1935年の記録では、古河市に8戸の「畑中」という部落があったらしい。この地名を地図で探しても見当たらない。
しかし、市史をたどると、畑中は後に静町の一部になったことが分かった。現在の地図と過去の地図や航空写真を照合してそれらしい場所を探したが、静町内には見つからない。ただ、気になるのは現在の松並2丁目の五叉路がある辺りに、「七五三掛」という姓の家が何軒かあり、戦後間もない頃の航空写真では同じ場所に8軒前後の家があることだ。
現地には何と「静町会議所」が。住所表記上は松並であっても、ここは静町ということだろうか。
そして、会議所横の神社、何か由緒がありそうだ。
この五叉路周辺だけの、小さな部落だった。
七五三掛という表札のかかった家は、どれも豪邸というほどでもないが、昔から土地を持っていたことを思わせる、そこそこ大きな家ばかりである。
畑が残っているが、新しい家も多く建っている。
詳しい人がいないか探していると、幸運にも90歳以上という老人から話を聞くことができた。
それによれば、会議所横の神社の由緒は不明。ただ、八坂神社ということで「通している」という。「通している」という言い回しが気になった。
そして、かつての地名は確かに畑中。その後、静町になり、比較的最近松並2丁目になったという。
特定に成功したが、ここは既に融和して解放しているだろう。周囲からも地元住民からも部落として見られている様子は全くなかった。