
学術・研究:部落探訪(160) 新潟県村上市海老江
部落は行政区画と一致することは少なく、なおかつ行政区画の一部が部落である場合、部落は行政区画の中心ではなく外れにあることが多い。これは、賤民の村が本村の枝として存在したことが多かったことの名残ではないかと考えられる。
部落は行政区画と一致することは少なく、なおかつ行政区画の一部が部落である場合、部落は行政区画の中心ではなく外れにあることが多い。これは、賤民の村が本村の枝として存在したことが多かったことの名残ではないかと考えられる。
村上市泉町には1928年に77戸の部落があったとされる。
1928年の記録では、現在の村上市貝附に21戸の部落があったとされる。それ以外に特に記録はないが、せっかく近くを通りがかったので訪れることにした。
今回は、村上市の塩谷(しおや)という場所にやってきた。ここは戦前には26戸の部落があったとされる。主に日雇い等の仕事をしていたようだ。
胎内市乙(きのと)には1928年に14戸の部落があったと記録されている。 『埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記』 にも詳細な記述があり、1990年前後でも10戸程度の部落だったという。また、同和対策事業が行われたとされ […]
1928年の記録では、村上市岩ヶ崎には16戸の船乗りの部落がある。 大阪市立大学による『埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記』に 、次の通り記述された部落はこの岩ヶ崎のことと考えられる。 われわれは三面川を渡 って右岸を […]
筆者は村上市にある湯ノ沢部落を訪れた。ここは地名表記では村上市平林の飛び地になっている。1928年の記録では75戸の部落とされる。ここでは解放同盟が「神林村差別行政糾弾裁判」と呼ぶ事件が1980年代にあった。
筆者は新発田市からさらに北東へ進み、胎内市にやってきた。大阪市立大学による『埼玉県,山梨県,新潟県での現地研修記』には下越地域の探訪記録がある。この中に「M浜」という名前で出てくるのが今回訪れた桃崎浜だ。 1928年の記 […]
今回は新発田(しばた)市の代表的な部落で、三昧(さんまい)と呼ばれた地域を訪れた。1928年の記録では18戸の部落とされる。ここは新潟県内でも珍しく、隣保館と教育集会所がセットで存在している。
上越市北本町4丁目は、かつて「西村町」という名前であり、1928年の記録では103戸の部落であった。主な産業は日雇いや革細工であったとされる。 2014年に上越市が高田開府400年を記念して作成した冊子の古地図に「西邑町 […]
『部落問題・水平運動資料集成』 の第2巻357ページに次の記述がある。 昭和三年十一月中旬、中頸城郡板倉区大字針部落に於ては字民一七五戸共同して株式(一株十円三百五十株)組織の共同浴場を新設し、同月二十三日株主総会に於て […]