曲輪クエスト(367) 泉佐野市 南中樫井

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By 宮部 龍彦

泉佐野市の古村の近くに引っ越すことになったので、ぜひ訪れてほしいというリクエストがあった。

『樫井部落の歴史 ―部落のなりたちと先祖のたたかい―』という本があり、これは国立国会図書館デジタルコレクションで見ることが出来る。昭和初期の記録では105世帯で、農業や日雇いが主だったとされる

古村は整備はされているものの、昔の面影を残しており、歴史を感じさせる物もあった。

この泉佐野市立樫井共同浴場、旭湯から探索を開始した。午前中に訪れたので開いてはいなかったが、きれいで広々とした施設であることが外からも分かる。これで入浴料が200円というので、グーグルマップのレビューもすこぶる好評である。

筆者が近所に移り住めば、間違いなく頻繁に通うことだろう。

しかし、入り口付近には気になる張り紙がある。地名では南中樫井、自治会は樫井西ということだ。

浴場横の植え込みの中に石碑がある。

特徴的なのは名字に東西南北の方角、あるいは谷が入っていることが多いこと。グーグルマップの旭湯のクチコミもそのような名字の人が多く、内容から地元住民が運営していることが伺える。

西口邸については、マッポ!で調べると分かる。西口が2つ並んでいる大きな空き地がある。

2018年の時点では古い民家がある。

そして、現在は門柱だけが残された空地になっている。しかも「華邦貿易産業株式会社」の立て札がある。

何があったのか、通りがかりの住民に聞いてみると、あの土地を中国人の会社が買って、物流センターと工場にすると言ってきたという。しかし、あの土地から集落を出入りするまでは細い道しかなく、トラックに出入りされたら環境が悪くなるのは目に見えているので反対運動が起こったのだという。

確かに、古村中は道が狭い。

名字に規則性があることから分かる通り、ここは古くからの住民が多く、見るからに古い家が多い。多くの住民は家を動かすのを嫌ったそうだ。一部の住民が道路拡張のために土地を寄付することもあったが、それもわずかで、結果的にほとんどの道は細いままになっている。

そのような状況で、中国系企業が根回しもなしにいきなり物流施設の建設を表明したので住民の反感を買ったというわけだ。確かに、大型トラックが出入りするには無理のある場所だ。トラックが入ってきたら車はもちろん、自転車や人がすれ違うのも厳しいし、子供にとっても危険なので、これに関しては住民に理があるように思えた。

『樫井部落の歴史』によれば、この福正寺が村の寺である。古村は安政の頃は少し離れた場所にある、鶴原の正覚寺・鳴滝の浄光寺の檀徒であったが、時期は不明ながらその後の比較的新しい時代に福正寺を創立したということである。

福正寺は浄土真宗本願寺派なので、墓石には釋の文字が見える。

正覚寺、浄光寺は起源をたどれば真言宗であるが、戦国時代の頃に当時の一向宗、現在の浄土真宗に転じたという。

『樫井部落の歴史』によれば、古村の人々は一向一揆に参加し、それが古村の成立と関係しているのではないかという。秀吉の太閤検地の記録には「たんのわ衆」の肩書の記述があり、これは一向一揆をたたかった地侍であるとする。これは非人身分と同一の身分として把握されていたということだ。

しかし、実際に住民に聞いてみると、そのような由来があるのかは、よく分からないそうだ。それよりもインパクトがあったのはやはり同和事業で、当時は確かに大変なお金が投じられていたという。しかし、現在では泉佐野市はそのような事業をやめてしまい、昔のようなことはなく、隣保館も公民館と同じようになっているということである。

歴史的な遺物としては、村のはずれに大阪夏の陣の古戦場跡の石碑がある。

墓地から古戦場に行く途中に神社があり、氏子の名字から古村のものであることが分かるが、『樫井部落の歴史』にはそれらしい記載ががない。

一方、記載があるのがこの若宮神社。

見ての通り、大変立派な神社である。しかし、その由来も祭神さえも分からないという。

確かに、境内の中をいくら探索しても、祭神を示すものがない。祭神不明ということは、それが何か分からないがとにかく神様がいることは確かなので祀っているということになるのだが、それがここまで立派な神社だと不思議に感じる。こんなに大きな祭神不明の神社は珍しいのでは?

最後に、既に公民館のようになっているという前評判の旧隣保館へと向かった。道路の向かい側だが、会館に行くために作られたと思しき地下道がある。

そこには団地もあった。おおそらく1970年代のものだろうか。老朽化していて、おそらく空き部屋も多く、火事にあった形跡のある部屋もある。

ということは、あの地下道は会館に行くためのものというだけではなく、団地のための通路だろう。

地下通路付近には、はま寿司と、スシローがある。回転寿司に行きたい気分になった時に、いつでもはま寿司とスシローのどちらか選べるのは贅沢ではないか?

そして、ここが泉佐野市立南部市民交流センター。かつては隣保館として厚労省からも予算が出ていたが、今は指定管理になっている。隣保事業をやめて、指定管理にして貸館事業に特化すると厚労省の予算は出なくなるが、それでも自治体の負担は少なくなる。

確かに人権だの同和だの部落と言った掲示物はなく、事実上の公民館となっているようだ。

反対側に回ると樫井会館と書かれている。

町会事務所がある。中国系企業の物流施設建設反対運動や旭湯のクチコミを見て思ったが、ここは町会の活動が強くて、古くからの住民の一体感が強いように感じる。

よく見ると、館内には泉佐野市人権協会の看板が見えた。人権だの~と言った前言撤回である。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(367) 泉佐野市 南中樫井」への2件のフィードバック

  1. 匿名

    三品さんんにかかると、文書がよからぬ印象を与えますね。
    記事中
    >現在では泉佐野市はそのような事業をやめてしまい、
    物はいいようですので記者らしく表現されてはいかがでしょうか

    やめてしまったのではなく事業は終了したと言うことでしょう。あなたは同じ意味だと言うかもしれませんが、印象操作にも似た表現は悪い癖ですよ。そうでなければ裏どりをしっかりして表現されてはいかがでしょうか。思うだけでは????同和住宅融資の件も随分まちがった知識を以前お持ちでしたが勉強されましたでしょうか?

    #50a90db93cde74abb0c5b7a951e2c1c4

    返信
    1. 匿名

      ごめんなさい許してください。
      何でもしますから‥‥。(何でもするとは言ってない)
      #1d624c7a5a35c588f1fcbe6082252365

      返信