
学術・研究:部落探訪(279)滋賀県 近江八幡市 若宮町
近江八幡市若宮町は滋賀県内でも異色の部落である。中小森3部落の中では最大規模であるが、同和地区指定がされていない。その経緯は10年以上前の記事「同和地区指定を拒否した全国水平社初代委員長の故郷」に書いたので、ぜひ読んでい […]
近江八幡市若宮町は滋賀県内でも異色の部落である。中小森3部落の中では最大規模であるが、同和地区指定がされていない。その経緯は10年以上前の記事「同和地区指定を拒否した全国水平社初代委員長の故郷」に書いたので、ぜひ読んでい […]
中小森3部落のもう1つを探訪する前に池田本町住吉に立ち寄った。中小森に近いが、ここはかつての池田村であり、中小森3部落には含まれない。江戸時代は木原村、その後池田村枝郷西村となり、桐原村の一部となった後1954年に近江八 […]
『近江八幡の部落史 くらしとしごと』によれば、かつての村名は「細工(さいく)」で、文字通り竹細工を作っていた。しかし、竹細工が村名の由来であるとは断定できず、地元の寺から「西久」と書かれた紙が出てきたというので、途中で漢 […]
ぜひ探訪して欲しいとリクエストがあったので、中小森(なかこもり)3部落を探訪することにした。ここは『滋賀の部落』では中小森村枝郷三部落として紹介されており、中小森には日吉村、赤尾、白鳥という一般地区があり、細工(さいく) […]
蒲生郡日野町豊田は滋賀県の中でも有名な部落の1つである。最も環境が厳しかった一方で、環境改善事業が早い時期から行われ1991年11月に「環境改善事業完了祭」が行われ、同和対策の終結を目指すことを宣言した。 昭和初期の記録 […]
今回訪れたのは御園町。かつては薗畑という名前で、例のデータだと昭和初期には103戸の部落だった。近世は横井村と呼ばれ、明治初期の記録では156戸とあるから、明治以降から昭和初期にかけて世帯数が減った珍しい部落である。 さ […]
戦前の記録では、山川原の戸数は144、生活程度は中。あそこは部落ではないと言われるくらいに、住民は豊かだったと言われる。江戸時代は「川原村枝郷皮田」が正式な名称であり、野良田村という通称もあった。それが、明治4年の解放令 […]
筆者が長塚を訪れるのは初めてではなく、実は10年ほど前にも一度訪れている。その頃と何も変わっていないように見えた。その時の様子は『同和と在日②』に書いている。 昭和初期の戸数は50。生活程度は悪くなく、明治21年の調査記 […]
今回は草津駅前の指定同和地区を訪れた。戦前の戸数は51、かつては留守川村、新町と呼ばれていたようだ。現在の地名は西草津一丁目。略して西一というのが同和地区の呼称となっている。 1996年の同和対策地域総合センター要覧によ […]
甲良町は近畿地方で最も同和関係者の比率が高く、42.94%というデータがある。ただ、行政関係者によれば、それは単純に長寺と呉竹という2つの同和地区の行政区内の人口がそれだけの比率になるということであって、いわゆる部落民の […]
米原市一色には部落がある。戦前の記録では29戸。しかし、『同和対策地域総合センター要覧』によれば1996年には133世帯あった。同和地区指定されたが、改良住宅はなく、全て持ち家であるという。
北陸自動車道の米原ICの近くに並ぶニコイチは、高速道路を利用して米原を訪れる人にはどうしても目に付き、そこに部落があることもよく知られていることである。しかし、そのニコイチが払い下げられる等、ほぼ同和事業の完全終了に至っ […]
湖東協事件の裁判では武建一被告らによる建設業者・生コン業者に対する恐喝などが審理されている。滋賀でも生コン価格を値上げすること、アウト企業を排除すること、といった連帯の方針が事件の根底にあるようだ。ではなぜ滋賀県の企業が […]
琵琶湖の沖合約1・5km付近に浮かぶ日本で唯一の淡水湖の有人島「沖島」(近江八幡市沖島町)をご存じだろうか? 沖島への交通手段は同島の自治会が運営する「おきしま通船」で、近江八幡市本土と島をつなぐただ一つの足である。そん […]
滋賀県で人気一番の部落と言えば、「タイガープリンセス」こと虎姫の部落だが。それと双璧を成すのが今回探訪した「ドラゴンフラワー」こと下龍華の部落である。 なぜこの部落はそこまで人を惹きつけるのか。その理由は、探訪してみれば […]
廣瀬というと、現在は古い公営住宅が立ち並んでいることが印象的だが、その辺りは昔は田んぼで『滋賀の部落』によれば非常に狭い部落であったという。確かに、戦後間もない頃の航空写真を見ると、狭い区域に家が密集している。 1888 […]
今回訪れたのは長浜市千草町。1888年は75軒、1931年は254軒、1999年は658世帯と記録されている。 動画版は本日18日夜9時30分にYoutube「神奈川県人権啓発センター」チャンネルでプレミア公開する。プレ […]
『滋賀の部落』には里根、彦根、長曽根を合わせて「三根」というと書かれている。彦根は言うまでもなく有名な城下町であるが、里根、長曽根という地名も彦根市内に残っている。 彦根城は江戸時代初期に井伊直勝によって建設されたのだが […]
「〇〇(地名)は部落だ」というと、〇〇全体が部落というわけではなくて、ごく一部ということもあるし、逆に〇〇だけではなくいくつかの周辺地域も含めて部落ということはよくある。 今回訪れた甲田町(こうたちょう)は前者のケースで […]
琵琶湖線(東海道本線)からは、レトロなニコイチが立ち並んだ風景がいくつか見られるが、それらは全て同和地区である。今回訪れた広野町も、それらのうちの1つだ。 1931年当時の戸数は288という大きな部落である。主な産業は農 […]
東近江市石塔町(いしどうちょう)はニコイチ住宅が立ち並ぶ、見た目ではいかにも同和地区らしい場所である。しかし、旧蒲生町(がもうちょう)時代に同和事業を廃止し、その状態で2006年に東近江市に合併したという経緯がある。現在 […]
結論から言えば、おそらくここは部落ではないだろう。そう思うなら、なぜ「部落探訪」で取り上げるのか。読者の方は怪訝に思うかも知れない。 そもそも部落に厳密な定義などない。部落探訪で紹介してきた地域では、例えば新田や西成だっ […]
※画像はシステムブレーンより。 川口泰司(やすし)氏と言っても、多くの人はご存じないだろうが、同企連(人企連)加入企業等で人権研修を受けた人にとっては聞いたことのある名前かも知れない。 講演や人権研修等での川口氏の肩書は […]
2017年2月10日に滋賀県米原市で部落解放研究集会があり、有田芳生が来る。そのような情報を耳にした。また、分科会では本誌のことがテーマになるという。無論、これは行かない手はないだろう。
その見た目のインパクトから、滋賀の部落の中でも圧倒的な知名度を誇った虎姫(とらひめ)の改良住宅群がいよいよ消滅に向かう見込みである。今年度で全てのニコイチの持ち家化が完了する。
旧虎姫町字五の周辺を散策した後、長浜市虎姫支所に行って関連資料でももらおうと思った。以前、この地を取材したとき、長浜市虎姫支所は旧虎姫町役場の庁舎が使用されていた。とてもレトロで味わいがある建物だ。現在の支所は、図書館や […]
滋賀県・旧東浅井(ひがしあざい)郡虎姫町(とらひめちょう)にある大規模な改良住宅群は、同和事業の顕著な例である。 2011年1月に改良住宅の1つで起こったガス爆発事故をきっかけに、住民による家賃の滞納、また貸しなど不正行 […]
江戸時代は「久保(くぼ)村」、明治期は「南村」あるいは「南野(みなみの)村」そして、1958年に「末広町」と名前を変えたこの部落は、1000世帯に迫る規模の滋賀県でも最大の部落である。そして、おそらく読者が部落に持つイメ […]
木川新田(きのかわしんでん)には、これといった名物というものはないのだが、飲食店が2軒ある。
今回は、滋賀県草津市にある「木川(きのかわ)新田(しんでん)」を訪れた。この部落は地元では単に「新田」と呼ばれる。