古河市の全部落特定を目指していたのだが、ついに今回それが達成された。
戦前の記録では部落名は「町裏」、戸数は12とされる。この事実だけを手がかりに、特定を試みた。
「農地ナビ」によれば、町裏という小字はローソン古河葛生店から少し南西に行った辺りである。
そこには高橋という名字が多く、最初はそこが該当すると考えた。墓石の数も記録された戸数と一致する。
しかし、それだけでは決め手に欠ける。
白山神社がないか探したが、代わりにあったのは新興宗教の何かだった。
もう1つの情報として、葛生の部落の名字は「小松崎」または「関」ではないかという情報を地元の方からお寄せいただいた。
小松崎と関、ついでに高橋の分布を検証した。確かに小松崎は町裏に分布している。関は葛生というよりは柳橋に多いので違うだろう。高橋は町裏に限って分布しているわけではないことが分かる。
ローソンから南北に伸びる道沿いに小松崎が分布している。農地ナビによれば、この辺りの小字は「中道」だが、小松崎の分布は町裏にもかかっている。
少し歩くと墓地が見えてきた。
宗派は真言宗。小松崎の他に藤白、落合、香取という名字がある。墓石の数は12よりも少し多い。
墓地の横には「松山中集会所」がある。
自治会名は松山中のようで、そもそも町裏という地名は使われていない。
さきほどのお墓の名字は、農地ナビで町裏となっている田畑を取り囲むように分布している。これはほぼ間違いないのではないだろうか。
通りがかりの老人に聞いてみたが、何も分からないようで、部落ということは、ほぼ忘れ去られているようである。
気になったのは、工場や事業所の屋号は全て「小松崎」であり、藤白等他の名字は見られない。藤白は、明らかに古くから土地を持った農家で、地主と小作人の関係にあったのではないだろうか?
白山神社は見つけられなかった。
他にも小松崎説を補強する材料がある。茨城県内では水戸市平須町の部落も小松崎姓が集まっている。そして、近日探訪結果をレポートするが、古河市から近い場所にも小松崎が集中している部落がある。そこから派生したと説明可能だからだ。
次回は下妻市高道祖と言う事ですね。
藤白姓は、ひょっとすると前回の諸川に出てくる鈴木姓と密接な関係にある名字か。両姓とも和歌山県海南市発祥で、鈴木家は藤白神社の神官であり、同社の中に鈴木家屋敷がある。熊野信仰を広める為の熊野比丘尼が由来の人たちだったかもしれない。
潮来市清水、香取市谷中の探訪も是非お願いします。
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私が知る限りではTAJIMAだと思います
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田島が分布している場所は町裏ではないので違うと思います
2000年2月発行の人文社関東圏広域地図には葛生県道
56号線沿いに白山神社明記されていますが確認できず
近くに屋敷神があるが神社名分からず
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