別国際運動(IMADR)と連帯し活動をしているがアイヌと同和はどのような関係なのか?」という点も聞いてみた。
どうも会長はこうした活動が行われていることをあまり把握していなかったようだ。その上で
「日本人でもいろいろいるだろ。アイヌの中にも同和団体に理解を示す人がいてもいいじゃないか。ただうち(千歳アイヌ協会)は関係ないからな」
と説明された。これは後に出会うアイヌ関係者も同じなのだが、意外と解放同盟や同和の話を持ち出すと敬遠するというか、同一視されることを嫌う人が多かった。当初はまるで一蓮托生のような存在だと思ったが、若干、我々の想定とは温度差があるような気がした。
それにしてもこの周辺は、それほど住居が多い地域ではないがたくさんの人が集まって和気あいあいと歓談している。このような“招かざる客”がいるのは正直、心苦しいところもある。そんな思いの中で、この地域に転居してきたという男性は、こう語った。
「私もアイヌ文化や行事を通じてアイヌ協会や地元の人と仲良くできているんだ」
これだ。ハッと思った。はっきり言ってアイヌ民族博物館の類は、恐ろしく展示物が乏しい。中には「アイヌのリーダーが使用した机」といった展示物まであったほど。考えてみれば北海道の歴史はとても浅い。明治時代以降、本土からの移住組によって蝦夷地が北海道となった。その時に自身らのアイデンティティとするものは、
ほとんどない。その時に伝統、地域、習慣でつながれるものがあるとすればそれがアイヌなのだ。
日本人とアイヌの関係は、メディアや運動家の間ではまるで断絶されたような主張が横行している。違う。逆である。アイヌという存在が“つながり”の糸口になっているのだ。このやり取りの中で少なくともアイヌを礼賛する道民からは本土的な“人権派”という自己PRではなく、なんとか郷土を振興させようという痛々しいまでの思いを感じ取った。
アシリチェプノミで獲ったのは鮭ではなく、郷土のつながりである。しかしこの一種の悲哀にも似た思いとはよそに、では何がアイヌなのか、筆者が想定する昔ながらのアイヌなど存在しないのではないか? という疑問が高まったのは確かである。
抑制が効いた格調高い文章ですね。アイヌの文化は肯定すべきと考えます。公による補助の是非は別。文楽と大阪市の補助と似たような構図で、公の補助を受けていない文化も立派な文化です。
例えば今、ブームのゆるキャラ。あれもお役所の人が郷土の歴史から埋もれたエピソードを
無理くり引っ張り出してキャラクターを作ったりしています。アイヌも少し似たようなところを感じました。
もちろん蝦夷地時代からの風習や文化は存在して、それ自体はとても尊いものだと思います。
しかしここに「公」や「運動家」が関わることでかけないのない文化も政治化してしまいます。
政治化した文化はそれなりに潤い、それなりに保護されますが、発展はないと思います。
三品様
はじめまして。アイヌ記事をありがとうございます。
>考えてみれば北海道の歴史はとても浅い。
>明治時代以降、本土からの移住組によって蝦夷地が北海道となった。
>その時に自身らのアイデンティティとするものは、ほとんどない。
>その時に伝統、地域、習慣でつながれるものがあるとすればそれがアイヌなのだ。
考えてもみませんでした。私にとって全く新しい視点です。
私自身は、横浜で生まれ育ち、北海道と同様、歴史の浅い街でしたが。
北海道の人々にとっては、アイヌが「郷土文化」を担保している面が有るのですね。
だとすれば、尚更、地域興しの戦略として間違っていると思いましたが。
アイヌと開拓民が、どのように衝突し、調整・和解しながら、北海道を創ったか。
それを完全スルーして、単純にアイヌを神格化しても何の意味も無い。
「アイヌは人を殺さない」なんて全くの嘘です。
酋長は妾を数十人も囲っていたし、ウタレと云う下僕制度まであったし。
酋長なら、酒に酔った勢いでウタレを殺しても、罪には問われません。
昨今流行の、スピリチュアルブームみたいですよ。
「架空の物語」に縋っていては、いずれ足元の岩盤が崩落します。
ウリナラ・ファンタジーならぬ、ウタリン・ファンタジーですね。
学生時代、深川と名寄を結ぶ深名線という路線がありました。深い山と原野を通る電車でした。
そこを歩いて旅したのですが、まるで未開の地のような場所でしたよ。
現代でもこの有様です。アイヌもまた北海道に移住した人々も壮絶な自然との闘いだったと思います。
三毛別熊害事件なんていい例です。
逆に今のアイヌ賛美は彼らの先祖に対して失礼だと思いますよ。
その苦難と過酷な環境は「自然と調和した生きた」とかそんな現代人の甘ったるい観念とは
まるで違うものだったでしょう。
こんにちは。いつもブログ拝見させてもらっています。
王将の事件についての見解を書いていただきたいです。
同和問題と関係が深いと思われます
ありがとうございます。一応、「ブログ」ではなくてニュース記事、あるいはルポ記事と位置付けておりますので
ご理解ください。
王将の件は承知しています。分厚い第三者委員会の資料と格闘中ですが、呆れることが多いです。
最大のポイントは上杉一族がどこまで関与していたか、同和という威を借りていたのか、
そこあたりでしょうかね。
ttp://web.archive.org/web/20040602101009/http://www5f.biglobe.ne.jp/~kokumin-shinbun/H16/1603/1603042kanako.html
この情報は本当ですか? ソースの信用性は低いと思いますが、いかにもありそうな話だけに昔から気になっています。
文春がアンチ小泉の論陣を張っていた頃の記事ですね。
>事情筋によると、山田かな子は上杉 部落解放同盟元委員長の庶子、つまり
妾の子であり、野中広務の直系に相当するという
「直系に相当」の直系が何を意味しているのかよく分かりませんでした。
解同と障害者団体について調べていたら、内閣府が4月から障害者差別解消法を施行し、
地域に「障害者差別解消支援地域協議会」が発足されることとなったようです。
やる事は、相談や啓発・啓蒙だそうで、これまでの障害者に関する法律と
あまり変わらない感じがします。啓発・啓蒙というと解同、解同というと啓発・啓蒙ですね。
解同は法律の策定にも関与していて、似た様なのをコピーして沢山作り、
予算取りを狙っているようですね。
お金に目がくらんだ政治家は、アイヌ差別禁止法などを作るんじゃないですか?
人権擁護法が作られなくても、解同の思惑が実現されてしまっています。
ウタリ対策法も自民党の町村元官房長官の父、町村金吾が北海道知事の時に推進しましたからね。
中央から金を引っ張り地元にまくという構造は同和と同じ。
それ自体は地域経済にプラスになるのですが、問題は階級闘争だとか民族自決という
政治問題を持ち込んだために歪められたのでしょう。
これも同和と同じですが。
本当に地元にまいているのか、怪しいものです。貧富の差が拡大して、
結局同和でないと大学に進学できなくなりそうですね。
ところで、アジアプレスが北朝鮮の「生活総和」という義務について掲載していました。
解同の糾弾会に似ているので、お知らせいたします。
これをやっていると、関係のない人も立派な同和になれそうです。
http://www.asiapress.org/apn1/archives/2016/03/01111259.php
ああこれは社会主義国や共産圏の常套手段ですね。お互いを監視させるという仕組みですね。
もちろん日本にも輸入されていてその極致なのがあさま山荘における「総括」でしょうか。
解放同盟の場合、地域学習会という名前にかえて開催されました。
例えば
「身近なところで私が感じた差別」「私が過去やってしまった差別」というテーマでお互いに
自己批判をするのです。
「差別を感じた」といえばもちろん批判されますが、「差別を感じていない」もしくは「差別をしていない」と
答えると「人権意識が低い」と批判されるというとても理不尽なものです。
すみません上は三品投稿でした。
上は三品投稿でした。
アジアプレスからの引用ですが、週1のペースでこういうのを3~4時間するそうです。
北朝鮮人が水平社や解同に入り込み、やり方を教えたんだと思いますが、日本には
金日成主義がないので、意味不明なただの罵りあいになってしまったようですね。
私は父が日教組なのですが、糾弾などやっていなくて赤旗の販売と、選挙運動が主な活動内容でした。赤旗はプロパガンダ新聞ですね。
自分は革マル系左翼大学で学費値上げ反対のデモなどに参加しましたけど、やっぱりやっていませんでした。革命でないと不平等が解決しない、と言っている人はいました。
仕事で関西に引っ越して、糾弾の存在を知ってただただ驚きです。
—–
[参加者男性] 討論に参加したいと思います。10大原則8条3項に関してやりま す。(雑音)……次のように指摘されています。「組織生活に自覚的に参加し、生 活を正規化、規範化しなければなりません」。
自身の一週間の生活を総和してみると、組織に対する正しい観点と態度が不十分で した。その表れとして、私は今月に入って生活総和に一度も参加していないし、報 告もせずに欠席するようなことがありました。組織生活をしっかりやっていないた めに、一日の勤務においても仕事をきちんとやらないようなことがありました。私 は先週の間違いを正すために、まずは10大原則を深く学習し、組織生活に対する正 しい観点と態度を持って、自分に課された仕事を、責任を持ってやっていくことを 決意します。
[幹部男性1] 同志。以前はしっかりやっていたのに、外の仕事をしていて時間が ないからかもしれないが、生活総和を抜けることが多すぎる。忙しくても生活総和 には必ず参加するようにしなさい。出席簿で全て把握していますから。
[幹部男性2] 今何歳なのか? おい、今何歳だ? お前は組織生活を1~2年や った人間ではないか。生活総和があるのになぜ遅れてくるのか? 朝5時、6時に出 て来てみると、海の砂を掘って持って行くのを防ぐために、毎朝来ている人もいる んだ(海砂泥棒警戒のことか?)。生活総和の時間も守れないことについてどう説 明するつもりか?
おい、なぜ同盟生活総和の時間を守らないのか? お前だけ特別だとでも思ってい るのか? まともな生活をしないと棍棒で叩く(「厳しく対応する」の意)と言っ たのになぜ聞かない? 何回も言ったのになぜ聞かないのだ? おい同志。なぜ時 間を守らないのか? 私は昨日何と言ったか? なぜ遅れる? 君は職盟組織の人 間ではないのか。
[参加者男性] 遅刻していません。
[幹部男性2] お前が来た時、まだ始まっていなかったというのか? 何時に始ま るのか。おい。
ご存じと思いますが、金日成が日本を共産主義化しようとした時、労働運動と学生運動を利用したそうです。私の大学にも、朝鮮人みたいな顔立ちの人が来て、学生に指導していました。日本には暴力革命が必要と教えていたのでしょう。穏やかに話す人(たどたどしい日本語なので)という印象です。
八尾恵は主体思想にはまって志願して北朝鮮に行きましたけど、部活か何かでやっているセミナーの中身が、批判集会だったのですね、きっと。それでも太った醜い将軍様に憧れるようになりますかね。北朝鮮人全員が、将軍様に夢中、という訳ではないでしょう。年頃の女の子が、将軍様に夢中になる理由を知りたいです。
階級闘争に民族自決、虫唾が走ります。
「自然と調和」という言葉は綺麗だけど、定義が全くわかりませんね。なんとなくの雰囲気しかない言葉です。
こうした言葉で人や社会を動かそうとする姿勢は卑怯だし、危険だ。とくに場の空気で動くに日本人にとっては猛毒です。
山葵さん
今、社会全体がポエムというか理念、ワンフレーズ型になっていて
目の前の難題を美辞麗句や勇ましい言葉だけで片付けています。
まさにご指摘の通りで綺麗な言葉に騙されてはいいけませんね
レポを読んで、そう思われたのも見た通りのことでしかたないのだなと思いました。ただ、歴史的な背景として、アイヌの文化は言語も含めて継続して伝承されたのではなく、一旦、ほんとんど失われてしまい、それを再び復活させている途中であり、若い世代のアイヌにとっては否定から肯定へと世間が動くなかでの戸惑いもあるのだという理解も必要ではないかとおもいます。北海道旧土人保護法が廃止されてまだ20年だという月日の浅さも考慮すべきだと思います。アイヌというアイデンティティを持つ人々が現代のアイヌと、かつてのアイヌとのギャップの間で葛藤しているのであり、きれいな美辞麗句というのが、和人側の研究者からもレッテルとしても貼りつけられ、それを剥ぎ取っても残るはずの、「伝統文化」をようやく今、取り戻しているところなのです。