曲輪クエスト(407) 常総市 三坂町

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By 宮部 龍彦

まず大正10年の『地方改善ニ關スル調査』の記載を紹介する。当時は三妻村三坂、小字は白山。戸数は16。当時は全戸が農家で、竹皮草履作りや洋傘修繕の副業もあった。宗教は全戸が浄土真宗。

そして、教育集会所である「中三坂集会所」がある。

旧国道沿いの中華料理屋とガソリンスタンドが目印だ。

「中三坂集会所」はその近くにある。

佇まいは普通の公民館のよう。よく見ると張り紙が貼られており、最近までガソリンスタンドが鍵を管理していたのだが、現在は使用する場合は水海道公民館に連絡することになっている。

注意してみないと人権施設とは分からないが、よく見ると、人権あゆみちゃん・まもるくんの姿が見える。

最初はこの集会所の周辺が古村と思ったのだが、改めて地図を確認してみた。

今回は「マッポン!」の小字表示機能を使う。よく見ると集会所周辺の小字は「本田」。「白山」は少し離れたところにある。

つまり、集会所のある場所は古村の中ではないし、鍵を管理していたガソリンスタンドもそうではない。古村は南東の方のようだ。

途中に空き家があったが、ここも古村ではない。

この辺りの小字が白山だ。

ここに、昔から村があったことを思わせるものがある。

この石像は「大師様」ということだ。ここで見られる篠崎という名字は、後でクエストした旧石下町内の本豊田に多い名字だ。

そして、間中という名字も気になった。これは以前にクエストした境町に多かった名字であり、常総市人権施策推進懇話会委員の人権連会員にこの名字がある。

周囲の田んぼから古村を眺めると、いかにも昔から農村だったかのような佇まいだ。茨城では皮革や肉と関連した古村をよく見たが、ここは周囲と職業も変わらなかったのではないか。

墓地は古村も周囲も一緒になっている。確かに、記録の通り浄土真宗が多いように見える。

また、白山という小字から現地に白山神社があった可能性はあるが、『地方改善ニ關スル調査』によれば、大正10年の時点で周辺地域と同じ神社の氏子になっている。その神社が三坂神社。

ただし、境内に白山神社がある。

もしかすると、別の場所にあったものが、ここに移転されたものと思って、その手がかりになるようなものを探したが見つからなかった。

奉納板からも、古村と周辺地域が氏子になっていることが確認できた。この地域は何もしなくても融和していたのではないか?

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(407) 常総市 三坂町」への1件のフィードバック

  1. 匿名

    明治40年代の小社合祀令で白山神社は移転したのではないでしょうか?

    神社庁に行くと小社の事もわかるようです。
    #a15214b688c4394a6240cc970285a6ed

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