北海道アイヌ探訪記(3)平取町二風谷

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By 宮部 龍彦

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萱野茂二風谷アイヌ資料館

新ひだか町から千歳に引き返す中程に、平取町びらとりちょう二風谷にぶだにがある。この地もアイヌで有名な場所だ。1965年資料によれば平取町には466世帯、2313人のアイヌが住んでいたとされる。おそらく、北海道の中で最もアイヌが多い地域と言えるだろう。

ここはアイヌ初の国会議員、萱野かやのしげるの出身地でもある。それを記念して作られたのが、萱野茂二風谷アイヌ資料館だ。

筆者がここを訪れたのは新ひだか町と同じく夏休み最後の休日だったのだが、やはり閑散としていた。

そこで目についたのが、立派な生活館である。館内の行事予定表を見ると、「子ども教室」「二風谷老人クラブ」と書かれており、普通の公民館のように使われていることがうかがえた。あとで地元の方に聞いたのだが、やはりここも公民館と変わらないということだった。ただし、生活館の入り口には「この施設は地方改善(ウタリ対策)事業で整備したものです」と書かれており、アイヌのための施設として建てられたことを主張している。

資料館はその生活館のすぐ近くにある。資料館の前には土産物屋と「アイヌ料理」と看板を掲げた店があったが、土産物屋は閉まっており、我々以外に客がいる様子はない。

資料館のすぐ近くに、目についた小さな建物があった。「萱野茂二風谷アイヌ資料館 別館」と書かれた小屋のような建物である。さらに「明治・大正・昭和 百年間の農器機具と馬道具を収納展示」と書かれている。

萱野茂二風谷アイヌ資料館 別館。ここに入るだけなら入場無料である。

どんなものかと入ってみると、何ということはない、古い農家にはありがちな道具が並べられているだけだった。その道具の配置といい、中の広さといい、単なる農家の物置と変わりがない。置いてあるものといえば、木槌やのこぎりやナタ、ミシン、田植機、なぜかパソコンまである。もちろん、アイヌとは何の関係もない。

中の様子。まるっきり農家の物置だ。

展示物はアイヌと関係ないものばかりだ。しかも散らかっている。

奥には萱野茂に関する新聞記事の切り抜きが無造作に置かれ、さらに説明パネルが横倒しに置いてあった。パネルにはこう書かれている。

「アイヌ民族」の現在 展示されている民具、あるいは風俗・習慣に対しての説明は、明治初期から昭和初期におけるアイヌ民族の生活を表現したものです。現在のアイヌ民族は、和人と変わらぬ一般的な生活を営んでおります。古い時代に使われたたくさんの民具をご覧いただき、当時の「アイヌ民族の心と伝統」を少しでも感じ取ってくだされば幸いです

現在のアイヌ民族は~という部分がなぜか赤線で強調してあった。確かに、ここに置かれているものがアイヌの持ち物であるなら、アイヌは和人と何も変わらないということだろう。それは納得できるが、それなら「アイヌ民族の生活を表現」しているとは思えないし、「アイヌ民族の心と伝統」は残念ながら少しも感じられない。

写真撮影はご自由に! とあるので、お言葉に甘えさせていただいた。

第一、中にある物が大切にされているようには思えない。この別館は誰もいない物置小屋を鍵もかけずに放ったらかしにしているのと変わらないので、その気になれば展示物をいくらでも盗んで持って行けそうだ。

そして、本館へと向かう。本館の周囲にも不思議な物件がある。チセ(茅葺きのアイヌ住居)がいくつかあるが、中はホコリが被った空の展示ケースが無造作に置かれていたり、アイヌの宝物である漆器がこれまたホコリまみれで並べられていた。その脇には電気の延長コードのリール、農作業に使うフォークやスコップ、ミネラルウォーターの空き箱、錆びたペンキ缶などが転がっており、農家にありがちな光景で妙にリアルである。

チセの中を覗く。

ある意味北海道らしいかも…。

本館の周囲のそういった物件を見るのは無料だが、本館に入るためには入館料が必要だ。本館の横には「あなたの家から…ここまで来るのに10万円、入館料は…四百円」と書かれている。確かに東京から家族で北海道旅行をすれば、軽く10万円はかかる。そこまでして400円ぽっちケチることもないという意味だろう。

我々は入館料を支払って中に入った。もちろん、見学者は我々だけである。ちなみに、受付の方は萱野茂の親族だという。

1階の展示物は、萱野氏が収集したアイヌの民具である。ここでも主要な展示物は衣装、キナ、イナウ、漆器である。

アイヌに関する展示。

また、水俣病が大問題となった当時の水俣から萱野氏が持ち帰ったタコツボなど、国会議員としての萱野氏にちなんだ物品も展示されていた。

そして、2階は世界の民族がテーマとなっており、もはやアイヌとは何の関係もない展示物ばかりである。

アジア各自の民族に因んだ道具の展示。

ひと通りの展示物を見た後、「絵本から学ぶ同和問題」というチラシが筆者の目に留まった。2014年7月1日から10月31日まで福岡県人権啓発情報センターで行われる特別展なのだという。もちろんアイヌと関係ないし、しかも北海道から遠く離れた福岡でのことである。

さらに部落解放同盟浪速支部による「リバティおおさかの灯を消すな全国ネット」にカンパを呼びかけるチラシも置かれていた。リバティおおさかとは、知る人ぞ知る大阪人権博物館のことで、橋下徹大阪市長に意向により行政の補助金がカットされ、存続が危ぶまれている施設である。

なぜか置かれていた同和のチラシ。

なぜここに同和問題に関するチラシが置かれているのか、資料館の職員に聞いてみるとこういうことだった。

「この資料館は人権ネットというのに加入していまして、時々こういった物が送られてくるんですよ」

人権ネット(人権資料・展示全国ネットワーク)のパンフレットも置かれており、それによれば加入団体にはさきほどのリバティ大阪の他、部落解放・人権研究所、水平社博物館など同和と関わりの深い団体がずらっと並んでいる。では、なぜ同和と関わりの深い団体に入っているのか。

「萱野茂は社会党の議員でしたから、その時のつながりが今も続いているんでしょう」(資料館職員)

なるほど、つまり萱野茂→旧社会党→部落解放同盟(旧社会党の支持団体の1つであった)→同和という線である。同和とアイヌの接点を直接見ることが出来たのはここだけである。

さて、平取町において、肝心の「アイヌ」に会うことはできるのか? 資料館の方に聞いてみても、資料館のパネルに書かれていた「現在のアイヌ民族は、和人と変わらぬ一般的な生活を営んでおります」という、この一言に付きてしまうようだ。

平取町は北海道の中でも多くアイヌが住んでいた地域であり、今でもアイヌの血を引く人は多数いるという。しかし、アイヌの文化が伝承されているかというと、そうではないということだ。例えばアイヌ語教室はあるが、これは、教養としてそういったものを学ぶという以上のものではなく、日常的にアイヌ語を使っている人は全くいないという。

というのも、アイヌが多かったと言っても、アイヌの大きな集落があったというわけではなく、小さな集落が多数点在していたということなのである。そのため、当時から現在まで続いているアイヌの共同体のようなものは、もはや残っていないという。

(次回に続く)

宮部 龍彦 について

ジャーナリスト、ソフトウェアアーキテクト。信州大学工学部卒。 同和行政を中心とする地方行政のタブー、人権ビジネス、個人情報保護などの規制利権を研究している。「ネットの電話帳」管理人。

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