今回は、解放新聞および東町住民から部落とされている浜町から探訪する。しかし、結論から行ってしまえば、そこは歴史的な意味で部落とは言えないだろう。
見たところ、住宅密集地であったような痕跡はあるものの、区画整理されており、新しい家も立ち並んでいる。そして、ここにも山王神社の紫の幟がある。
そして、現れたのは食肉工場。調べてみると、実際に昭和24年から平成14年まで屠畜場が併設されていたという。
そしてこの袖ヶ浦地蔵尊という史跡。牢屋町の入獄者の屍を葬ったということが書かれている。
おそらく読者は感じていることと思うが、この藪原という場所は「廃棄物処理工場」「旧住宅密集地」「屠場」「刑場跡」、さらには街道や高速道路のインターといった、いわゆる部落に対するステレオタイプなイメージに合致する物件が揃っている。
ただ、廃棄物処理工場や屠場は近代以降のものであって、牢屋町ということについても、この地に非人が住んでいたと書かれているわけではない。むしろ「藪原」という地名からは文字通り藪で、何もなかったとも考えられる。
歴史的にはこの土地も住民も近世の被差別部落とは何のつながりもなく、近代以降の経過から部落というイメージが勝手に作られてしまったものと考えられるがどうだろう。
高級な街ではないが、空き地や廃墟が目立つわけではなく、避けられているといった様子もない。静かで暮らしやすいように感じられる。
近くに北條稲荷神社があり、これはまた別の地区のもので、これも部落と無関係と考えられる。
さて、最後に山王川と酒匂川を越えて東側にある、酒匂の部落を訪れてみる。
この小田原市集会所は同和対策で作られたものだ。今でも市の所有だが、住民によれば自治会館のような使い方をされており、あまり同和施設ということは意識されていないようだ。
ちなみに、この集会所の先に車で進むことはおすすめできない。海岸への出口があるV字型の道があるが、普通車なら間違いなく底を擦ることだろう。
集会所の近くには古い家や路地もあるが、全般的にはとても部落には見えない。
至って普通の住宅地。
その一角に白山神社がある。中を見ることはできなかったが、住民によれば、中には非常に古いが見事な龍の絵があるという。
宗派は日蓮宗と考えられる。
はじめまして。九州や四国を探訪される予定はありますか?
私は数年前より熊本市に住んでます(出身ではない)が、本荘は一部に見ごたえあるエリアが存在します。
ネット上で本荘出身の人が、エセ同和が多い地区だと発言していました。掘れば色々出てくるのかもしれません。
逆に春竹町は、あまり痕跡を感じません。南熊本の食肉センターも解体されました。
あと四国、特に高知県の部落の多さに驚きました。歴史的背景によるのでしょうが興味深いです。
酒匂で部落民が多く住んでいたのは、今回行かれた白山神社や集会場より少し西の、現在市営住宅が3棟立っている場所だったはずです。
市営住宅ができた直後は、近隣に長屋が残っていました。(バブル期に開発が進んで今は跡形もないですが)
長屋に住んでる子らは何故か集団で登校していたのでちょっと浮いてました。
その学区は1980年以降に開発が進んで移り住んできた人が多いため、差別はありませんでしたが。
ここ酒匂と山王原は日蓮宗で正解です。
ちなみに小頭一族は退転して、酒匂の地にはもう居ません。
(小八幡の1軒は帰還したクチかなと)
度重なる酒匂川の氾濫が関係しているんじゃないかと思います。
又、総鑑で山王原と一括りにされているのは、
中間地点に嘗て存在した浜町4丁目の屠場が理由と言うより、
もっと昔からの歴史的な経緯があるからだと思われます。
酒匂の小頭姓はいるだろ
東町は、公園に犬が繋がれていて、部外者が来ると激しく吠えました。
酒匂は、小さな赤い鳥居のある家があって、中から熊のような大男が「おう」と言いながら出てきました。恐怖を感じました。