芦尾小学校の跡地にある木材加工場から、熊野街道を白浜町方向へさらに1kmほど進むと、右側に山に入ってく道がある。この道がある谷が、「皆ノ川谷」である。
国土地理院地図では「かいのかわ」という読みだが、地元の人は「かいのがわ」と呼んでいるようだ。
映画「人間みな兄弟」では、白子の「じっちゃん」を芦尾小学校に通わせた経緯を教師が語るシーンがあるが、確かに「子供が皆ノ川の子供達のグループに守られたらね」と発言している。
谷を上がってくと、木が植えられた斜面があり、その上に古い民家らしきものが見えた。これは映画が撮影された当時からあったものらしい。周囲が山に囲まれていて薄暗かったため写真がボケてしまった。
建物に近づくと、完全な廃墟であった。
五右衛門風呂は凍っていた。
周囲を見渡すと、林の中にさらに家が見える。
これは、さらに見事な廃墟であった。廃墟マニアにはたまらないかも知れない。
一応水道があり、電気も来ていたらしい。風呂場の部分は完全に屋根と壁が崩壊していた。しかし、おそらく1970年代くらいまでは実際に人が住んでいたと考えられる。
廃墟の中をパノラマでお楽しみいただきたい。
ここは廃集落で、他にもいくつか家があったようだ。今は木が生い茂っているが、昔の風景が何となく想像できる。しかし、いずれにしても自動車は入ってこられないような場所だ。
さらに進むと、木がなくて開けている斜面がある。
映画に出て来るこのシーン、実はこの場所から撮影したようなのである。地元の方によれば、確かにこの空き地には昔4軒の家があった。許可を得て斜面の上に登って撮影した。
映画撮影当時よりも周囲の木々が高くなってしまっているので分かりにくいが、おそらくここで間違いないであろう。
皆ノ川は1980年代に、ふもとの熊野街道沿いに集団移転したため、今はほぼ廃集落となっている。現住しているのは高齢者の1世帯だけだという。
しかし、谷にはところどころ植林がされており、畑や果樹園がある。現住している人はほとんどいないとは言え、未だにかつての住民の仕事場になっているようである。
民家がいくつかあるが、これらはもはや民家としては使われておらず、ご覧の通り倉庫や機材置き場や作業場になっている。
残念ながら、映画のことを知っている人には会うことができなかった。
皆ノ川がなぜ部落と見なされるようになったのかは不明である。確かに山奥にある孤立した集落ではあるが、この辺りにはもっと辺鄙な場所がある。芦尾小学校には分校があり、それがあった兵生集落も廃集落となっている。
こうゆうの好き。
廃墟に日めくりカレンダーとかあったら
当時の生活の偲び感慨ふけったりしちゃう。
中には昭和の頃の玩具などもころがっていました。
林の中には他にも家らしきものが見えたので、もっと探訪すれば他にも廃墟があると思います。
出演者の消息は判明しませんでしたか。近親相姦で生まれたアルビノの少年のその後が気になります。
当時を知る人がもう60や70歳ですからね。地元の人に映画を見てもらっても、もう誰か分からないと言ってました。
あまり探訪の時間がなかったので、じっちゃんの消息まではつかめませんでした。
よく取材されましたね。
古い日本の家屋っていいですよ~。
質問です。サンカの人たちが定住された集落とは考えられませんか?
それは分かりません。朝日ジャーナル1977年9月号に特集があるようなので、それを読めば何か書いてあるかもしれません。
中上健次著の「紀州」に皆ノ川の章があります。
「皆ノ川ソヴィエト」と称した養豚場があったようですね。書かれたのは昭和50年前後の様子ですので、それ以前の様子はよくわかりませんが、近親婚の問題についても記述されています。
中上健次著の「紀州」、早速キンドルで買って読みました。
「皆ノ川ソヴィエト」とは凄い名前ですが、自立心の高い部落で、しかも共産党員が関わっていたのですね。
同和色が残っていない理由が分かりました。
紹介し忘れたのですが、皆ノ川集会所の画像です。今でも使われています。
周囲に人が住んでいないので、確かに太鼓の練習にはもってこいでしょう。
皆ノ川集会所の画像が消えちゃっています。
見たいです。
リンク切れを修正しておきました。
ありがとうございます。
太鼓叩き放題なんて素晴らしいですね。
皆さんよく勉強なさってますね。部落・サンカのことは、謎だらけ、興味深い話です。小生も精進いたします。
ありがとうございました。
祖母が栗栖川の庄屋の生まれで子供の頃その地区のはなしを聞いたことがあります。祖母の妹も栗栖川の寺の嫁で旦那さんがその地区の葬式に呼ばれてうんぬんの話も聞いています。
白子のえっちゃんの話は聞いたことはないでしょうか?