『三重県部落史料集 近代篇』に掲載された「壬申戸籍調査集計表」によれば、黒瀬村に76戸の古村があったとされる。寺は善慶寺、神社は相生社。
伊勢市の「平成 25 年度 第 2 回事業総点検(外部点検)会議録(要旨)」には「同和問題の時に、旧法時代にできた市民館といわれる施設、これが黒瀬地区に1館、朝熊地区に2館あります。黒瀬地区には三重県初、全国でも2番目という早さ、昭和 38 年に建設がされています」という記述がある。
現地は伊勢市の瀬田川沿いにある。この太陽電池パネルがある場所からアプローチした。
景観を壊すなど批判も多い太陽光発電所だが、クエスト時に価値があると思うのは、登記簿通りの所在地がパネルに書かれていることだ。これでこの場所の小字が分かる。「芦原」という地名から、湿地であったことが推定される。
川に近いためか、道端にカニが歩いていた。
ここが冒頭でも触れた市民館。教育集会所も付属している。伊勢市の施設カルテによれば、供用開始日は1963年12月23日となっており、確かに国の同和対策特措法が始まるずっと前に作られた、歴史ある隣保館である。国と県の予算が昨年度は1133万8000円入っている。
人権、SDGsという文言が入った掲示物がある。やはりSDGsというのは人権・同和と密接な関わりがあるのか。
黒瀬町と言えば、政治アスリート剛力國男なる人物が、Twitterで黒瀬出身の市職員の悪口を書いており(剛力は黒瀬町の人間ではないので注意)、書かれた市職員がそれを見て「部落で共有させてもらう」とまたTwitterで書くといったやりとりがあった。
私はうかつにも加担してしまうところだったが、この政治アスリートが度々私に電話かけ、その度にタメ口で人にあれこれ指示し、夜にはいきなり電話してきて名前も名乗らずに「誰やと思う」みたいなことを言ってくるので関わらないことにした。伊勢市役所では知られたクレーマーらしい。
ここはかつては浜郷村中崎と言って、『三重県部落史料集 近代篇』によれば明治時代に「特殊部落風俗改善会」というものがあり、改善事業を行っていたことが書かれている。
今はすぐ近くに浜郷小学校がある、静かな住宅地である。
学校だけでなく、保育所もある。他地域では保育所が閉鎖されているのをしばしば見かけるが、ここは運営中である。
新しいアパートがあり、それなりに移住者があることが伺える。
大正期には水平社の黒瀬支部が出来、糾弾闘争を行った。
例えば、昭和14年に今の鈴鹿市国府町の西川という人物が、黒瀬の清橋という人物に穢多と言ったことで糾弾になり、西川が謝罪状を提出することで解決となっている。
この地域ではニコイチが印象的だが、持ち家も多い。
ただ、古村の中心部が空き地と廃墟がやや多いように見えた。
過去の記録では、職業は農業や職工など。生活程度は極端には悪くなかったようである。
それだけではない、『三重県部落史料集 前近代篇』には天保5年の記録として「黒瀬村の穢多の家近年追ヒ追ヒに建直して今にてハ本郷にも勝りて見え侍る程の事なり」とあり、服もよいものを着て分際をわきまえていないといったようなことを書かれている。
この「浜郷小学校記念公園」という看板が気になった。この土手が公園なのだろうか。
「はまぼう」とはきれいな花が咲く低木のことだが、どこにもそれらしきものは見当たらない。
ストリートビューで2012年の画像に巻き戻すと見えた!しかし、今はセイタカアワダチソウ等の雑草が生い茂っている。雑草に飲み込まれて枯れてしまったか。
こちらは黒瀬第2公園。
ディズニーキャラが描かれたガレージを見つけた。ディズニーの許可を取っているのかというような野暮なことは言うまい。
最後に、少し離れたところにある墓地を訪れた。やはり浄土真宗。善慶寺ということは、西本願寺ということになる。