曲輪クエスト(378) 小千谷市 川井 真皿

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By 宮部 龍彦

小千谷市や長岡市の古村について調べていると、必ず信濃川の船渡しのことが出てくる。そして、戦前の記録では小千谷市の真皿に2戸の古村の記録があり、ここは信濃川沿いであることから、2戸の船渡しのことなのだろうと考えた。

現地を訪れると、その船渡しではないが、なぜか「被差別民だよ!」「どんなつらい思いをしてたと思っているんだ!」とまくしたてられてしまった。

『部落解放研究 : 部落解放・人権研究所紀要』1994年10月の、『部落史の見直しへの一視角 ―越後の身分制と渡守の地平から―』では渡守が穢多に準じた処遇を受けたと主張している。

越後でも地域によって違いはあるが、穢多頭が渡守を支配していたこと、あるいは穢多が江戸時代に渡守に職業を転じたということもあったようである。

この地方の信濃川沿いは交通の便が悪く、渡しの存在は欠かせないものであったという。『農村経済調査 其1 北魚沼郡川井村』(明治44, 45年)によれば、「交通ハ極メテ不便ノ村落ニシテ船渡以テ信濃川ヲユルニアラサレハ県道ニ通スルコト能ハス」とある。

明治末期の真皿の地図を見ると、確かに船渡が描かれている。

そして、実際に小千谷市内で信濃川の渡守のことを聞くと、必ず「真皿の渡し」のことが話題になった。

それが、比較的最近まであったという。1970年代の航空写真でも、確かに川の近くまで道のようなものがある。そして、その近くに「長谷川」という家が2軒。そこが船渡しをしていたのではないか?

現地を訪れた。この道の先が、かつては川辺りまで続いていたはずだ。

と、そこで通りがかりの男性に声をかけられたので、この先に行けば渡しの形跡があるのか聞いてみた。

「行ってみな、何もないよ」

そう言われた。

『部落解放研究 : 部落解放・人権研究所紀要』のことを話すと、「最近、差別目的であちこちを巡っている奴がいる」と言われたので、新潟の解放同盟に訴えられたことを話すとたちまち険悪になった。

「どんなつらい思いをしてたと思っているんだ!」そんな風に罵られた。

そう言われつつも、真皿の渡しは確かにここにあったのか、船頭はだれだったのか聞くと。

「ああ、真皿の渡しはここだよ、30年くらい前まであった」「長谷川力蔵だよ!被差別民だよ!」と教えてくれた。

「俺は解放同盟員じゃないけど」ということであったが、差別者と罵られた。「被差別民って、差別してつらい思いをしていた人が、平成初期まで嫌々船頭をやっていたっておかしいでしょ」と言い返したら、「あんたとは話にならん」と去っていった。

ともかく、この場所が船渡しの発着点だ。しかし、今は茂みになっていて、川辺りまでは近づけない。

後で調べて分かったことだが、「真皿の渡し」のあった場所を渡ってみたというウェブ記事がある。これによれば、確かにここで間違いない。別のブログには、1992年の写真が掲載されている。渡し賃は50円、地元の人はタダだったとも。

下流の場所にも船着き場跡地らしきものがあったが、やはり今は茂みになっている。

先述の渡し賃では、とても経営できないのではと思ったが『消えていく渡し船』(1982年3月)にその仕組みが書かれている。「渡し賃は近郊の村からは毎年米一升ずつ取り立てていました。それが年間の渡し賃代りになるわけです」。

つまり、受益者となる複数の村が毎年一括して渡し賃を支払っていたのだ。今で言うサブスクリプション・ビジネスのようなものだ。とは言っても、これは近世以前からあった「給米」の仕組みなわけで、それが近代以降も残っていたのは興味深い。

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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曲輪クエスト(378) 小千谷市 川井 真皿」への13件のフィードバック

  1. 匿名

    川の近くに住んでいた貧民がたまたま渡し船の仕事に就くようになったといったところでしょうか。
    怒鳴りつけてきた人は彼らとどんな関係があるのか。
    #278fc8072e7ea50eb3a86d186f3b8843

    返信
  2. 匿名

    弾左衛門配下のエリアにも、「村抱えの非人」という存在があった。
    これは単独もしくは複数の村(一般)が、警備・山番等の為に共同で誘致した非人だ。場所によっては番太等とも呼ばれている。
    彼らの収入は雇用した村からの一定の勧進(施し)。
    そのせいもあってか、制度的には長吏の支配下にあるはずだが、雇用した側の一般の村との関係性が深い(通婚等は当然無いが一定の交流がある)。
    豆州は多くの温泉を抱えた観光地ということもあり、外来者からの警備の為に村々で抱えた非人が多く、長吏からの支配力は、彼らに対してはあまり強くなかったとの話だ。

    返信
  3. 匿名

    宮部氏と利害関係のない人が差別されることを嫌う典型的な例であろう。彼は宮部氏から差別されることで利益を求めていない。
    ここに部落差別の深刻さが理解できる。
    #037bbf3f93b676adc7f2f4896cbf77c2

    返信
  4. 清水川

    東京の、矢切の渡し は、
    代々 杉浦家が 渡守として
    生活していますが、
    差別民の家系なんでしょうか?

    あと。人力車の車夫も、
    昔は賤民の仕事でしたよね。
    #524f9b581881729af94c71f4e83fb119

    返信
  5. 匿名

    通りがかりの男性に調子を合わせてうまく乗せればもっといろいろな話を引き出すことができたのではないでしょうか
    #6c72188dc7b5beff75688e0715651c19

    返信
  6. .

    秋◯◯雄さんの言わんとするところを想像すると

    ・長谷川力蔵さんは被差別民なので満足な教育が受けられず、就職差別を受け、家業の船頭をやるしかなかった
    ・差別に起因する貧困が原因で一般地区に転居することもできなかった

    といったところでしょうか。地元の長谷川家を訪ねて話を聞かなかったのは何故でしょうか?

    #a5ffb4e7a86a923f13e824732cc7d20b

    返信
    1. 宮部 龍彦 投稿作成者

      その秋◯さんが去って入った先が長谷川さんの家なんですよ…
      後で地元の方からいろいろ聞いてはおりますが、歴史というよりは政治的なことなので触れていません

      返信
      1. .

        ありがとうございます。じゃあ長谷川家の人に「今そこでこんな男に会った」と話したんでしょうね。

        同じ人かどうか知りませんが、三里塚闘争で暴れて、けっこう派手な罪状で過去に◯◯された中核派の活動家がいるんですね。
        #a5ffb4e7a86a923f13e824732cc7d20b

        返信
      2. 匿名

        行き当たりばったりの訪問だから仕方がないのかな。
        いずれにせよ記事にするにはお粗末だと思うし、人見知りなのか取材力に欠けるのは歪めませんね。事実より思い込みの記事が多いような気がします。どこのだれかもわからない聞いた話も多いし、、、、数をあたってないし、、、
        #ec9cb546bf54d7e255c3721c047bb630

        返信
  7. 真皿の渡し

    地図に痕跡が見受けられますね。
    私が子供の頃乗ったことのある渡し舟は、船頭が櫂を使わずに川の上に張った番線を引っ張って進むものでした。
    #6da4680bdf14a4bb04cf91a785e6bb91

    返信
  8. 清水川

    ■関係ない話題で恐縮です。
    ネットニュースで
    岡山県 津山で
    名物 「干し肉 茶漬け」が 
    紹介されていました。

    津山は、確かにホルモンが
    有名ですが、
    「干し肉 茶漬け」なんて
    名物でした?
    これって、いわゆる部落食
    「さいぼし」じゃないの?
    馬肉でも牛肉でも
    製造されてきましたよね。 
    メジャーになったのは
    喜ばしいけど、
    バックグラウンドは
    正確に報道して欲しかった。

    宮部さん、津山にも
    行って下さい。
    #524f9b581881729af94c71f4e83fb119

    返信