実は前回の相生町の前に訪れていた部落があった。それが、愛宕町である。戦前の記録では290世帯、職業は様々であり、隣の相生町と似たような様相であった。
明治時代は塔世村の一部で、明治末期に津市に編入、そして現在の名前となった。当時から都市スラムに近い状態だったと考えられ、相生・愛宕といずれも「愛」にまつわる名前が付けられたのは、何か思い入れがあってのことだろう。
実は前回の相生町の前に訪れていた部落があった。それが、愛宕町である。戦前の記録では290世帯、職業は様々であり、隣の相生町と似たような様相であった。
明治時代は塔世村の一部で、明治末期に津市に編入、そして現在の名前となった。当時から都市スラムに近い状態だったと考えられ、相生・愛宕といずれも「愛」にまつわる名前が付けられたのは、何か思い入れがあってのことだろう。
昨日9月14日13:30、東京地裁で全国部落調査事件で2日目の証人尋問が行われました。今回は5人。原告側が事件記録の閲覧制限をかけていて、証人の名前や、具体的な部落の地名を言ってはいけないという条件で進められたので、非常にやりにくいものとなりました。
詳細な説明はほぼ動画のみで行っていますので、以下をご視聴ください。