アンチ個人情報保護⑧ 「住所でポン事件」勃発

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By 宮部 龍彦

アンチ個人情報保護法 シリーズ記事

さて、「住所でポン!」は最初の頃こそ大炎上と言えるような状態となって物議を醸したが、さまざまなところで議論されるにつれ個人情報保護法の上では「住所でポン!」は何の問題がないということが定説になってくると、個人情報クレーマーはすっかり静かになった。

しかし、ごく一部の法律家は、それでも納得していなかった。そのことが、「住所でポン事件」として知られる裁判を惹き起こすこととなった。まずは、その背景を説明しよう。

SNSが普及し、一般人のインターネット利用が拡大するにつれ、ヨーロッパを中心に「忘れられる権利」というものが主張されるようになった。インターネットに流れた情報は、しばしばあちらこちらにコピーされ、削除が不可能になる。そのために、過去の犯罪歴などがいつまでも流れ続けてしまうので、それを削除する権利を認めようというものだ。特に、グーグルなどのサーチエンジン運営会社に対して、検索結果に表示させないように法的措置をするために、この理屈が使われるようになった。そして、実際にヨーロッパのいくつかの裁判所は「忘れられる権利」を認めた。

しかし、「忘れられる権利」などというものは、馬鹿げだものだ。歴史を振り返れば、大昔は口伝え以外に記録を残す方法はなかったら、人々が忘れてしまえばそれでおしまいだった。しかし、文字が発明されると、それを紙に書くか、石に刻むかして後世に残せるようになった。さらに、活版印刷が発明されると、同じ情報をいくらでも複製できるようになった。そして、印刷された本は図書館に所蔵され、半永久的に保存されている。それらを削除することを強制するなら「焚書」と非難されれうだろう。そのような歴史的経緯があるから、出版社や図書館に対して「忘れられる権利」などというものは認められていないし、今後も認められる見込みはないだろう。

しかし、それがインターネットになら認められると考える法律家がいるのは、インターネットが新しいメディアであるから、公平に見られない人がいるということである。例えるなら、中世に活版印刷が発明された時、聖書が複製されて民衆に広まるのを見て、教会が自らの権威が落ちるのを心配するようなものだ。

「忘れられる権利」は、裏を返せば「忘れる義務」を誰かに強制することだ。表現の自由などの伝統的な人権を一部否定することを、さも新しい権利が生まれたかのように言ったに過ぎない。

特に日本では、個人情報保護法の枠外にあるような情報全般に、忘れられる権利を認めたような法律は存在しない。法律の定めなしに国民は自由を束縛されることはなく、国民に義務を課したいのであれば、法律を作って国会で議決するのが民主主義の法治国家のあり方である。しかし、法律に定められていないようなルールを勝手に作り、それを国民に強制しようとする弁護士や裁判官が、残念ながらいるのである。

さて、お盆と終戦記念日が迫った2015年8月13日のこと、筆者のところに「住所でポン!」の一部内容の削除を求める「削除請求書」という文書が内容証明郵便で届いた。そこで、筆者は早速差出人の島崎哲朗弁護士に電話して、留守番電話に「拒否するので、法的措置を取りたければ取れ」という趣旨のメッセージを入れておいた。

その結果、筆者は翌日の8月14日に京都地方裁判所に提訴された。筆者に対する請求は、京都市の仏壇業者である阿部孔豊氏の情報を「住所でポン!」から削除し、さらに慰謝料を支払えというものだ。

民事訴訟は、原告が裁判所に訴状を提出することで始まるが、被告側に訴状が送られてくるまでにはしばらく時間がかかる。通常は、訴状が届いたことで、被告は裁判を起こされたことを初めて知ることになる。

しかし、「住所でポン!」の件については、島崎弁護士がウェブサイトで「「ネットの電話帳」によるプライバシー侵害【本日、提訴】 」という記事をその日に載せたため、筆者はすぐにそのことを知ることになった。さらに、8月21日は京都新聞に「「ネットの電話帳」を提訴」との見出しの記事が掲載された。京都新聞には、島崎弁護士のコメントが掲載されていた。

このことから、島崎弁護士が裁判の存在を大々的に広めて、社会に訴えかけようという意志があることが伺えた。それなら何も遠慮することはあるまいということで、8月23日に筆者のもとに訴状が届くと、筆者は訴状をそのままネットに公開した。このことが、さらにその後の展開を複雑なものにした。

インターネットに個人情報を載せてはいけない?

結論から言えば、「インターネットに個人情報を載せてはいけない」という法律は存在しない。しかし、インターネットに他人の個人情報を載せてはいけない、といった考えが、日本では長らく流布してきた。

その理由の1つは、インターネット掲示板「2ちゃんねる」が、原則として個人の住所や電話番号を掲載することを禁止しているためだろう。当初は無法地帯とのイメージが強かった「2ちゃんねる」でさえ禁止しているのだから、健全なサイトでそのような事をするのはもってのほかだと言うわけだ。

しかし、良いか悪いかは別にして、初期の「2ちゃんねる」は個人を特定するような書き込みよりさらに酷い罵詈雑言に溢れていた。どのような罵詈雑言が流布されていても、名指しさえされていなければ、思い当たる本人が抗議したところで、それによって個人の特定を促し、逆効果になってしまう。そのような矛盾を逆手に取った、ある種の責任逃れである。

裁判例としては、掲示板プライバシー侵害事件判決(神戸地方裁判所1999年6月23日判決)と言うものがある。これはインターネットが普及する以前の「パソコン通信」に関するもので、電子掲示板の揉め事の相手に住所連絡先を掲示板で晒され、その結果何度もイタズラ電話をされたり、他人に勝手に通信販売の商品を注文されるという嫌がらせをされたというものである。判決では慰謝料20万円が認められ、電話帳に掲載された情報でもプライバシーとして保護されるべきということが判決理由として述べられている。同様の事態を防ぐという意味があるだろう。

しかし、さんざん罵詈雑言を書き込くと同時に「さあ、こいつが張本人だ」と個人の連絡先を晒すのと、単なる事実の提示として個人の連絡先を示す行為は別の事柄だ。先述の朝日新聞の「声」欄の問題についても、当初から「声」欄は実名投稿が原則で、電話帳で連絡先を調べることが出来ることが問題にされたのではない。メディアの論調は、 「2ちゃんねる」でイタズラ電話を煽るような書き込みがされたことを問題としているのであって、「声」欄の実名主義や、「住所でポン!」を批判するようなものではなかった。

このように、単なる個人情報とは別のところに問題があるのだが、単純なところに原因を求めた方が分かりやすいのだろう。

さて、筆者が訴状をそのままネットに公開した結果どうなったか。訴状には、裁判の結果として誰が誰に対して何をどうして欲しいのか一通り書いてあるので、そこには当然原告の氏名と連絡先も書かれている。このことに対して、島崎弁護士は激烈に反応した。

9月3日に、ネットに掲載した訴状から、原告が特定されるような情報を削除するように裁判所に仮処分を申し立てたのである。つまり、この点についても裁判で争うので、今から公開されてしまったのでは裁判の判決が出ても無意味になってしまうから、とりあえず消せということなのである。

これについても、筆者から言わせればおかしな話だ。ひっそりと裁判をやりたいのなら、ウェブサイトで発表することもせず、京都新聞の取材にも応じなければよかったのである。しかも、島崎弁護士は「ネットの電話帳」とはっきり言っているのだから、島崎弁護士は裁判の被告を特定する行為をしていると言える。一方で、原告を特定してはいけないというのであれば、片手落ちだろう。自分からメディアを通じて情報を発信しておきながら、「個人情報」を縦に相手方による都合の悪い情報の発信をブロックしようというのは愚かな考えである。

そもそも、裁判は原則として公開のものであることが憲法に定められている。かつては、判例集等で裁判の原告と被告の氏名や住所が書かれるのはごく普通のことだった。それが、いつしか伏せ字にされるようになっているが、これも個人情報保護という風潮の影響だろう。

そもそも、裁判の記録というのは全体を通して個人情報そのものであって、当事者名だけ伏せればセーフというのも、ずいぶんといい加減な話だ。先述の 「2ちゃんねる」 についての議論と同じで、仮に当事者が不愉快に感じても、自ら名乗り出て抗議すれば逆効果になるので、責任逃れにはこの対応が最適ということだろう。

日本以外ではどうかというと、欧米では個人が当事者となっている事件でも「○○ vs. ○○」のように当事者の実名で事件名が表記されることが多い。何事も欧米の真似をしろと言うつもりがないが、日本が個人情報保護の手本としている欧州においても、しかも皮肉にも個人情報に関わるような訴訟でも個人名が事件名となることがあるのは示唆に富んでいるだろう。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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アンチ個人情報保護⑧ 「住所でポン事件」勃発」への10件のフィードバック

  1. うましかの一つ覚え

    この手の事件はいろいろ考えさえられるものがあり大変勉強になります

    ttps://blogs.yahoo.co.jp/nb_ichii/36575833.html
    同姓同名の別弁護士だったら謝罪します

    返信
  2. スピノザ

    個人情報に限って「忘れられる権利」は、裏を返せば「忘れる義務」を誰かに強制することに何か問題があるのですか?
    歴史的に保存されてきた情報の話をしていますが、個人情報は後世に伝えられるべきものなのですか?そこに何の価値があるというのでしょう。デメリットしかないというのは想像力を働かせれば
    理解できると思いますが。

    またネットの時代になったから新しく守らなければならない権利が生まれるのは当然のことでしょう。あなたの記事は感情論で書かれていて、全く論理的ではないと感じます。たとえ話もめちゃくちゃであり、たとえ話によって何かを正当化しようとする当たり、論点のすり替えをしょっちゅうしている人なのだと感じます。
    あなたは賛同する人だけを周りに集めて気持ち良くなりたいだけでしょう。

    あと壬申戸籍の話をされている方がいますが、分が悪くなると返信しないんですね。

    返信
    1. 鳥取ループ 投稿作成者

      とりあえず、マップよりも普通にテキストでまとめた方が目的に適っているのではないかと思います。

      返信