読者からのリクエストで、千葉県の関宿を訪れた。ここは千葉県の北西の端っこであり、利根川と江戸川に挟まれている。関宿には3箇所の部落があり、今回はその1つである西町である。昭和初期の記録では56戸、農業と商業をやっていたようだ。
探訪した日は雲ひとつ無い天気だったのだが、風が強く、旋風に土が舞い上げられていた。
そんな畑に囲まれた場所に、10軒ほどの家がある一角がある。
そこにあるのが白山神社。
中には酒が供えてあり、写真と名簿らしきものも見える。
寄付者の名前が刻まれた石碑等の名前を見ると、氏子の世帯数は周囲の家の軒数よりもずっと多いように見える。
そして、道路を挟んで反対側には墓地が。
墓石の姓は白山神社の氏子のものと一致している。
関宿の部落は浄土真宗本願寺派だと文献に書かれていたような気がするが、法名に「阿」「弌」の文字が入っているので時宗のように見えるがどうだろう。
相変わらず風が凄まじい。
さきほどの場所から東に行くと「西町集会所」がある。だから、ここが西町なのは間違いないが、さきほどの白山神社があった小さな集落も西町に含まれるのだろうか?
特に同和や人権を思わせる掲示物はなく、ただの公民館のようだ。張り紙には「市民生活課」とあるので、同和施設ではないということなのだろうか。
…と思ったら、野田市のウェブサイトで調べたら教育委員会の管轄であり、位置づけは教育集会所、つまり同和施設である。
その横には自治会の倉庫、ごみ集積所、そして「十九夜塔」というものがある。これは「月待信仰塔」と呼ばれるものの一種で、北関東特有のものらしい。
そして、見逃してはならないのはここにもう1つの白山神社があることだ。
さきほどの白山神社よりもこちらの方が社殿や鳥居は大きくて立派。
しかし、石碑のようなものはなく、中を覗いてもご神体が見えない。
境内も広くて、裏手は子供の遊び場になっている。
通りがかりの老人に聞いてみると、2つの白山神社の氏子は共通なのだという。つまり、前の白山神社があった場所も西町の中。しかし、白山神社が2つある理由は分からないのだという。
白山神社の隣の小さな祠の中を除くと、「天満宮」とあった。
さらにここから、流山街道までの間が部落の範囲なのだが、風景は普通の千葉の農村で、同和施設がなければ部落とは分からない。
これが流山街道。
むしろ大きな家が多く、敷地には軽トラや農業機械があり、土地を持っているように見えた。
野田市では全日本同和会、解放同盟、人権連が活動しており、2003年に関宿町と合併したときの資料では同和会と人権連は同和事業は廃止を支持、解放同盟は即座の廃止には反対しつつも、段階的に廃止することには同意していたようである。
そのため、同和対策で作られた施設自体は残っているものの、同和・人権を前面に出す物件は、他の同和行政を行っている自治体よりも少ないように見えた。
関宿町西町地区についての動画は、『ザ・ノンフィクション特別編
新部落問題1991』の 21:16~28:37にかけて見られますね。
https://youtu.be/TV_Qqg5s2TE
大変興味深く見ました。差別事件のように言われていますが、差別文書を送った人は分からず、本当のところの真相はどうだったのでしょう。
地元の方に聞けばよかったと後悔してます。
静御前にゆかりの姓ですね懐かしい
静(しずか)ってかっこいい姓ですよね!
千葉にある部落の多くは保守王国と言われるくらい自民党が強い地域で、
全体的に融和主義が強いように感じます。
埼玉と違って、解放同盟が暗躍しているという話はあまり聞きません。
どちらかというと人権連が強いイメージがあります。
人権連は保守ではないですが融和主義ですけどね。
西町から北へ(利根川沿い)行くと処刑場が有りますが関係あるのでしょうかね
すみません、それは分かりません。
関宿の隣町の古河市民です
古河にも何ヶ所も部落が有りますので来てみて下さい
日にちが合えば協力します
古河市に行くことがあれば連絡いたします!