裁判所が電話帳の掲載情報をネットに載せてはいけないと判断した直接の理由は、大まかに言えば「紙とネットは違う」というものだ。そして、何の法律を根拠にしたのかと言えば、民法709条「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う」である。
では「法律上保護される利益」は何かと言えば、憲法13条の「人格権」である。注意していただきたいのは、個人情報保護法は全く争点になっていないことだ。
実は「紙とネットは違う」という論理は、今年の1月1日には無効化している。というのも、著作権者の同意なくインターネット上で市販された図書を検索可能にすることが認められるように、著作権法が改正されたからだ。
知っている人は知っている通り、2005年に図書館が所蔵する本を片っ端からデジタル化して検索可能にした「グーグルブックス」が登場し、グーグル本社がある米国のみならず、日本の書籍も検索可能にされてきた。その是非については米国で裁判で争われていたが、ついに2016年にはグーグルブックスは著作権侵害に当たらないという判断が確定した。
インターネット上での情報の流通に国境は関係なく、また、まさか日本国内の書籍を米国に持ち込むことを禁止することはできない。そのため、米国グーグルに好き放題やられるくらいなら、米国のルールに合わせようという判断だろう。
世の中には過去から現在に至るまで、多種多様な出版物があり、その中には大量の個人情報が含まれている。例えば、事件報道で関係者の住所・実名が記載されたものがある。かつての判例集は関係者の実名の記載が当たり前だった。本の奥付に著者の住所連絡先が書かれていることは珍しくなかったし、雑誌の文通希望者一覧、紳士録のように有名人の個人情報を一覧できるものもある。そういったものを全て「検閲」することは大変な作業で、そのようなことを求められるのであれば、市販された図書を検索可能にすることなど出来なくなってしまう。
裁判の判決はその時、その場限りで有効なものであって、未来永劫有効なものではない。判決の前提条件となる事情が変われば、当然判決は無効になる。そこで、筆者は1月1日の改正著作権法の施行をもって「住所でポン事件」の判決は無効になったものと判断し、削除要請を受けて削除した部分を全てもとに戻した。
それに対し、5分おきに電話で抗議してくる個人情報クレーマーがいたが、完全無視して放置することによって諦めてくれた。それ以来、住所でポン! は「削除要請断固無視」の方針を貫くこととした。
今回に限らず、「紙とネットが違う」という類の裁判所の判断はもはや規範性がなくなっている。
例えば2007年6月4日に東京地裁で、登記簿に掲載された情報であっても一般人に広く知られているとは言えないという趣旨の判決が出された。しかし、その4年後の2011年には、 言わば法務省の天下り団体である「一般財団法人民事法務協会」がインターネットで登記簿の閲覧ができる有料サービスを始めた。
2011年8月29日にも東京地裁で同様に 「登記簿や電話帳への自宅住所の記載は、いずれも一定の目的の下に限定された媒体ないし方法で公開されるもの」 という趣旨の判決が出されているが、それ以降もグーグルブックスの拡大は止まらなかった。登記簿や電話帳こそ検索可能にされていないが、官報の一部が電子化されて破産者や帰化者の住所氏名等が検索できるようになりつつある。
民間の有料サービスであれば「登記簿図書館」のように登記簿の提供のみならず、大量の登記簿から分析した富裕層のリストを販売しているサービスが存在している。それを電話帳と照合して、様々な業者が電話営業をかけるといったことも、普通に行われている。
住所でポン! が登場している以前から存在する、有料の電話帳検索サービス「テレコア」も相変わらず存続している。結局「無料ならいけないが、有料ならよいのか」という問題に陥っている。それに対して、司法は明確な答えを出していない。
いや、本来は司法が答えを出す問題ではなく、立法措置すべき問題だ。そして、その立法措置は既に行われていて、それが個人情報保護法なのである。個人情報保護法は、その規制対象から報道と著述を明示的に除外した。報道と著述を明示的に規制するものがあるとすれば、例えば刑法の名誉毀損・侮辱がある。
しかし、実際には司法は本来の法律の外にあるものを規制しようとしている。その根拠である民法709条と憲法13条には、個人情報を保護せよといったことは全く明示されていない。それにも関わらず、裁判所はそこから類推して様々な規制をかけようとしている。
裁判所は法律上の判断をするところであって、何らかの制度を構築する能力はない。立法府すら制度構築を諦めた部分に裁判所が介入するから無理が生じ、裁判所がどのような判断をしてもその場限りのもので規範性がなく、現実と乖離した状態に陥っているものと筆者は考える。
官報と判例集
個人情報保護には規制の空白地帯と言える部分がいくつもある。その中でも大きのが、前にも触れた官報と判例集だ。これらの出版物には個人情報が集約されている。
官報には様々なことが公示されている。特に重要なのが法律や政令の類で、これらは官報に掲載して頒布することで初めて効力を生ずるとされている。このことは明文化されてはいないが、明治時代からの慣例となっており1958年10月15日最高裁が、法律はそれが掲載された官報が購入可能になった時点で効力を生ずるという判断を示している。
官報に掲載された個人情報で特に多くの人の興味を惹くと考えられるのが、帰化者と破産者だ。
外国人が日本に帰化すると、住所と氏名が官報で公示される。特に1995年3月7日より前の官報ではいわゆる「通名」の記載があり、1971年1月13日より前の官報では国籍と出生地も記載された。
官報の内容をデジタル化し検索可能にした「官報情報検索サービス」が国立印刷局から有料で提供されており、各地の図書館で無料で利用することも可能だ。また、前述の通り一部ではあるがグーグルブックスからも検索可能になっている。
2018年6月以降数々の不正が問題となり所属組織からの除名に追い込まれた、日本ボクシング連盟会長(当時)の山根明氏が朝鮮半島からの帰化者であることが話題となったが、そうであることが判明したのは、グーグルブックスで検索すると官報に掲載された帰化記録が出てきたからだ。
帰化情報は近代の日本人のルーツ、民族構成を研究する上でも重要な資料となることから。単に興味本位というよりも、研究資料として利用している人も存在する。例えば「日本姓氏語源辞典」における、膨大な外国由来の姓氏の研究だ。
そして、帰化者以上に重要なのが、官報に公示される破産者の情報だ。これは金融機関等にとっては非常に重要なので、その部分を抽出して検索可能にしたデータを販売している業者も存在する。
官報も出版物であり、れっきとした法的根拠があって頒布されているものなので、個人情報保護法の規制対象外だ。そして、その内容を流用することも、報道や著述といった目的で行えば個人情報保護法の規制を受けないということになる。
2019年3月には起こるべきことが起こった。官報に掲載された氏名、住所を地図上に配置した「破産者マップ」というウェブサイトがSNSやメスメディア等で話題となり、大いに「炎上」した。
これは違法であると多くの弁護士が憤怒し、 破産者マップが一旦閉鎖された後も紛争の火種がくすぶっているが、実際に違法であるとの裁判所の判断がされたわけではない。既に存在してきた「官報情報検索サービス」との違いをどのように整理できるのか、法律については官報で公示されることで公知のものと見なされるのにそれ以外の情報はそうでないと判断するなら都合が良すぎないか、という意見も存在する。
仮に裁判所が違法との判断をしても、今までの経緯から、そのことに規範性があるのか、実効性があるのかは推して知るべしである。
法学部出身ではない鳥取ループさんはどうやって法律を学んだのですか。基本書はお持ちですか。
どうでも良い質問するんじゃねー