前回、小山市上泉堀の内を訪れたが、その際に発見があった。白山神社の氏子の名字が川を隔てた場所にも分布しているのである。
その川は小山市と栃木市の境界である。これは、2つの自治体の境界上に古村がある例と言えるのではないかと考えたが、やはりそうであった。同様の代表的な事例は町田市相原町がある。

前回も分析したが、確かに永野川の対岸にも白山神社の氏子がある。

そして、栃木市側このニコイチがあることから、ここも指定同和地区であるという確信に至った。これはデザインから昭和50年頃のものと推定され、同様のものと大平町榎本でも見かけたことから、ここでも早い時期に同和対策が行われたことが分かる。

永野川の東側が小山市上泉堀の内、西側が栃木市大平町西水代の古村である。西水代側には欠田、粕内、不動という小字がある。


昭和初期には9軒あったが、現在は7, 8軒か。竹藪の中に廃墟がある。


農業が主だった。立地からすると、川沿いの土地の新田開発が起源であろう。


家は密集しておらず、散らばっている。

「大平西水代集会所」があるが、これは古村からかなり離れた場所にある。ここが西水代の本村であり、古村はその外れにあるということになる。
この集会所は同和対策の教育集会所なのであるが、仮にさきほどの古村が対象地域ということであれば本来の30戸という設置基準戸数に届いていない。本村も含めた周辺地域も対象に含めて、事業費を獲得したということになるのであろうか。



