あまり知られていないが、山梨県にも部落がある。1929年の内務省による調査では23の「被圧迫部落」があったとされ、戸数は342、人口は1873であった。
ただし、経済生活の程度は、全般的には「一般と同じ」であったと報告されている。後述するが、戦後になって長らくの間、同和地区は存在しないと山梨県が国に報告したのはそのためだろう。同和事業特別措置法は、その内容からすると被差別部落であれば全てが対象となるわけではなく、実態として経済等の発展が阻害されていることが対象地域の要件である。
今回訪れたのは山梨県都留市つる5丁目の「鷹の巣」という部落。中央自動車道河口湖線の都留ICのすぐ近くにある。1935年の記録では戸数44、生活程度は下、農業と食肉が主産業だったとされる。
この部落には白山神社がある。戦後間もない頃の航空写真では、この神社の南側に住宅が見える。しかし、その後中央自動車道河口湖線が通り、さらに同和事業による区画整理が行われたために地区の様相はかなり変わった。
この神社は住民の憩いの場で、ピクニックをしている人がいた。
同和事業について聞いてみると、それは地域ではよく知られていることだそうで、山梨県では都留市が一番最初だったという。
この石碑に刻まれた近藤朋三郎という人物は昭和初期に谷村町会議員を務め、地域の発展に貢献したことから山梨県知事から表彰されたといったことが書いてある。ただ、これは戦後の同和事業よりももっと昔のことだ。
「ただ、事業はもう終わったことだよ。昭和58年だったかな。始めたのは昭和53年。この村は差別されていたのだけど、山梨県と都留市は、差別される部落というようなものは存在しないと国に報告していて、事業が始まるのが遅くなった」
と住民は語る。自治会の要望でようやく事業が始められた。
神社の手洗い場の寄進者の名前を見ると、近藤、遠藤という名字が多い。
この地域でも昭和50年代特有のニコイチ形式の改良住宅が見られる。住民に聞くと、これらは全て住民に払い下げられているそうで、それどころか同和事業に関係した施設は全て払い下げ済みで、今は行政が持っているものは1つもないそうだ。
解放同盟や同和会のような団体は組織されているのか聞いてみると、「(同和事業にあたって)うちはそういう団体は一切通さなかったですよ」ということだ。
これは鷹の巣集会所。数年前に自治会に譲渡され、今は純粋な自治会館になっている。なお、市が作った同様の集会所は同和地区ではない他の地域もあるので、これが同和施設と言えるかは微妙だ。いずれにしても、都留市内の同様の集会所は現在は全て市の管轄から離れている。
白山神社には古い墓石もある。墓石から分析すると、この部落の主な宗派は、法華宗と考えられる。つまりは日蓮宗と同系統だ。
消防団の倉庫の近くにあるこの祠の由来は分からなかった。
下谷交流センター入口というバス停があるが、その下谷交流センターはまだ出来ていないそうだ。
そのバス停の近くで足場が組まれている建物は旧雇用促進住宅。1950年台に建設されたものだ。地元の方によれば同和事業とは全く無関係で、たまたまここに土地があったから作られたものらしい。
もとは国の施設だが、現在は都留市の所有になっている。老人向けの施設に転用するのだが、古い建物なのでエレベーターがない等の問題があるので、今まさにリフォームしているのだそうだ。
周辺にはアパートが目立つ。既に融和が進んでいると感じた。ニコイチ住宅は耐用年数からするともうしばらくは残るだろうが、数十年後には形跡くらいしか残っていないかも知れない。
部落の北東側、全体の半分ぐらいしか回られていないのかな?と。
おそらく南西側も部落の範囲では。
南西側も少し回っています。
ただ、昔の航空写真によれば、もとは北東側の狭い範囲が部落でした。
いつも見ています。近隣の者です。
やっと山梨にも来てくれたのですね。
ほぼそこの地域が鷹の巣ですが、富士山の方にもう少し歩くと住宅の中にニコイチが少しあります。
今は昔のような怖い雰囲気はなくなりましたが、子供の頃は近寄ってはいけないと感じるところでした。30年以上前の話です。お年寄りが怖かったです…。
動画版は富士山の方のニコイチも少しですが出てきます。
確かに昔の航空写真を見ると、ここは周囲とは違うと認識されていたようには思います。
そんな覚束無い状況で情報発信しとるんか?余りに酷すぎで、ジャーナリスト失格やなあ。
というところで。
今日、部落解放同盟兵庫県連の人と電話で話をしました。その方が、部落解放同盟県連としてこのページ(部落探訪86伊丹市堀池)をつまびらかにウォッチしていると言われたので、僕自身がループとその取巻きと対決しておる清和源氏だと伝えたところ「貴方が清和源氏さんですか、有難い活動をされておられるわ」とビックリされておりました。
聞くところによると、この3月、日本政府法務省の方針として、やはり、旧同和地区の地名等をネット上で暴露することは、道義的に問題があるとして、貴方がたは然るべき指導を受けたと知りました。その結果が「差別はやめよう部落探訪」から「学術研究部落探訪」への名称変更だったのでしょう。めっちゃ、カッコ悪い話ですわ。でも、タイトルを変えただけで、中身が変わっとらんのやから、政府の扱いは同じですよ。アホちゃうんか、というところです。更に、7月に、法務省が何らかのアクションをとるそうやないですか。文献的価値があると自負されるものが、全滅するかも知れないと考えたら、貴方がたにしてみたら、悲しい話でしょうが、我々にしたら喜ばしい限りですわ。
それに、僕が取巻きと言ってきた「.」や「kara kara」なども、その実際は示現舎の関係者であるということまで理解できました。
有意義な話し合いでした。
敵の敵は仲間で、部落解放同盟は、僕の仲間ということになりましたので、お伝えしておきます。教えてもらったabdarcなどとも連絡を取り合い、今後は一層の攻撃姿勢を強める所存ですので、ご承知願います。
日本語が分かりづらい。
わざと分かりにくくしているのか?
いずれにしても弱い。
>>清和源氏
部落解放同盟と組むとは…部落解放同盟のやってきたことは示現舎以上ですよ。部落の暴露どころか、暴力までふるってるんですから。示現社と部落解放同盟を同様とみなして叩くなら応援するのですが。示現舎を叩くなら近道せず、清廉潔白な団体をひとりで立ち上げたらいい。賛同者が増えたらいいなと、思います。
『日本政府法務省』や『政府』『法務省』を権威と感じ、頼りとしている辺りに人間としての小ささが見えますね。哀れにさえ感じる。
もし旧同和地区の地名を明らかにすることが問題なのであれば部落解放同盟も多くの書籍等で明らかにしているので道義的に問題があると指摘すべき対象だ。
私はそもそも隠すようなことではないと思うからいずれにもそういう内容での指摘はすべきではないと考えるがあなたがその事実を知ったのならそうするはず。
大切な時間を使って同盟と馴れ合うくらいならまずこの問題をよく勉強をした方が良い。
悪口言うだけ言っておいて、返信もなく全く相手にされておらず草生えるね
所詮、清和なんちゃらは解放同盟の傀儡なんだろ。自作自演乙と思われても仕方なし。
私はただの読者です。
関係者でもないです。
示現舎さんの関係者さんと一切連絡したこともありません。
まぁ、もし関係者だとしても批判される理由もないと思うのですが…
読者が意見言うだけどうして批判されなくてはならないのでしょうか?
ちゃんと調べていただけませんか?
根拠は何なのでしょうか?
清和源氏様は清和源氏のご子孫であるのならば、やんごとなきそれなりに権力を持った方と知りあいでしょうから圧力もかけれるのでしょうから…
それを利用してでも真実を追求すべきではないでしょうか?
清和源氏さんの主張には、一部共感できるところがありますから応援はしていますが、決めつけはむしろあなたの支持する人が減ってしまうのではないかと、余計なお世話かもしれませんが思った次第であります。
貴方の様な権力者ではなく、下賤な何の力もない一般市民の一意見ですがまぁ…軽く受け流して聞いていただけたらと思っていますが、一応記しておきます。
清和源氏、批判したつもりが批判ばかりされて草
下谷村字鷹之巣 長吏小頭 伝助
同断 喜兵衛
下谷村字二ツ石 非人小屋頭 忠三郎
鷹の巣が部落だったと書いてあるものもあれば、つるがそうであったと書いてあるのもあるのですが、正しいのはどちらでしょうか。
#b8a78ac5322d64e221beff349ae38cf7
つる全体ではないです
そういう意味では鷹の巣が正解です
鷹の巣以外は、普通の農村だったのでしょうか?
#b8a78ac5322d64e221beff349ae38cf7
その通りです
つる全体が部落ではありません
返信ありがとうございます。
部落とそうでない地域は交流とかあったのでしょうか?
#d9f11b65d2f142fa74d759e5b85912e5
白山神社があるということは、少なくとも長吏の役目としての交流はあったはずです