かなり前から行田市の南河原に行ってほしいというお便りを頂いていたのだが、今回、行く機会があったので行ってきた。
この古村についても、国立国会図書館デジタルコレクションで検索すると様々な資料がある。例えば1977年の資料では「南河原村は七百五十戸のうち三分の一が部落です。村長も二代にわたり部落出身、スリッパ全国一の生産地です。」と、吉野という人物が語っている。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0126-1024x575.jpg)
現地に市役所の支所があったので、停めていると隣保館が併設されていた。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0127-1024x575.jpg)
部落だの人権だのと行った掲示物がある。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0128-1024x575.jpg)
その近くには2035年掘り出す予定のタイムカプセルが。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/image.png)
しかし、この隣保館の場所は古村から外れたところにある。ここから南東の小字「ニノ町」が目指す場所であろう。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0132-1024x575.jpg)
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0131-1024x575.jpg)
かつてはニノ町、現在は三区が自治会名となっている。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0134-1024x575.jpg)
昭和初期は137世帯との記録がある。しかし、冒頭の資料によれば、今は200世帯を超えるということになるだろうか。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0141-1024x575.jpg)
墓地を訪れていたところでは、大きな村で、なおかつ宗派は定まっていないように見えた。浄土真宗、真言宗、さらに曹洞宗の墓石が見え、さらに1つの墓に複数の宗派の戒名・法名が混じっているものも多い。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0145-1024x575.jpg)
住民によれば、かつては履物が主要産業で、行田の古村と言えば履物なのだという。動物の毛皮等を扱っていたという伝承はない。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0147-1024x575.jpg)
こちらは集会所。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0150-1024x575.jpg)
あちこちにスクラップヤードがある。これらは、どうも地元の住民のものではないようだ。おそらくパキスタンの方だろうか?写真を撮っていると経営者と思われる方が出てきたので聞いてみると、地元の人から土地を買ったり、土地を借りたりして自動車のスクラップ業をしているそうである。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0152-1024x575.jpg)
ただ、住民も経営者や自営業者が多く、少なくとも戦後は豊かで、億を超える資産を持つ人も珍しくないという。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0154-1024x575.jpg)
実はちょっとした用事があって隣の熊谷市の上中条に寄ってきた。熊谷市では活動家のデモに税金から日当と交通費が出ていることが分かっている。そして、15年くらい前は「差別者」の家を旗を持って取り囲むようなこともしており、その日当が4000円、泊まりでは10000円だったとう。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0172-1024x575.jpg)
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0155-1024x575.jpg)
住民にその話をすると、同和団体のそういう活動はここでも知られていたこと。なお、南河原には解放同盟と部落解放愛する会があって、勢力は半々だったという。「自分も入っていたけど、やめた。恥ずかしいから」と住民が語る。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0156-1024x575.jpg)
なぜ恥ずかしいのかと言うと、やはり同和といったことは語り継ぐようなものではないから。「そんなことを聞いてくる、頭がおかしいのは、あんたくらいだ」と言われてしまった。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0160-1024x575.jpg)
若い人はほぼ知らないが、あの家は「平家」だ、あそこは「源氏」だといった言い方があるという。事実かどうかは分からないが、平家の落人という伝承があり、平家側が差別されたというのである。ただ、先述の通り1960年代には多くの家が豊かになっていたという。「今は平家の方が源氏よりも金持ちなくらい」という。だからもう差別などないと断言された。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0162-1024x575.jpg)
なお、古村の鎮守は八坂神社が唯一だという。写真はその参道の跡だろうか。八坂神社と彫られた石柱がある。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0170-1024x575.jpg)
白山神社はない。八坂神社が白山神社だったということも聞いたことがないという。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0163-575x1024.jpg)
弾左衛門の伝承もないので、ここは本当に農村地域の中で、草履作りなどの農業以外の仕事をしていた村だったのだろう。
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0164-1024x575.jpg)
![](https://jigensha.info/wp-content/uploads/2024/07/IMG_0166-1024x575.jpg)
解放同盟や部落解放愛する会も、実質的に活動していないのではないかということだ。
立花孝志からの「頭がおかしい」と南河原での「頭がおかしい」と、同じことをほぼ同時期に別々の人から言われたわけですね。
#a5ffb4e7a86a923f13e824732cc7d20b
「自分も入っていたけど、やめた。恥ずかしいから」
↑
核心をついた言葉だと思います。
部落出身であれADHDであれ障害者であれ、声高に上から目線でそのことを主張する連中には違和感しか感じないです。
本当に困っている人たちが堂々と、どこか得意げに自分たちの主義主張をあんなにも吹聴するものでしょうか。
#278fc8072e7ea50eb3a86d186f3b8843