曲輪クエスト(435)秩父市 相生町

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By 宮部 龍彦

菊池山哉によれば、秩父には3つの古村があるという。そのうち、1つが旧大宮町にあった。

○町の入口から少しく川寄り、秩父街道筋に近い。

○白山神、祭日九月二十九日、昔は小屋懸をして、芝居をしたものと云。今は合祀して、其跡だけとなる。

○農家と日稼人、五十五戸ばかり。

「風土記稿」云。

横瀬村、寺阪の横瀬六郎右衞門の屋敷なり、その續きに、今市と稱して町屋あり、又河原と言ふ所に、長吏住みしが、横瀬斷絶せしかば、町谷は大宮へ移り、長吏は三本木へ移りしとある。横瀬村から來たもので、元からのもので、無いかも知れぬ。

ヒントは街道沿いの秩父の町の入口近くで川寄り、旧大宮町内である。Googleマップで白山神社がないか検索すると、相生町公会堂の脇にあるらしい。

この時点で、ほぼここで間違いないだろうと確信した。相生とは同じ根から2つの木が生えることで、夫婦仲睦まじいことを連想させるおめでたい名前である。新生、協和、改進のように、昭和の始め頃に団体名や地名として好まれた言葉の1つだ。

ということは、その時期に地名を改めたい理由があったということだ。古村のイメージを払拭するために、歴史ある地名を「今風」に変えるということはしばしば行われたことだ。

これが白山神社。しかし、白山神社とはどこにも書かれていない。白山神社と知ってGoogleマップに載せたのは地元の人か研究者か。ただ、菊池山哉が記したとおりならこの神社はガワだけで、御神体はないはずだ。

古村の世帯数は多く、菊池山哉は55と記したが、別の記録だと87ともっと多い。農家があるほか、日雇の労働者や商人が集まっていた。近代になって人が集まってきた、いわゆる地方都市労働型の部落に該当するだろう。

公会堂の敷地内の石碑から、宮城、明石といった名字が多いことが分かる。

1960年頃の航空写真と名字の分布を重ねるとこうなる。ここは秩父の町の北の入口。西に荒川がある。川寄りというか、ほぼ街道沿いのように見える。

そして、決定的なのが神のごときサイトである「関東小字地図」の掲載情報である。菊池山哉が、長吏が移ったと記している「三本木」の範囲がほぼ相生町と一致している。

たしかに、今でも日雇の労働者が多かったような趣はある。一方、宮城や明石といった家は比較的大きい。これらが菊池山哉が記した農家だろう。

おそらくかつては農家の間に労働者が住む長屋が立ち並んでいた。そして、今は新しいアパートも出来ている。

歩いていると、火事で焼けた古い長屋が目に入った。

ニュースによれば昨年の11月20日に火事があり、高齢の親子が亡くなったということである。

見たところ、ゴミ屋敷のようになっていたようで、何か事情がありそうである。

火事があった長屋は段丘に近く、趣のある風景が見られる。

街道沿いにはお店やアパートが多い。川とは反対側にも行ってみた。

やはり、反対側も少し奥まったところに行くと、往時を忍ばせる風景が見られる。

空き地、売り物件も多かった。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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