今回は、福井県で最大の部落と言われる、南市を訪れた。1935年の記録では230戸の部落があったとされる。以前訪れた高浜町西三松の部落は高浜原発と密接な関係があったが、この部落も美浜原発建設の経緯と関係している。
「福井県と佐賀県の同和地区現地研修記」によれば1984年当時の世帯数は394に達していた。西三松よりもはるかに大規模な部落である。もう1つの違いは、当時も今も、ここは全日本同和会が力を持っているということだ。
この美浜町文化会館が地域の隣保館である。
ここでは自治会と同和会が一体となっていて、特定のボス的な人物がいるわけではなく、持ち回りで会長をしているという。このような地域は珍しいかも知れない。
1982年8月の『前衛』に、南市部落出身の「平野巌」という人物が当時の町長で、原発を推進したことが書かれている。その平野巌氏は戦時中は思想犯を取り締まった「特別高等警察」に所属していたため、戦後はGHQから公職追放された。
そんなことなので平野巌氏は徹底した反共主義者。支持者が手配したと思われる右翼の街宣車が「日共撲滅!」を叫んで町内を駆け回ったことが『前衛』に書かれている。
必然的に、保守系の同和団体である同和会この地域では主流となったということなのだろう。
「福井県と佐賀県の同和地区現地研修記」 によれば、当時は1日に400~500人が原発関係の仕事に出ていて、同和会の会長が「原発は神様」と語ったことが書かれている。
しかし、今では部落内に空き家が多く、文化会館の近くでは古くて大きな民家がつる植物に覆い尽くされていた。
耳川にかかる歩道橋。この対岸は地名では河原市だが、南市の一部に属しているようだ。
平野巌氏について住民に聞いてみたが、誰に聞いても、もう過去の人物という認識。無論、存命していない。
それどころか、原発で潤ったのも過去のことという認識だ。美浜原発は現在稼働しておらず、2015年には1,2号機の廃炉が決まった。3号機もいつ稼働再開するか事実上見通しがつかない。
廃墟が多いのは、結局はそのことが関係しており、仕事がないので人が出ていってしまっているからだという。
これはかなり古い同和住宅で、もとは平屋根だったところに、後で瓦屋根を載せたことが分かる。
住民によれば、同和事業が行われた当時、多数の住民が他の場所に移転して分散すると同時に、こうやって目に入る家の多くが実はよそから移り住んできた住民のものということだ。
昔はもっと家が密集していたはずだが、今でも何百単位の集落のように見える。それで住民の移転があったということは、住民の言う通りよそから移り住んだ人も多そうだ。住民を分散させて、融和を進めるというのが、いかにも同和会らしいやり方だ。
南市からの移転先の1つだという場所に行ってみた。そこには公営住宅があった。
集会所には全く同和や人権といったものはなく、原発推進のスローガンが掲げられていた。
耳村南市の水平社にいた森山伊右衛門と森山栄治の関係は地元民に訊いてみませんでしたか?
森山姓は美浜町の部落には多いけれども、高浜町の部落にはほとんどないんですよね。してみると、森山栄治の家もルーツは美浜町ではないかと。
それを聞くという考えには至りませんでしが、たぶん地元の方に聞いても分からないのではと思います。
動画の11:19~11:48ぐらいにずっと映っている左側の豪邸は、歌手・五木ひろしさんのご実家ですね。