「本を焼く者は、やがて人間も焼く」とは、19世紀のドイツの詩人、ハイネの言葉である。
さて、時は1975年12月8日、人権週間まっただ中の日本では、ある本が焼かれている真っ最中であった。その本とは、「部落地名総鑑」。東京都中野区の空き地で灯油をかけながら本を焼いたのは、この本の作者である坪田義嗣氏である。
それから2年後の1977年9月13日には、東京都品川区の大井清掃工場で、法務省職員らの手によって部落地名総鑑が焼かれた。その場に立ち会っていたのは松井久吉部落解放同盟執行委員長、松尾正信全日本同和会会長らである。
戦後の日本において、これほどまでにおおっぴらに「焚書」された出版物は部落地名総鑑以外にないのではないだろうか。
部落地名総鑑が日本の政治、経済界に大きな影響を及ぼし、それが未だに尾を引いていることは、連載記事「あなたの会社が同和に狙われる」で既に取り上げた。そこで、別の観点から改めてこの部落地名総鑑について検証しようと思う。
回りくどい言い方をしても仕方ないので、直球に言ってしまおう。筆者の興味は部落地名総鑑の内容である。出来れば、現物を入手したい。そういうことである。
最も「やばい図書」
言うまでもなく、部落地名総鑑とは被差別部落の地名一覧を掲載した図書である。それだけでなく、部落の戸数、主な職業といった情報も掲載されていたとされる。
被差別部落の一覧を掲載した図書はいくつか出回っており、その表題も様々だが、総称して俗に部落地名総鑑と呼ばれる。おそらく、最初に見つかり、なおかつ最も完成度が高かった本が「特殊部落地名総鑑」と銘打って売られたことから、部落地名総鑑がこの種の書籍の代名詞となったのだろう。
昭和の終わりごろまでは同様の図書を古書店で時々見かけることができたと言うが、今ではまず見つけることはできない。わいせつ物等の非合法な出版物を除けば、「やばい図書」の代表格となっていることから、書店も売りたがらないのではないだろうか。
しかし、それであきらめるわけにはいかない。
なぜ、そこまで部落地名総鑑が必要なのかというと、れっきとした理由がある。
実は筆者のもとには「部落地名総鑑はないか」というメールや電話が何度かあった。理由は様々で、単に興味があるという場合もあれば、不動産屋なので仕事に使いたいという場合もある。もちろん、筆者は部落地名総鑑など持っていないので、その度に部落解放同盟の連絡先を紹介して、そこに聞いてくださいと言うしかなかった。
同様の悩みを抱えるのは筆者だけではないようだ。
日本図書館協会の機関誌「図書館雑誌」の2012年4月号に八尾市立山本図書館に勤務する喜多由美子氏のこんなコラムが載った。図書館のカウンターで部落地名総鑑の所蔵調査および閲覧、相互貸借などを依頼されたので「人権侵害を目的とした資料の調査には一切応じない」として断ったところ、「図書館では私の問い合わせに一切答えてくれない。私は不当な人権侵害を受けた」と八尾警察署に訴えられたというのである。
また、図書館問題研究会の機関誌「みんなの図書館」2013年1月号で、沖縄国際大学の山口真也教授が、図書館と部落地名資料について解説している。山口氏によれば「「部落地名総監」と同じ機能を持つ資料は、「図書館の自由」という理念の中で提供制限が認められる、唯一の具体的な事例である」と指摘している。
図書館について知る人にしてみれば「部落地名総鑑」がいかに特殊な存在か分かる。人権侵害と言うのであれば、何か事件があれば関係者の顔写真やプライバシーを暴くためにメディア関係者が図書館で卒業文集などを漁ることは知る人ぞ知ることであるし、図書館がそういう目的での資料提供を拒むことはない。
結局のところ、図書館や書店が部落地名総鑑の扱いに困る理由は、不用意に扱うと、部落解放団体から激烈な抗議を受けるか、そこまで至る前に過敏に反応した関係当局から圧力を受けてしまうからだ。その一方で、八尾市の例のように逆のパターンで抗議されてしまうこともある。
部落地名総鑑の収集と提供を制限することは「図書館の自由」に反しないのか、どのように扱えば非難を免れることができるのか。これについては前述の山口氏も答えを出せていない。
しかし、筆者にはシンプルかつ強力な解決案がある。
簡単だ。部落地名総鑑を無料で広く公開すればよいのだ。公然のものになってしまえば、少なくとも部落地名総鑑については、そもそも収集と提供を行う必要はなくなる。部落地名総鑑の存在がありふれたものになれば、古地図や古文書の類でいちいち騒ぐ人もいなくなるだろう。
部落地名総鑑探索のアプローチ
さて、冒頭に登場した坪田氏こそ「特殊部落地名総鑑」の作者である。この「坪田バージョン」の部落地名総鑑が現存し、なおかつそれを入手できる可能性は完全にゼロではないとは思うが、前述のとおり徹底した回収と焚書が行われたので、ほぼ絶望的だろう。
そこで、筆者はこれまで様々なアプローチを考えた。1つ目は坪田バージョンにこだわらず現存する部落地名総鑑を探すこと、2つ目はいっそのこと自分で部落地名総鑑を作ってしまえばどうかということだ。
「終わっていない「部落地名総鑑」事件」(1995年 解放出版社)によれば、当時出回っていた部落地名総鑑名前は次のようなものだ。
- 人事極秘 特殊部落地名総鑑
- 全国特殊部落リスト
- 部落リスト(大阪版)
- 日本の部落
- 特別調査報告書
- ㊕分布地名
- 同和地区地名総覧(全国版)
以上のような名前の資料が図書館や古書店にないか、図書館や古書店の蔵書の横断検索を活用して徹底的に探したのだが、やはりと言うべきか、見つけることができなかった。
もちろん、全ての図書館や古書店の蔵書が検索可能とは限らないので、公民館などの図書室、古書店街をしらみつぶしに探せば、見つけられる可能性もなくはない。しかし、それには相当な労力と、運も必要だ。
そこで、第2のアプローチである。
部落地名総鑑を手に入れることは無理でも、都道府県、市区町村単位の部落一覧を手に入れるのであれば比較的敷居は低い。行政や運動団体が出版したものが図書館に普通に置かれていることがあるし、隣保館等の同和対策施設の場所から明らかになることもある。
時には実地調査も行いつつ、それらを地道に収集すれば部落地名総鑑を作ることができるのではないか。情報化が進行した現在では、ひょっとすると昔より高精度な物が作れるかも知れない。
そのために筆者が開設したサイトが、同和地区Wikiである。
これは悪いアイデアではなかった。様々な人が編集に参加し、高知県や長野県など、図書館に置いてあったという県単位の同和地区一覧を提供してくれる人もいた。2015年2月には徳島市の同和施設一覧について、徳島地方法務局から削除要請を受けたが、もちろん断固拒否である。
情報化と言えば、グーグル・ストリートビューが部落解放同盟の一部から非難されたことが記憶に新しい。確かに、実際にグーグル・ストリートビューは同和地区特定に有効なツールである。いわゆる「部落っぽいたたずまい」が分かるだけでなく、バス停、自治会館、消防ホース格納箱などに書かれた文字からその地域の小字や俗称が分かるし、「身元調査お断り」「解放文化祭開催」「石川一雄さんの再審無罪を勝ち取ろう」といった張り紙や掲示物を確認することもできる。一部の人が激烈な反応を示すのは無理も無いことかも知れない。
ともかく、根気よく続ければ、そこそこの物が出来そうである。
しかし、この方法の難点は集められる情報のばらつきが多いことだ。
単に地名を集めるのは難しくはないが、戸数や職業までは全ての文献に記載されているわけではない。また、調査した年にもばらつきがある。このまま部落地名総鑑を完成させたとしても、様々な種類のデータがまぜこぜになった、いびつな物になってしまうだろう。
そこで、第3のアプローチを並行して行った。
同和地区Wiki、様々な理由で検索させていただいています。
わざわざ国会図書館に行かなくてよくなり、
家族との団らんの時間が増えました。
希少本を電子化するのは、社会貢献ですね。
ありがとうございます。
ご活用いただき有り難うございます。本来なら、解放同盟が自らやるべきだったのです。
部落調査をしている人がわかりますからね。
Googleストリートビューの情報、面白そうです。
私も「石川一雄さん」の掲示物を探してみます。
ストリートビューが出た当初は、こんなもの何の役に立つんだ、犯罪にしか用途がないとか言われていましたが、もうそんなことを言う人はいなくなりましたね。
ただ、細い路地がある部落は、さすがにストリートビューでも入れないので現地に行く意義があります。
同和地区Wikiの
大津市東浦東浦ノ内については、本証寺の位置からしても、
現在の京町三丁目〜末広町(東浦大蔵町・東浦一番町)ではなく、
音羽台〜逢坂一丁目(東浦垣内町)でなないでしょうか?
http://www2.city.otsu.shiga.jp/reiki/reiki_honbun/ax40000031.html
ありがとうございます。確かにその通りだと思います。
同和地区Wikiの記述を修正しておきました。
悪書は焼いてもかまわんしそれを作った人間も別に焼かれていいんじゃないの
人権派とかいう人の典型的なモノの言い方ですね
このように、人権を語る人たちがリベラルでも何でもないから信頼されないんですよね。
国立国会図書館ウェブサイトで「全國部落調査」の文字を見つけました。283~287ページの5ページにわたっていて、来館すれば閲覧できるようです。機会があれば見に行きたいと思っています。すでにご承知でしたらご容赦願います。
中央融和事業協会,中央融和事業協会 編『融和事業年鑑 昭和10年版』
參考編 第二部 附錄 第一 全國部落調査
ttp://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001663787-00
ttp://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1449252
それは、統計表だけで、期待したものではないかも知れません。
先日閲覧の機会を得ました。ご指摘のとおり統計表のようなもので、お役に立たないかもしれませんが以下概略を記します。
第二部 附錄 第一 全國部落調査
本調査は昭和十年中央融和事業協会が各府縣へ照會して作成せるものである。
府縣 所在市町村數 部落數 戸數 人口 ・・・
東京 十八 二〇 一、三七八 七、二四八 ・・・
【中略】
計 三、一三一 五、三二八 一九一、五〇〇 九九八、六七八 ・・・
〔其二 業態別部落數
府縣 農業 工業 商業 漁業 交通業 力役 其他 計
東京 一四 六 一 一 一 一 一 二〇
【中略】
計 四、二六九 二四五 一九三 一二一 二二 四五 四一三 五、三〇九
ありがとうございます。統計表だけなら、所蔵している図書館がいくつかありますし、確か融和事業年鑑に書いてありますね。
統計だけでなく、全ての部落の情報が書かれているものはレアです。
これは?
http://www.bll.gr.jp/siryositu/siryo-syutyo2006/news2006/news20061009-2.html
フロッピー版というのも興味深いので探しましたが、見つけられませんでした。
いずれにしても、もとは全国部落調査を打ち込んだものと思います。
昔はパケット通信差別事件というのがあって、これは何の事はない、図書館で誰でも見られるような大阪府下の部落リストだったようですね。
http://www.blhrri.org/old/nyumon/post-war60/062.htm
くだらない
ほんとそれ。何がしたいのか理解不明。
下世話な好奇心で人の不幸をほじくり返す。下劣で胸糞悪い。腐った魚みたいな正義感だと思います。
身勝手な正義感に酔いしれた偽善者が寝た子を起こしてるだけ。暇なの?(笑)
そう言いながら、ヤフートップの記事を見て、わざわざ「部落地名総鑑」で検索して、この記事にたどり着いたわけでしょう?
一体部落に住んでいる住人が何をしたというのだ。。
「本を焼く者は、やがて人間も焼く」
これは全くそのとおりですね。
しかしその一方で、大浦信行による昭和天皇への「不敬」アートは右翼の嫌がらせで作品を非公開にされ、図録焼却処分を受けたこともあります。右翼と仲のいい示現舎は、そちらについてはスルー?
示現舎は右翼とも大浦信行とも深い関わりはありません。
ググってみましたが、大浦信行の件は部落地名総鑑と比べれば生ぬるいと思います。
部落地名総鑑は国家権力によって焼かれて、現在進行中で裁判所からの命令で発禁にされているので。
Người bị không thích hợp với bộ phận của nghệ. http://web.wrzc.net/comment/html/?214008.html
気になったことがあって質問したいのですが、部落地名総監の元の書籍は、坪田氏という方でしたでしょうか、この方が編纂した内容の一次資料は何に基づいているのでしょうか?日本の被差別部落は相当古くに存在したものですが、そういった内容ですと、考古学的資料など、その参考となった信頼できる資料が存在するはずですが、そういったものはもちろん判明しているんですよね?
例えば、江戸時代には、「ちょうり」(長吏)と自称する、浅草寺の境内に居を構える被差別部落の長が居ました。彼は明治維新の頃、政府の政策により被差別部落利権が無くなったため、自身の財を投じてアメリカから最新の皮革産業を導入し、最新の産業振興に役立てました。今でも江戸の周辺に皮革業を営む方が多いのは、そういった歴史によるものだそうです。これは、その当時に居住していた「地区」とは全く関係が無い、被差別部落の「名残」のようなものですが、戸籍や居住地区の代々の歴史とは異なる被差別部落のかつての歴史は、こういった戸籍地に基づく地名との関係にどういう形で反映されているのでしょうか?こういったものが明治以降に廃止され、ある者は他へ移住し、ある者は別の場所からその場所へ移住してきた者もおり、そういった人々の個人単位の緻密な「追跡」は、どのようにして行われたのでしょうか?あまりにもあいまいな印象で、そういった印象が一人歩きして常識化されているのではないかとの疑念があり、より緻密に詳細に、それが信頼できる考古学資料と確たる証拠として存在しているのであれば、それを提示して頂きたくお願いします。
おそらくですが、まず中央融和事業協会が昭和初期に府県に依頼して融和事業の対象地域をまとめた『全国部落調査』があり、
それを入手した「朝日通信社」がそれをほぼ丸写しにして『全国特殊部落リスト』を作り、
それを坪田氏が買って旧地名から現在地名を調べて『部落地名総鑑』を作ったのだと思います。
それ以外の資料が使われたことは確認できていません。
おそらく、ということは、はっきりとした記録および証拠がない、ということですか?
「中央融和事業協会が昭和初期に府県に依頼して融和事業の対象地域をまとめた」との部分ですが、中央融和事業協会というものは、Wikiを見る限りでは、水平社などに関連がある団体と見て差し支えないですよね?
それから、府県が依頼を受けてまとめたという部分ですが、どの都道府県の、何という部署でしょうか?それから、私がお聞きしたのは、編纂の元となった「一次資料」のことなんですが、その都道府県のどの部署が、歴史上、あるいは考古学上のどんな資料を基に編纂したのですか?この、一次資料というものは、情報の元になっているものですから、大変重要です。これが無い、わからないということは有り得ません。役所が行った調査であれば、その担当人物と記録が残っているはずですよね。
役所が行った調査記録を見つけるのは極めて難しいです。欧米よりも日本の役所は文書を残すとこに無頓着である上、部落関係の文書は特に隠蔽や破棄がされやすいです。
返信遅れましたが、役所が行った調査記録が保存されていないというのもおかしな話ですね。普通は、役所がそれだけ重要な調査をしたなら、関係した人物や調査に当たった人物など、記録として残されるのが当然で、それがなければ文書の信ぴょう性に問題が出てくるわけですから。
それから、依頼をした中央融和事業協会という組織あるいは機関が、そもそも水平社などの組織から依頼を受けたということは、それが事実であれば、それらの地名総監自体、そういった左翼系とも言えるような組織が元になって生まれた、と解釈できますよね。部落地名総監は、そもそも開同が作った、というはっきりした証拠の無い書き込みを見たことがあるのですが、それを裏付けるような事実ですね。
加えて、例えば戸籍は、明治政府によって被差別部落が廃止されてからできた明治5年の壬申戸籍、明治19年戸籍、それから現在は、その後の大正4年式戸籍が元になっているそうですが、地名総監の元資料が信頼できるか否かもわからないものによって、しかも昭和初期に編纂されたものであれば、そういったより過去の幕府や寺社の人別帳などの系譜を反映しているとは考えられず、従って信ぴょう性がないんじゃないでしょうか?
最近、「そんな人はなれない(首相に)」という旨の、ある政治家の別の政治家に対する過去の発言を見て、その発言をした政治家の系譜をウェブ上で調べてみると、十分信頼に値するその方の曽祖父の出生地(旧薩摩で「かわんそと」と呼ばれた地区)の記録と考古学資料を発見し、驚いたことがあったのですが、やはりというか、明治期以前の本当の被差別部落の系譜と、明治以降の被差別部落の廃止後に編纂された戸籍やそういった資料自体が、その後の転居転入や追跡(養子も含む)を反映したものではないため、大昔の被差別部落の系譜か否かの判別には使えない、むしろ誤った印象を与えかねない資料ではないかと思うのですが、鳥取ループ氏はそういった点についていかがお考えでしょうか?
私も全国部落調査が「被差別部落」を正確に記述したものだとは思っていません。
特に大阪は単なる貧民の集積地も多数含まれています。
ただ、例えば鳥取は江戸時代の穢多村の記録とよく対応しています。
本来は他の文献と比較し、現地調査を交えて1つ1つ信憑性を検証すべきです。
「本を焼く者は、やがて人間も焼く」とは、19世紀のドイツの詩人、ハイネの言葉である。
・・・これを先に引用していることも、疑問です。
9日に、誤った資料による印象が独り歩きしているのではなかと書いたんですが、これは他にも例があり、例えばユダヤ人問題がそうなんです。現在、アメリカなどにも様々なユダヤ人団体があり、ユダヤ人差別に対して行動してらっしゃるようですが、ユダヤ人という言葉は、実は特定の遺伝的な特徴を現す「人種」を指して使われる言葉ではありません。ユダヤ人の解釈の元となったのは、聖書の一節である、「出エジプト」の記述に基づくものですが、近年の精密かつ科学的な考古学調査により、聖書に記述されていた時代に、記述どおりの村は存在していなかったことがわかり、その他の多くの記述もいわゆる創作話であったことが判明しています。では、ユダヤ人迫害が人種に対する暴力的な排除であるという印象は、何から生まれたかというと、科学に基づく客観的事実ではなく、ナチスドイツが特定の一団に行った迫害政策が元になって生まれた、それが人種差別的な暴力行使であるという、単なるイメージということなんです。
それから、日本で戦後にGHQによって焚書された書物の中にも、ユダヤ人に関する書物があったそうです。これも、GHQが隠そうとした書物の中にユダヤ人関連書籍があったというイメージだけで、それがさも事実かのように刷り込まれてしまい、話の前提における科学的な信ぴょう性に対する疑問が無視されている可能性があるという点で、私が挙げました疑問点と非常によく似ているのではないかと思われます(総鑑の話の場合は、その編纂元である最も大事な一次資料、あるいは被差別部落の系譜と一致するかどうかが、単なる居住地や戸籍地の一致だけで判断できるか否かという分析と評価手法に関する疑問点)。
これらの疑問点が解消されないまま、その信ぴょう性がわからない資料が広まってしまうと、誰が被差別部落で、誰がそうでないかという「真相」部分があいまいになってしまうため、却って誤った印象や誤解が広まりかねないと思うのですが、どうでしょうか。
22日に、「そんな人はなれない(首相に)」という旨の、ある政治家の別の政治家に対する過去の発言を引用しましたが、これはより具体的に書き加えておきますと、某元首相の曽祖父である、誰もが知る維新の志士である大久保利通のことです。この方は、考古学資料によると、薩摩の中央を流れる甲突川沿いの城下町の対岸にあった「かわんそと」と呼ばれた地区の出身です。現在は高麗町という呼び名に変わっていますが、これも朝鮮半島の高麗出身の陶工が連れてこられ、この地に居住していた事実から付けられた地名だそうです。大久保利通の出身地については、考古学資料の信ぴょう性、それから自身の明治期の発言などからも、おそらく確実ではないかと思われます。他にも、戦犯となりながらGHQの一存で釈放され、フィクサーとなった数人の人物などもそうです。他にも、GHQと小麦利権の関係など、驚くような実話もあります。
日本では顕著なやくざや暴力団などのアウトローな人物らの政財界との繋がりを見ても、これはもはや、差別などではなく、立場が逆転していると言っても過言ではないのではないでしょうか。
それと、ループ氏が書いている、この記事の「部落地名総鑑を無料で広く公開すればよいのだ。公然のものになってしまえば、少なくとも部落地名総鑑については、そもそも収集と提供を行う必要はなくなる。」という部分ですが、果たしてそうでしょうか?
そもそも江戸より以前の部落地名を調べるなんて、人権屋の悪用目的以外だと、学術的な意味しかないはずで、学術的な調査資料であれば学者が実施して学術誌として発行すればよいだけで、それをわざわざ一般の目に留まるところ、あるいは入手可能なようにはからうことに果たしてあなたがおっしゃるような意味があるのでしょうか?しかも「部落地名総鑑」は、ループ氏自身が書いているように、もともと水平社という左翼団体と関係があると思われる組織が、役所に依頼して編纂されたものであり、且つ一次資料もわからない、記録もない、江戸時代とそれ以前の被差別部落者の血脈を暴くものでもないというものであれば、なおさらだと思いますよ。我々のような一般の無知な人間には、非常に奇妙なことに見えます。問題がやはり人権屋にあるのであれば、それを壊滅する、社会的に封殺する政策を政府が採ればよいのでしょうが。水平社がらみの部署が役所にあるというのも、全く理解不能です。まさにマッチポンプが政治に浸透している証拠ではないでしょうか?学術的な文献としてしか存在せず、そういった用途でしか閲覧できないようにした方が効果がありそうな気がするんですが、いかがでしょうか?
「学者が実施して学術誌として発行すればよいだけで、それをわざわざ一般の目に留まるところ」
この点について、今の時代一般の目に留まるところに公開することが一番簡単であって、むしろ学術誌として発行することが「わざわざ」ではないでしょうか。
私はそうは思わないです。「部落地名総鑑」自体、ループ氏が「正確に江戸時代の被差別部落を示すものではない」と認めてらっしゃる通り、学術的な意味のないものとも解釈できるでしょう。部落地名総鑑に記載されている大阪の被差別部落には、貧困地域が多い、とありますが、この記述もかなりあいまいな書き方です。貧困ってなんでしょうか?書かれている貧困の基準はなんですか?貧困な方々が住んでいる地区が被差別部落地区だ、ということでしょうか?明治以降でしょうか、部落差別廃止が公けにされた近代になってから、例えば尼崎汽船や堺汽船、他には川崎汽船などが就航していたような朝鮮半島とを往来する船でやってきた方々が、その港に近い地区に多数居住していたから、という理由でその地区が朝鮮部落と解釈されたり、やごっちゃになってる気がしますが。それだったら大阪の鶴橋や西成、東京だと新大久保や先に挙げた白山神社のある場所や浅草神社が指定されていないのは事実を反映していないということになります。かつては皮革産業や食肉業などの生業による分別などもありましたよね。かつての地区なのか、家系図や血脈なのか、生業なのか、評価自体もあいまいで個別に緻密な追跡もなされておらず、本当に適当です。
そんなものを「わざわざ」広めてしまうと、あらぬ風評被害を被るものが出てくる可能性があると考えるのは当然です。事実、不動産関係の人物が閲覧に来ることがあると書いてらっしゃいましたよね。過去に判例があって、最高裁まで待ち込まれた件についても、内容を詳しく見ていないので争点もわからず、はっきり知りませんが、判決が出て焼かれた、ということは、いい加減な資料だったから、という意味も込められていたのではないでしょうか?いずれにせよ、一次資料さえわからない、編纂者とその記録も残っていない、しかも左翼系と言われるような組織が依頼して編纂された書物であれば尚更です。むしろ、人権屋と言われるようなゆすり、たかり、あるいは差別で金儲けをするような組織や人物に対して、その口実を与えているようなものです。