菊池山哉は、旧下河津村峰にある部落について、こう記している。
○峰村そのものが、街道村ではない。其の田畝の間で.位置として見るべきものはない。○八幡宮。○農家八戸ばかり。○宮の神木をチイの木と称し、直径五尺以上の大樹である。南北朝へ遡るであらう。然れば河津郷の長吏で、修善寺方面、の山路を抑へたものであらうか。
『長吏と特殊部落』
昭和初期の記録では、9戸。「裏町」という名前だった。
目印となるのは、やはり菊池山哉が言及しているチイの木。チイの木というのは方言で、正しくは「ホルトノキ」という種類の木である。河津町には他にもホルトノキの巨木があるが、峰にあるものについては「巨木巡礼」というサイトで紹介されていた。
サイトの説明では「八幡神社のチーノキ」。県道14号線から高い木立を探せば見つかるらしい。
実際に県道から、高くて目立つ木が見える。あれで間違いないだろう。
そして現地にある木がこれだ。しかし、八幡神社が見当たらない。
「巨木巡礼」の写真は1998年に撮られた低画質のものだが、神社の社殿が写っている。この社殿はないが、木の形は一致しているように見える。神社はこの写真が撮られた後になくなってしまったのではないだろうか?
敷地の隅には、小さな祠がある。
チイの木の下には瓦の破片がある。これは社殿の残骸だろう。
周辺には古い家や空き家が多い。
それでも何とか証言を得られた。チイの木がある土地には、確かに八幡神社が存在していたが、2010年頃に取り壊されたという。神社の由来はよく分からないそうだ。
こちらは公民館。立派な建物で、この辺り一帯で使われている。
それでも何とか証言を得られた。言いにくいことではあるが、確かに裏町という名前で、差別された村と聞いていたという。ただし、今はほとんど住民がいなくなってしまい、八幡神社を世話していた方も亡くなってしまっていた。
神社跡周辺にはお店やペンションがある。
ただし、ほとんどよそから移ってきた人だという。
部落とは関係ないが、県道の向かいに山神社がある。
ここから「裏町」を見渡すことが出来る。確かにチイの木は高く、ひときわ存在感がある。
宮部君さあ。二番煎じするならば八王子小比企の再訪してよ。
コメントにも緑町だとの指摘が有ったやん
#acab60c461c46df7ea32ec24d9be66af
実は行ったんですが、どうしても撮っておきたい映像を撮れてなかったんです
君の動画はつまらんから要らん
記事だけにしなさい
#87176c4db9accd45eb4ffab029bcdadd
らんらんさんでしょう。そこまで言うなら宮部さんの探訪のガイドをしてください。
#b3b5c3d7198d34a6e37331d6064de4e9
誰だよソイツ?決めつけるな狂人
#87176c4db9accd45eb4ffab029bcdadd
らんらんとヤング山田と打桐豊成は日本語に特徴があるからすぐわかりますよ。わからないと思っているのは当人だけ。
#b3b5c3d7198d34a6e37331d6064de4e9
だから誰だよ狂人
三品か
#acab60c461c46df7ea32ec24d9be66af
見なきゃいいのに
コメントもするな
#f26c147c59a795cac5433d68fc9aedd9