学術・研究:部落探訪(197) 愛知県名古屋市中区新栄

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現在では新栄しんさかえという名称の地域は、かつては不良住宅が密集する都市スラムであった。しかし、1980年代から住宅地区改良事業が始まり、現在は巨大な団地が立ち並んでいる。

1930年頃は下奥田という地名で、664世帯の部落があり、生活程度は悪かったと言われる。

江戸時代の寛政年間につくられた「愛知郡村邑全図 名古屋村東畑図」(Flashが必要)には「非人小ヤ」「けんかい小ヤ」との記述がある。この地には非人小屋があり、天台宗の僧侶玄海が設置した貧民救済小屋があったと考えられる。

江戸時代の地図には「白山」という記述があるが、その白山神社が現在も存在し、境内が小高い丘になっている。この丘は古墳である可能性があるという。

非常に大きな白山神社で、その歴史は村の歴史より長い。この白山神社はたまたま部落の近くにあるだけで、部落とは無関係なものである。

白山神社の東側に非人小屋および玄海小屋があったのだが、現在は大きな団地になっている。さらに昔は住宅密集地であった。

この地で言う非人というのは、貧困、飢饉、疫病等で社会からドロップアウトした人々のことであったと考えられる。非人小屋というのは今よりもはるかに厳しい時代において、そのような人々の生存権を確保するためのもので、言わば社会福祉施設である。

本来は「非人」は世襲されるものではないが、この地では明治維新後も大規模な貧民窟として残り、階層化してしまったと考えられる。いつの時代でもどのような都市でもあり得ることで、身分制度とはまた少し違うかも知れない。

これらの市営住宅団地は密集していた不良住宅の代替として建てられたもので、普通の市営住宅とは少し扱いが違う。必ずしも低所得者層だけが住むものではない。

現在の地名は新栄だが、東小屋→下奥田→菊里町→王子町と、過去に何度も名前が変わった。

街を歩いていると、外国人らしき人と何人もすれ違った。実際、外国人が増えているようである。子供も多い。

これが中区文化センター。隣保館である。

しかし、隣保館の割には同和や人権を思わせる掲示物がなく、もちろん解放新聞や狭山事件のブックレットのようなものはない。

その代わりにあったのがこれ。確かに東海地方だと暴力団が同和を利用する話をよく聞く。そのために、このような物が必要なのだろう。

共産党のポスターも。

これは八王子社。

その横にあった石碑。関西では「熱と光」と書かれているのがありがちだが、ここでは「汗と愛」だ。

そして、この地域で必ず話題となるのがこの住宅。市営住宅の駐車場の一角に1つだけある。ここだけ立ち退かなかったのだろう。このような住宅が密集していた時代を偲ばせる唯一の物件だ。

近くに小屋がある空き地と火事で焼けたような家があるが、あまり関係はなさそうだ。

この何の変哲もないビルと駐車場。ここには6年ほど前まで圓教寺があった。玄海寺とも呼ばれた天台宗の寺である。この地の非人部落の歴史を共に歩んできた寺は、特に話題になることもなく、ひっそりと消えていた。

学術・研究:部落探訪(197) 愛知県名古屋市中区新栄」への3件のフィードバック

  1. アバター新栄白山神社古墳

    >>この丘は古墳である可能性があるという。

    平成19年に墳丘本体ではないが、周濠の発掘調査がなされており、
    出土した埴輪から5世紀中頃の前方後円墳と判っている様です。

    返信
    1. アバター鳥取ループ 投稿作成者

      コメントありがとうございます。すみません、可能性というよりほぼ確実に古墳ですね。

      返信
  2. アバターよちいり

    いつも貴重なレポートありがとうございます。
    名古屋市女子大生誘拐殺人事件で死刑が確定、執行された元死刑囚・木村修治の出身地ですね。

    返信

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