いにしえの記録によれば、三重県安濃郡の長野村に東山、若狭という古村があったという。現在の地名では美里町北長野。この山間部の古村が現在どうなっているのか確認するために訪れた。

現地には美里小学校跡地と美里町ふるさと資料館があるが、そういったものには目もくれず、古村へと向かった。現地で聞いてみると、東山は東側の山の中の道を抜けた窪地にあり、現在は5、6軒だという。

あいにくの雨である。確かに山の中の窪地のようなところに、突然村が現れた。5、6軒よりもう少し多い気がする。

『三重県部落資料集 前近代篇』によれば文政三年には5軒で、伊賀市にある法専寺(浄土真宗本願寺)の檀徒であるという。

『三重県部落資料集 近代篇』の「管内◯◯部落と其人口」では、長野村の2部落がまとめて74戸と掲載されている。同「壬申戸籍調査集計表」には旧美里村では「桂畑村」の記載があるが、これは若狭のことだろう。


穢寺の檀徒であったのだから、穢多に由来するのであろうが、立地はまるで隠れ里のようなところである。辺鄙な場所だが、稲作に必要な水は得やすいことから、細々ながら農業はしていたであろう。



村の中は道が急で、奥が行き止まりになっている主要な道からは屋根だけが見える。

しかし、このような小さな寒村でも同和事業が行われていた。地図から教育集会所があることは分かったが、正確な場所は現地に来て分かった。

看板に「東山教育集会所」とある。津市の郊外でしばしば目にする、木造平屋建てタイプの集会所である。

家の表札はどれも西田である。

いくつかは空き家になっているようで、朽ち始めている家もある。5、6軒というのは、実際に住んでいる戸数がそれくらいということだろう。

同和事業が行われたとはいっても、このような場所では改善できることには限度があったのだろう。改良住宅はない。



集会所の他には作業場らしき建物がある。



全体を見渡すとこのように段々畑が広がっている。周囲は完全に山に囲まれている。民宿でもあれば、2週間も滞在すれば心が浄化されそうである。

ただ、難点はソフトバンクの電波が入らないこと。ドコモは4Gがかろうじてつながった。auは試していない。


同和・部落を強調する掲示物はなかった。
美里町のすぐ隣の津市片田町に曲輪はあるのでしょうか?
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